シーズン3外伝 第一話 王都の雨上がりと、小さな迷子
皆様、こんにちは!『雨音が教えてくれたこと』外伝シリーズ第1話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、大きな戦いが終わったあとの平和な王都スペリオールが舞台。リオンと一緒にのんびり過ごしていた可憐の前に、一人の泣き虫な迷子の女の子が現れて……?
心温まる小さな日常のワンシーンを、ぜひお楽しみください!
グリーブ王国の王都スペリオール。
魔王デミグラスとの長い確執が解け、世界が穏やかな日常を取り戻してからも、王都を行き交う人々の足取りにはどこか活気が満ちていた。かつては暗い雲に覆われ、冷たい泥の雨ばかりが降っていたこの街も、今では青空の下で本来の美しさを取り戻している。
王城の一角にある庭園。
白亜の石畳が昨夜の雨で濡れ、朝の陽光を受けてきらきらと輝いていた。
「はあ……今日もいい天気だなあ」
ベンチに腰掛けた水越可憐は、大きく伸びをしながら深呼吸をした。
異世界に召喚されてからどれほどの月日が流れただろう。最初は戸惑いと不安しかなかったこの世界も、今ではすっかり彼女の「日常」になっていた。四つの理を統べる「雨の継ぐ者」として、各地の歪みを整える旅の合間、可憐はこうして王都でのんびり過ごす時間を大切にしていた。
「カレンさん、お茶をお持ちしましたよ」
声をかけてきたのは、騎士の制服をびしっと着こなしたリオン・ハートフィールドだった。
彼は手にした銀のトレイから、湯気の立つ上品なカップをそっとテーブルに置く。その表情は引き締まっているが、可憐に向ける瞳には隠し切れない優しさが滲んでいた。
「ありがとう、リオン君。いつもごめんね、こんなのんびりした時間に付き合わせちゃって」
「いえ、護衛の任務ですから。それに……僕にとっても、こうして平和な時間をカレンさんと過ごせるのは悪くないので」
リオンが少し照れくさそうに頬を掻いたのを見て、可憐はふふっと小さく笑った。
二人の間に流れる空気は、出会った頃のピリピリした緊張感とは似ても似つかない、穏やかで温かいものになっていた。
だが、その平和な時間は、ひとりの少女の登場によってあっさりと破られた。
「おねえちゃーーん!!」
甲高い、しかしどこか泣きそうな声が庭園の小道から響いてきたかと思うと、小さな影がすごい勢いでこちらに向かって突っ込んできた。
「わっ!?」
可憐が反射的に身構えた瞬間、その影は可憐のスカートの裾に勢いよく飛び込んできた。
「ぐえっ……!」
「こら、危ないぞ!」
リオンが素早く一歩前に出て可憐を庇おうとしたが、その足元にしがみついているのは、見慣れない小さな女の子だった。歳は五、六歳くらいだろうか。ボウシをかぶり、服には少し泥がついている。彼女は大粒の涙をぽろぽろと零しながら、可憐の服をぎゅっと握りしめていた。
「どうしたの? 迷子かな?」
可憐は慌ててしゃがみ込み、女の子の目線の高さに合わせた。
優しく頭を撫でると、女の子はしゃくり上げながらぽつりぽつりと話し始めた。
「ママと……市場でお買い物してたの……。でも、きれいなお花を見つけて、ちょっと離れちゃったら……ママがどこにもいなくなっちゃって……」
女の子の言葉に、可憐とリオンは顔を見合わせた。
王都の中央市場は、この時間帯になると行商人や買い物客でごった返す。小さな子供が一人で歩くには、少し広すぎて危険な場所だった。
「そっか、怖かったね。大丈夫だよ、お姉ちゃんたちが一緒にママを探してあげるからね」
可憐が優しく微笑みかけると、女の子は「ほんと……?」と不安そうに鼻をすすった。
「うん、本当。お名前はなんて言うの?」
「……エマ、です」
「エマちゃんね。可愛い名前だね。私はカレン、こっちはリオンだよ」
エマちゃんはこくこくと頷き、ようやく安心したのか、可憐の服を掴む手を少しだけ緩めた。
「さて、エマちゃんのお母さんを探すわけだが……」
リオンは腕を組み、難しい表情で考え込んだ。
「市場のどこかではぐれたなら、まだそんなに遠くには行っていないはずだ。中央広場の方へ戻るのが一番早いだろう」
「そうだね。エマちゃん、最後にママといたのって、どんなお店の近くだったか覚えてる?」
可憐が尋ねると、エマちゃんは小首を傾げた。
「えっとね、赤いおリボンがいっぱい飾ってあったお店……あと、甘いにおいがした!」
「赤いリボンと、甘い匂い……それって、北通りにある雑貨と焼き菓子の屋台街じゃないか?」
リオンがピンときたように言った。
「さすがリオン君、詳しいね!」
「王都の警備を任されている身ですから、そのくらいの土地勘はありますよ」
頼もしく胸を張るリオンをよそに、可憐はふと空を見上げた。
王都の上空には、いつの間にか薄い灰色の雲が広がり始めていた。昨夜の雨の名残ではなく、これから午後にかけて一雨来そうな気配の雲だ。
「ねえ、リオン君。なんだか雨が降り出しそうだよ」
「本当ですね……。エマちゃんのお母さんを探し出すのが先決だな。急ぎましょう」
三人はすぐに王都の市場へと向かった。
中央市場は、相変わらず活気に満ちていた。
しかし、「迷子の子供を探している」と知るやいなや、近くの果物屋の店主も、布を売る商人たちも、手を止めて協力してくれる。
「おや、あそこの可愛いお嬢ちゃんかい? さっき青いスカーフを巻いたお母さんが、青い顔して『エマ! エマを知らない!?』って走り回ってたぞ!」
八百屋の親父さんが威勢よく教えてくれた。
「青いスカーフの女性……! じゃあ、やっぱり北通りの方だ!」
リオンが走り出す。可憐はエマちゃんの手を優しく引き、その後を追った。
しかし、空の雲はますます厚くなり、ついにはぽつり、ぽつりと冷たい雨粒が石畳を叩き始めた。
「あ、雨が降ってきた……!」
エマちゃんが不安そうに身を縮こまらせる。
可憐は立ち止まり、そっと手のひらを上に向けて意識を集中させた。
「大丈夫だよ、エマちゃん。濡れないようにするからね」
可憐が心の中で大気の水分へとそっと語りかけると、彼女の足元から淡い蒼白の光が広がり、エマたちをすっぽりと包み込むような微細な「透明のヴェール(雨よけの風と微粒子の層)」を作り出した。
頭上に落ちてくるはずの雨粒は、可憐たちの頭上でふわりと軌道を変え、左右へと流れていく。
「わあ……! 雨が降ってこないの……?」
エマちゃんは目を丸くして見上げた。
「うん。お姉ちゃんのちょっとした魔法だよ。だから安心して」
その様子を見ていたリオンは、苦笑しながらも感心したように頷いた。
「相変わらず、カレンさんの力は変幻自在だな。雨を降らせるだけじゃなく、雨から守ることもできるなんて」
雨足が少し強くなってきた北通りの一角。
「エマ――!! エマ、どこにいるの――ッ!?」
切羽詰まった女性の悲鳴のような声が、人混みの中から聞こえてきた。
青いスカーフを首に巻いた、疲労の色が濃い若い女性が、道行く人に片っ端から声をかけている。
「ママ……!」
エマちゃんがパッと手を離し、その女性に向かって全力で走り出した。
「エマっ……!? よかったぁぁぁ……っ!」
女性はしゃがみ込み、エマちゃんをぎゅっと強く抱きしめて、大粒の涙を零した。エマちゃんも「ごめんなさい、勝いなくなってごめんなさい……」と声を上げて泣きじゃくる。
少し離れた場所から、その光景を温かい目で見守っていた可憐とリオンは、自然と笑みをこぼした。
「よかったですね、無事に見つかって」
「うん。本当によかった」
母親に手を引かれたエマちゃんが、こちらに向かって大きく手を振った。
「おねえちゃーーん! おにいちゃーーん! ありがとうーー!!」
可憐も手を振り返し、小さくうなずいた。
やがて、雲が切れ、王都の上空に眩しい太陽の光が戻ってきた。
雨上がりの石畳が濡れて光り、どこか新緑の香りが風に乗って漂ってくる。
「さて、僕たちも城に戻りますか」
リオンが空を見上げながら言ったそうだ。
「そうだね。あ、そうだリオン君、帰りにあの北通りの屋台で、温かい焼き菓子買って帰らない?」
「ふっ、いいですね。護衛の特権として、付き合いますよ」
青空の下、二人は並んで王都の道を歩き出す。
世界を救うような大げさな奇跡じゃなくても、こうして誰かの日常を守り、小さな笑顔を繋ぐこと。それこそが、可憐がこの世界で見つけた、何よりもかけがえのない宝物だった。
シーズン3外伝・第1話をお読みいただき、ありがとうございました!いかがでしたでしょうか?
世界を救うような大げさな奇跡ではなく、目の前の誰かの困りごとに寄り添い、小さな笑顔を繋いでいく。そんな可憐らしい優しさと、リオンとのほっこりする空気感を描いてみました。外伝ならではの穏やかな時間を楽しんでいただけていれば幸いです!




