第三話 王と魔王、そして旅立ちの予感
こんにちは!『雨音が教えてくれたこと』第3話をお届けします。
前回、自分の内にある「循環の力」の片鱗に気づいた可憐。
今回は、王城の図書室でシャミラン王から語られる「王と魔王の過去」にスポットライトが当たります。なぜデミグラスは闇に堕ち、魔王となってしまったのか――その切ない背景が明かされます。
そして、可憐の中に芽生えたある「決意」とは? 頼もしい少年騎士・リオンも登場し、いよいよ旅立ちに向けた動きが始まります。
それでは、第3話「王と魔王、そして旅立ちの予感」をお楽しみください!
王城の図書室は、重厚なマホガニーの書棚に囲まれた静寂な空間だった。
窓の外では相変わらずしとしとと雨が降っているが、不思議と今日の雨音は、可憐の心にすんなりと馴染むように優しかった。
テーブルの上には、この世界の歴史や魔法に関する分厚い革表紙の本が何冊か積み上げられている。マルタの勧めで、この世界のことを少しでも知ろうと開いてみたのだ。
「……ふう。文字は読めるけど、やっぱり専門用語は難しいなぁ」
ページをめくる手を止め、可憐は大きく伸びをした。
異世界に飛ばされてから数日が経ち、環境の変化に対するパニックは薄れつつある。しかし、自分がこれからどうすべきなのかという実感は、まだどこかフワフワとしたままであった。
「おや、熱心に勉強中かな、カレン殿」
穏やかな声とともに、図書室の重い扉が静かに開いた。
入ってきたのはシャミラン王だった。いつもの豪華な王服ではなく、落ち着いた色合いのガウンを羽織り、手に小さなティーポットと二つのカップを持っている。
「王様……わざわざそんなことしなくても、侍女の方に頼めば……」
「いいのだ。私にとっても、こうして静かに誰かと話す時間は久しぶりなのでね」
王は微笑みながらテーブルの向こう側に腰掛け、手際よくカップに温かい紅茶を注いだ。
ふわりと広がる甘い香りに、可憐はふっと肩の力を抜く。地球で飲んでいた紅茶と変わらない香りが、胸のつかえを少しだけ和らげてくれた。
「本の進み具合はどうかな? この世界の歴史は、なかなか退屈だったろう」
「ううん、すごく面白いです。特に、昔の魔法の使い方のあたりとか……。あ、そうだ王様。ずっと気になっていたんですけど」
可憐はカップを両手で包み込みながら、まっすぐに王を見つめた。
「昨日、マルタさんから少し聞いたんです。……デミグラス様のこと。どうして、あんなふうになってしまったんですか?」
王の表情が、わずかに翳った。
注がれた紅茶の表面に、揺れる天井の灯りが映り込む。
「……私とデミグラスは、双子として生まれた」
王は遠くを見るような目で、静かに語り始めた。
「子供の頃の私たちは、いつも一緒だった。この城の庭を駆け回し、雨の理を競い合い、風を起こして木の葉を舞い上がらせ、小さな焚き火を囲んで夜遅くまで星を数えた。土で小さな城を作り、そこに二人だけの王国があるのだと本気で信じていたよ」
その声には、冷酷な魔王の兄としての顔ではなく、遠い日の思い出を愛おしむ一人の人間の温かさが満ちていた。
「けれど、成長するにつれ、私たちが見る世界は少しずつ違っていった。私は長男として、やがて王位を継ぎ、この国の人々の平穏を守るという義務を背負った。魔法は生活のための恵みであり、それを守ることが王の務めだと教え込まれた」
「じゃあ、デミグラス様は……?」
「弟は、違った。彼はあまりにも聡明で、そしてあまりにも優しすぎたのだ」
シャミランは苦い笑みを浮かべた。
「彼は疑問を抱いた。『なぜ、我々は生活のためだけに魔法を使わねばならぬのか』と。干ばつで苦しむ村があれば雨で救いたいと思い、理不尽な暴力に怯える者がいれば炎や風で退けたいと願った。けれど、この世界の理はそれを許さなかった。魔法は戦いに使ってはならない。それが絶対のルールだったからだ」
王の言葉に、可憐は胸が締め付けられるような思いがした。
戦うための魔法が存在しない世界。それは平和の証であると同時に、強大な理不尽の前に無力であることを意味する。
「デミグラスは禁じられた書物に手を出し、やがて城を去った。彼が求めたのは世界を壊すことではなく、世界を『変える』力だった。けれど、その強大な力を手に入れた代償として、彼は周囲から孤立し、いつしか『魔王』と呼ばれるようになった……」
シャミランはカップを置き、自分の老いた手をじっと見つめた。
「私の責任だ。弟の孤独に気づいてやりながら、王としての立場を守るあまり、彼を追いつめてしまったのは私なのだから」
図書室に重い静寂が落ちた。
十五の命を生贄にしてまで召喚を行った王の焦燥と、弟を救いたいという祈りが、痛いほど可憐には伝わってきた。
「王様」
可憐はそっと口を開いた。
「私、デミグラス様に会ってみたいです」
シャミラン王は驚いたように目を見開いた。
「カレン殿、本気か? あそこは魔王の城だ。危険な魔物たちがうろつき、彼の歪んだ魔力が満ちている場所なのだぞ」
「危ないのは分かっています。でも、このままここで怯えているだけじゃ何も変わらない」
可憐は自分の手のひらを見つめた。そこには、昨夜花を蘇らせたときの温もりがまだ微かに残っている。
「王様がデミグラス様を救いたいように、私も……彼のあの言葉の裏にあるものを知りたいんです。『なぜ、我々は生活のためだけに魔法を使わねばならぬのか』って、あの人が本当に知りたかったことの意味を」
可憐の瞳に宿るまっすぐな光を見て、シャミラン王は息を呑んだ。
そして、小さく苦笑しながら、深く頷いた。
「……君という人は、本当に不思議なだ。異界から来たというのに、誰よりもこの世界の痛みに寄り添おうとしてくれる」
王は立ち上がり、図書室の隅に立てかけられていた一冊の古い羊皮紙の地図を広げた。
「魔王の城は、この王都から北へ数日歩いた『黒曜の谷』の奥にある。道のりは険しいが……一人で行かせるわけにはいかないな」
その時、図書室の扉が軽くノックされ、許可を得る前に元気な足音が飛び込んできた。
「失礼します、王様! それと、カレンさん!」
入ってきたのは、まだあどけなさを残した若い少年だった。引き締まった体躯に、使い込まれた剣を腰に帯びている。彼の胸元には、王宮騎士団の見習いを示す小さな銀の徽章が光っていた。
「リオン……?」
可憐が首をかしげると、少年は胸を張り、きりっとした表情を作った。
「リオン・ハートフィールドです! 王様から命じられました。今日からカレンさんの護衛として、魔王の城までの旅に同行します!」
思いがけない旅の仲間の登場に、可憐は目をパチクリさせた。
「護衛、ですか? でも、リオン君はまだ若いし……」
「若くたって、剣の腕なら騎士団でも上位なんですからね!」
リオンは少しむっとしたように頬を膨らませたが、すぐに照れくさそうに笑った。
「それに、庶民出身の僕にとって、この国を守ることは本当の夢なんです。カレンさんが魔王様と話しに行くっていうなら、僕が絶対に守ってみせますよ」
その少年らしいまっすぐな瞳に、可憐は思わずクスリと笑みをこぼした。
「ありがとう、リオン君。心強い味方ができて嬉しいな。よろしくね」
「はいっ!」
シャミラン王は二人のやり取りを温かい目で見守りながら、静かに告げた。
「準備には二日を与えよう。必要な道具や食料はマルタに用意させる。……カレン殿、リオン。どうか、無事でいてくれ」
王の言葉に、二人は力強く頷いた。
窓の外の雨脚が、少しだけ弱まってきた。
雲の隙間から、ほんのりと白い光が差し込み、王城の石畳を優しく濡らしている。
異世界に召喚された普通の女・水越可憐の、静かで大きな旅が、いよいよ始まろうとしていた。
第3話をお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回は、シャミラン王の口から語られる双子の兄弟の過去と、デミグラスが抱えていた「理の限界への絶望」を描いてみました。ただの「悪役としての魔王」ではなく、それぞれが抱える孤独や優しさが少しでも伝われば嬉しいです。
そして、そんな世界の痛みにそっと寄り添うことを決めた可憐と、元気いっぱいの見習い騎士・リオンコンビの旅立ちがいよいよ近づいてきました!
次回から、本格的な異世界の旅がスタートします。
道中で可憐の力がどう活かされるのか、ぜひお楽しみに!




