「お母様」は諦めない
「(わがまま放題の)妹のような存在」になるならその原因があるのでは?と思って書きました。
ひどく気がかりな夢から目を覚ますと、そこはよく知るわたくしの寝室だった。
垣間見える窓の外はまだ暗く、隣の部屋では幼い娘がまだ眠っている時間であることを教えてくれていた。
ああ、わたくしの可愛いレジーヌ、あなたがまさか侯爵家の結婚を壊してしまうことになるなんて……。
その行動を持ってわたくしたちのミレェ男爵家はおとりつぶしとなった……。
そしてその遠因は、わたくしの……
わたくしは震えながら、枕元の水差しから水をついだカップを手に取った。
一口、二口。
そうしている間も手の震えはなかなか止まらない。
ああ、なんてこと。なんて悪夢。
それでも……そうしているうちに、心は落ち着いてきた。
きっとこれは一昨日からの嵐の、その音に心細くなったゆえの幻よ。
旦那様が王都からしばらく戻られないから、怖くなってしまったのよ。
そう結論付けようとしたその時、寝室の扉にせわしないノックがあった。
「……どうしたの」
「奥様、朝早く申し訳ございません。近隣の村で、がけ崩れが」
家令の声に息が止まる。
それは、夢のはじまりにあったできごと。
そう、ノックの音すらも同じ……わたくしは慌てて思い出そうとした。
もしあれが先見の夢見であったとしたら……起きあがり、寝間着の上からガウンを羽織って扉越しに家令に命じた。
夢の中でわたくしは何もできなかった。否、しなかった。
けれどわたくしには今何をすべきかがわかる。
「すぐに被害を調べなさい。結果はわたくしと王都の旦那様に送って。旦那様は王都で必要なものを手に入れてくださるわ。調べている間に、他のものに領主館の庭を解放させるの。野営用の天幕があったはずよ、それを張って被災者を受け入れなさい。地面には板を敷いて。それから台所のものたちにはお湯を沸かすように伝えて。汚れた水で身体や傷口は洗えないわ。お湯が用意できたら治療を。リネン室の布を包帯や止血に使いなさい。血で汚れれば使い捨てにするのだから、古い布でいいの」
扉の向こうで家令が息を呑んだ。
そうね、昨日までのわたくしは、何も知らないという顔をしていたのだから。
そして、何もしたくないと館からほとんど出ることはなかったのだから。
この命令自体は、夢の中の旦那様の判断によるもの。借り物よ。
でも借り物でもすぐに実行するべきなら、使うべきよ。
やはり慌ただしく家令は扉の前から去って行った。
その後、見習いの女中に服を着せつけられたあと、連れてこられた娘と朝食を摂る。
食欲は無いけれど、不安そうな娘を見ていれば無理にでもパンを呑みこんで娘を心配させないようにしないと。
そして使用人たちすべてに具入りのスープや干し肉などの栄養のあるものを摂らせてから、避難してきた領民の食事を作らせた。
優先すべきは命。
だけどわたくしや娘、使用人たちの分を決して譲ってはならない。
守る側が倒れてはならないからだ。
避難民を館にいれないのも、そう。
館内はわたくしたち家族や使用人の安全のために、線引きをしなくてはならない。
被害の報告が入ればすぐにそれに対応する行動をする。
わたくしの命令に従って、庭は草木も見えないほどの天幕が張られ、その下には大量の土砂から逃れてきた者たちが体を休めている。
しかし館内は対応のためにせわしなく人が行き来するほかは平穏を保っていた。
避難民にはまず場所、食、安全という安心を与える。
夢の中でわたくしはそれをしなかったから、不満を持ったものたちが暴徒となって館内を荒らした。
その手がわたくしや娘に届く前に夫が護衛兵とともに帰還し……その者たちは結果として処されたけれど、その分の不満もまた上積みされ、長くわが領の病根となりはてた。
夢の中のわたくしは何もできない……しないまま夫の到着を待つばかりで、不満を育ててしまっていた。
……今度は、そうしない。
まずこの災害。ここに最初のレジーヌの歪みの芽がある。
それを摘むの。
必死で夢の中の夫の対応を思い出し、真似て災害への対処をしつづけ、夜は不安に震える娘を抱いて寝付かせ……疲れ果てた頃、夫が領主館に到着した。
帰還の日は夢の中よりも遅かったが、それは被害状況から必要なものを王都で買い集めてのもの。
彼はわたくしを見るなり、駆け寄って抱きしめた。
ああ、なんて、なんて……。
わたくしは彼の腕の中で、貴族夫人らしからぬ表情で泣いてしまった。
安堵したことと、……幸せとで。
「よく……よく耐えてくれた」
それは夢の中と同じ言葉。
でも「悪化する状況の中で病を口実になにもできなかった妻」と、「悪化を食い止めようと行動した妻」にいうのとでは、全然違って聞こえたわ。
わたくしは夢の中を思い出す。
夫が帰還しても、暴徒の侵入に怯えたわたくしは、災害への対処に忙しい夫を何度も呼び出した。
災害で病が悪化したことを口実として。
それを娘は見ていたの。そうすればわがままを聞いてもらえると思ってしまったの。
けれど今は……わたくしは暴徒の発生そのものを止めた。
これは大きいはずよ。
そしてこれからわたくしと夫が奔走する姿を見せれば、「賢婦人かくあるべし」と逆のことを娘に教えられるはず。
この災害におけるもうひとつ大きな芽も、これで潰せたはず。
夢の中、災害が起きたこと以外なんの情報もなく帰還するしかなかった夫は、必要な物資を周囲に乞い願うしかなかった。
そう、近隣にあるラバール公爵家に。
寛大な閣下はすぐにと物資を我が領に分けてくださったばかりか、忙しい大人たちの中に一人残されていた―――わたくしが己の欲に従ったばかりに―――レジーヌを公爵家にあずかってくださった。
けれどそれが未来の大罪のはじまり。
夢の中で閣下の御子息に懐いてしまったレジーヌは、その幼子の感覚のままで育ち、幼子のわがままを通して御子息の婚約を台無しにしてしまった。
「病を言い訳にすれば、好きな相手に好きなようにふるまってもよい」、つまりはわたくしのわがままが家とレジーナを殺してしまったも同然。
それが潰せたことに、わたくしはほっとした。
そして……安堵と慣れない災害への対処での疲労のために、わたくしは夫の腕の中で気をうしない、床に就いて三日三晩も目を覚まさなかった、らしい。
メイドが説明とともに差し出した果実水を受け取る。
心ひとつでも体を支えられるものね。……逆もしかり。
心で身体を蝕んだのが、夢の中のわたくし。
果実水で喉を潤したそのとき、夫が部屋に駆け込んできた。
「ああ……」
そのままの勢いで抱きしめられて、首元でため息が聞こえた。
「私の愛、私の家、なんて無茶をしたんだハニー。まるで私の望みを叶えたかのような働きぶりだった。君は、我が領を救ったんだ」
わたくしは苦しいほどの抱擁に苦笑しながら、果実水のカップをメイドに渡す。
「ダーリン、とっても苦しいわ。わたくしは、あなたのしそうなことを考えて、おこなっただけ。だからあなたの代理をしただけなの」
ああ……夢の中ではどれだけ求め呼び寄せても満たされなかった心が満ちていく。
「あなた、わたくしはもう大丈夫」
だからそんな言葉が自然に口から出たわ。
「だから領民たちを早く安心させてあげて」
「ああハニー、そちらこそもう大丈夫なんだ。レジーヌも館内でずっといい子にしてくれていたよ。君に会いたがっているよ」
「まぁ」
それならば芽を摘むことができたのだわ……。
わたくしの夢……悪夢は、この災害のあとも続き、さらにわたくしの死後まで続いていた。
わたくしはこの災害のあと、心の弱りから体の病を呼び込んで寝付いてしまう。
王都に戻った夫をことあるごとに領地へと呼び寄せて―――それで夫を疲弊させてしまって―――その末に死んだ。
ええ、最後まで夫の愛に餓え、それでいて与えられても満足せず、もっともっとと乞うては貪り尽してもなお、足りないと愛に飢えて死んだのよ。
災害が落ち着くと夫は王都のタウンハウスへと戻り、わたくしは今期の社交シーズンは王都に出ることはやめて領地の復興に専念した。
弱い体を鍛えるため、被害の有った村を中心に領内の村を視察で回り、実態を調べ、夫と調査の名目で文通をしていたのだけれど……中に溢れる愛の言葉は、これを領地経営の下敷きにするのをわかっているのかと思ってしまったわ。
そして―――わたくしがあれほどに怯えていた―――心の餓えは、一度もわたくしを苛むことはなく、わたくしの胸の中は満たされたままだった。
「あなたが、レジーヌ・ミレェ男爵令嬢?」
「はい。私を呼ばれましたか?」
私は声をかけてきた上級生の女性へとむきなおる。
入学したばかりの王都の学園は、右も左もわからない。
もしかしたらお父様やお母様のお知り合いなのかしら。
私と同じ制服ではあっても、形が同じだけで質ははるかに上。
どなたかしら……上級生だし、おそらく身分も上の方でしょうと、私はあらためてカーテシーをして顔を伏せ、彼女の言葉を待った。
「ええと、貴女は体が弱いと聞いていたのだけれど」
「はい、幼い頃に。母が領地で静養させてくれましたので、今は健康な体になり、学園に入学も叶いました」
「そう、そうなのね」
驚いたような声で見知らぬ令嬢は応えた。
どうなさったのかしら……
「その、あなたはラバール公爵はご存知かしら」
「はい。閣下には領地が近隣ということで、父母ともにお世話になっております。もしや公爵家の御方でいらっしゃいますか? 失礼いたしました、御挨拶にもうかがわず」
「あ、いえ、違うの」
もしかして人違いなさったのかしら。……いいえ、私の名前をご存知なのだし。
もしかして、デビュタントまで領内に引き込もっていたからよろしくない噂が流れてしまっていたのかも。
「―――なんてこと。あれはやはり悪夢でしかなかったのね」
私は嘆きから、上級生の戸惑いを聞き逃していた。
「……わたくしは、シュゼット・トゥーヴロン。オーバン・ラバール公爵令息の婚約者です。ラバール公爵家に嫁ぐので、寄り子となる家の新入生の娘さんを知ろうと思っただけなの」
「まぁ、そうですの。こちらこそよろしくおねがいいたします、トゥーヴロン侯爵令嬢」
「シュゼットでよろしくてよ。学園生活は数年ですけれど、困ったことがあったらわたくしにお聞きなさいね」
「ありがとうございます、シュゼット様!」
なぁんだ、そうですのね。
ほっとした私は、シュゼット様もまたほっとしていることをまったく見れていなかった。
ああよかった、良い学園生活になりそうだわ。
母は夢でのお告げに従い、領地を守ったのだという。
たぶんそれは御伽噺にしたてあげて、母の功績をやんわりと隠すためのものだったのだろう。
父の手腕をかたわらで学び、かつ父不在のときの不運な災害をのりきった母は、領地では聖女のごとくあがめられている。
けれどそんなことはないのよと。わたくしは夢のなかのものに従っただけよと。
母はそっと御伽噺に己の功績をくるんでしまった。
その上で、お父様がちゃんとお手紙で教えてくださったのとも、父の書面を見せてくれた。
たしかにその書面には、領地に必要な指示や、逆に王都に留まる父に必要な情報を送ってほしいという指示があったけれど、その倍も母に対する気づかいや愛の言葉があって。
読みながら耳まで赤くなってしまったのだけれど、……見せてくれた母の耳も同じほどに赤かった。
両親のように信頼しあえるお相手ができればよいのだけれど……。
読んでいただきありがとうございます。




