第五話 風の吹く峠と、小さな出会い
こんにちは!『雨音が教えてくれたこと』第5話をお届けします。
旅を続ける可憐とリオンの前に、今度は不自然に荒れ狂う暴風が吹き付ける「白亜の峠」が立ち塞がります。
そこで出会った薬師の少女・ミリアとの出会いと、風の理が歪められている原因とは……?
雨に続いて、可憐の「循環の力」が風をも優しく包み込み、新たな奇跡を起こします。
それでは、第5話「風の吹く峠と、小さな出会い」をお楽しみください!
干からびた村に恵みの雨を降らせてから二日。
可憐とリオンを乗せた馬車は、なだらかな丘陵地帯を抜け、険しい岩肌がむき出しになった「白亜の峠」のふもとに差し掛かっていた。
「ここを越えれば、いよいよ魔王の領地が近づいてきます。カレンさん、疲れていませんか?」
リオンが手綱を引きながら、心配そうに振り返る。
「ううん、大丈夫だよ。馬車の揺れにもだいぶ慣れたし、空気もだんだん冷たくなってきて気持ちいいくらい」
可憐は微笑みながら、馬車の窓から外の景色を眺めた。
王都を出発してから、道中で出会う村や畑はどこも乾燥し、人々の表情はどこか影を帯びていた。しかし、可憐がこっそり雨を降らせたり、井戸の水を満たしたりするたびに、人々の顔にパッと花が咲くような笑顔が戻ってきた。
その笑顔を見るたびに、「自分がこの世界に呼ばれた意味が少しだけ分かった気がする」と彼女は感じていた。
「ただ……あの峠、なんだか風がすごく強く吹いていませんか?」
可憐が空を見上げると、切り立った岩山の頂上付近で、白っぽい風の渦が不気味にうねっているのが見えた。
リオンは顔を引き締め、うなずいた。
「はい。ここは『鳴き風の峠』と呼ばれていて、普段から強い風が吹く難所なんです。でも……今日の風は、なんだか不自然ですね」
不自然な風。その言葉の通り、峠に近づくにつれて、馬車の車体がガタガタと激しく揺れ始めた。
「うわっ……!」
突如として吹き荒れた強烈な横風に、リオンがバランスを崩しそうになる。馬も不安そうにいななき、足踏みをした。
この世界の魔法は「生活のため」のものであり、風の理も洗濯物を乾かしたり風車を回したりするための穏やかなものだ。しかし、この峠で荒れ狂う風は、まるで誰かの悪意に満ちたように鋭く、冷たい。
(この風……昨日の雨の時とは違う。なんだか、閉じ込められているみたい……)
可憐が目を凝らすと、峠の岩陰から、小さな影がぱたぱたと慌てて飛び出してきた。
「きゃあぁっ! 飛ばされるぅっ!」
女の子の悲鳴だった。
軽装な旅姿のその少女は、強風に足を取られ、そのままゴロゴロと斜面を転がり落ちてきたのだ。
「危ない!」
リオンが反射的に馬車から飛び降り、転がり落ちてきた少女を受け止めた。
「ぐっ……! 大丈夫か?」
「ひゃあ……助かったぁ……」
少女はブルブルと震えながら、リオンの腕にしがみついた。年は十代半ばくらいだろうか。色素の薄い茶色の髪に、大きな瞳をした可愛らしい少女だった。彼女の背中には、不釣り合いに大きな木の杖が括り付けられていた。
「き、急に変な風が吹いてきて……荷物もぜんぶ飛ばされそうになって……」
少女は涙目になりながら、ぶるぶる震えている。
「怪我はないかい?」
可憐もすぐに馬車から降りて駆け寄り、少女の肩にそっと手を置いた。
その瞬間、可憐の手のひらから伝わった微かな温もりに安心したのか、少女はほっと息を吐き出した。
「あ……なんだか、すごくあったかい……。お姉ちゃん、だれ?」
「私は水越可憐。こっちはリオン君。あなたは?」
「あたしはミリア! 薬師の修行をしてて、この峠を越えて隣の村に行く途中だったの。そしたら急に、変な風が暴れ出して……」
ミリアと名乗った少女は、自分の持っていた大きな杖をギュッと抱きしめた。
「この世界の風の理は、もっと優しくて穏やかなはずなのに……今の風は、なんだか怒ってるみたいだったんだから」
ミリアの言葉に、可憐ははっとした。
(怒っている……?)
風が怒っているのではない。正確には、大気のバランスが極端に崩れ、風の理がコントロールを失っているのだ。北の谷にいる魔王の放つ邪悪な魔力が、この地域の気候の循環をめちゃくちゃに歪めているせいに違いなかった。
「ミリアちゃん、一人でこの峠を越えるのは危ないよ。よかったら、私たちの馬車に乗りなよ」
「えっ、いいの? 助かったぁ……! 歩いてたら本当に吹き飛ばされるところだったよ」
ミリアを馬車に乗せ、さらに峠のふもとへと進もうとしたとき、風はさらに勢いを増した。
ゴーッという地響きのような音が岩肌に反響し、前方の道が砂埃で真っ白にかき曇る。これ以上進むのは危険だった。
「カレンさん、この風じゃ馬車が進めません! 一旦、あの岩陰で待機しましょう!」
リオンが叫ぶ。
可憐は馬車から降り、強く吹き付ける風の中に一歩踏み出した。
風が彼女の衣服を激しく揺らす。その肌で、可憐はこの世界の風が悲鳴を上げているのを感じ取った。
(分断された理が、歪められて、苦しんでいる……)
雨を降らせたときと同じ感覚が、胸の奥で疼いた。
ただ風を避けて隠れているだけでは、この峠の荒れ狂う風はおさまらない。彼女たちの旅の邪魔だからではなく、この大気の歪みを、そのままにしておくわけにはいかない気がしたのだ。
「カレンさん? どうするんですか?」
リオンが心配そうに声をかける。馬車の中から顔を出したミリアも、目を見開いて可憐を見つめていた。
可憐は答えず、ゆっくりと目を閉じ、両手を大きく広げた。
空気が、ざわめく。
可憐の指先から、淡い蒼白の光がふわりと灯り、それがやがて透き通るような淡い緑色の光へと変わっていった。それは、風の理を包み込む「循環の光」だった。
――暴れなくていいよ。もう、苦しまなくていいから。
心の中でそう呟いた瞬間、可憐の周囲の空気がピタリと静まり返った。
いや、静まり返ったのではない。荒れ狂っていた乱気流が、可憐の優しさに引き寄せられるように、まるで穏やかな波のようにスッと収まっていったのだ。
ごうごうと鳴り響いていた風の音が嘘のように消え去り、代わりに、そよそよと頬を撫でる心地よいそよ風だけが残された。
「え……?」
リオンが呆然と口を開け、空を見上げた。
さっきまで岩を削るほどの暴風が吹き荒れていた峠の上空は、嘘のように晴れ渡り、穏やかな青空が広がっていた。
「うそ……風が、止まった……?」
ミリアは馬車の荷台から飛び降り、信じられないという顔で自分の頬を触った。
可憐はゆっくりと目を開け、ふうっと小さく息をついた。
手のひらに残る熱は心地よく、大気の流れが自分の体の一部として滑らかに循環していくのが感じられた。
「うん、もう大丈夫。風も、落ち着いたみたい」
可憐がそう言って振り返ると、リオンとミリアは言葉を失ったまま、ただぽかんと彼女を見つめていた。
「カレンさん……あなた、いったい何者なんですか……? 風の理を操るなんて話、聞いたことがありません……!」
リオンが震える声で尋ねる。
可憐は少し困ったように苦笑いし、自分の服の裾を整えた。
「うーん……自分でもよく分からないけど。ただ、風が痛そうだったから、ちょっと落ち着かせてあげただけだよ」
風の暴走を鎮め、峠の安全を取り戻した可憐たち。
しかし、この峠の異常さは、北の谷から発せられる魔王の力のほんの序章にすぎなかった。
穏やかさを取り戻した風の中、三人は再び馬車を走らせ、魔王の城へと続く険しい道のりを進んでいくのだった。
第5話をお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回は、旅の仲間(?)として元気な薬師の少女・ミリアちゃんが登場しました。可憐の優しさが、村だけでなく「大気や風」そのものの痛みにも寄り添っていく様子を描いてみましたが、いかがでしたでしょうか?
力でねじ伏せるのではなく、乱れた理を優しく鎮めて循環させる――そんな可憐らしさが少しずつ周りに伝わっていく過程を書いていて私自身もとても楽しく感じています。
少しずつ魔王の気配が近づいてくる中、彼女たちの旅はさらに進んでいきます。
次回もぜひお楽しみに!




