勧誘
腐敗した湿地帯、その入り口近くに一人佇む影があった。
漆黒の全身鎧を身に纏い、背には変質して龍の皮膜となったボロボロのマントをなびかせる男――ジーク。
彼が歩くたび三つに分かれた鉤爪状の足甲が泥を深く抉り、その重量感だけで周囲の空間が軋むような錯覚を覚えさせる。
ふと足を止め、兜のスリットの奥で濁った赤光が霧の向こう側を射抜いた。
「隠れてないで出てきたらどうだ?」
ジークの口から漏れた声は、以前よりも低くどこか金属が擦れるような響きを帯びていた。
直後、霧を切り裂き、三人の男女が現れる。
中央に立つのは、重厚な深紅の鎧に身を包んだ大男。大手ギルド『鉄の旅団』の副団長、ガレウスだ。彼の背後には、浮遊する魔導書を構えた女魔導師セリナと、逆手に持った短剣を弄ぶ細身の男ラルが控えていた。
「君がソロでオーク・ジェネラル倒したというジーク君かね」
ガレウスが、担いでいた巨大な戦槌を泥の上に突き立て、ズシンという鈍い音が湿原に響き渡る。
「……なんの用だ」
「要件は一つだ、君を勧誘しに来た。うちのギルド『鉄の旅団』は、君みたいな優秀な人材を集めている。君が手にしたその力、そしてその異質な装備、独り占めにするには少々過ぎた玩具だろう? うちに入ればその力を最大限に活かす場と、相応の報酬を必ず約束しよう」
「それが勧誘、だと?」
ジークは低く笑った。いやそれは笑いというよりは、腹の底から漏れ出す獣の唸りに近かった。
「馬鹿らしい。俺一人で十分だ。ギルドなんて入らん」
「ふふ、血の気の多いこと」
背後でセリナが、感情の欠落した声で呟いた。
彼女の周囲を浮遊していた魔導書の一冊が、意思を持っているかのようにパラパラと高速でめくれ始める。それに呼応するように、周囲の魔力が急速に一点へと凝縮されていく。
「あんたが倒したオーク・ジェネラルはね、本来なら私たちがギルドの総力を挙げて『演出』と共に倒すべき獲物だったの。それを一人で掻っさらったんだから、落とし前はキッチリつけてもらわないと困るのよ」
「……あーあ。俺はどっちでもいいんだけどさ。あんたのその鎧、すごく高値で売れそうだよなぁ」
短剣使いのラルが、影に溶け込むように腰を落とし、その瞳には隠しきれない強欲さと残虐さが滲んでいた。
ガレウスが重々しく嘆息し突き立てていた戦槌を再び肩に担ぎ直した。その動作には、もはや対話の意思は含まれていなかった。
「残念だよ、我がギルドの厚意を無下にするとは。しかし勧誘しといて手ぶらで帰るのは、うちの面子に関わるのでね、倒させてもらうよジーク君」
最初に動いたのはラルだった。
「魂源――【瞬影の凶刃】!」
ラルの姿が、一瞬で視界から消え去る。単なる高速移動ではない自身の質量を一時的に希薄化させ、システム上の移動制限を無視する固有能力だ。
ジークの背後、首筋を狙った音速の二連斬り。
「死ね!」
キィィィン!!
金属がぶつかり、火花が散った。だがジークは振り向きもしない。
彼の背を覆う「皮膜のマント」が、生き物のように跳ね上がり、淀んだ空気を裂いて迫ったラルの短剣は、その表面に触れた瞬間甲高い音とともに弾き返され、火花だけを残して逸れた。
「なっ……マントが、防いだだと!?」
『特性:[這い寄る龍鱗] 発動』
『物理衝撃を吸収。MPを2%回復。衝撃を反動エネルギーとして蓄積します』
ラルの驚愕はもっともだった。この『エターナルクロニクル』において、防具が意思を持って自律防御を行うなどという仕様は、魂源アニマがあったとしても一般のプレイヤーが知る範囲にはまだ存在しない。それは防具の枠を超えた、生命の挙動そのものだった。
「かっこいいなこれ。まさに理想の『自動防御』じゃないか!」
ジークは、新装備の高性能に心からの満足感を覚えていた。
「ちっ……! 化け物じみた装備だぜ! だがな、一発防いだくらいで調子に乗るんじゃねぇ!」
ラルが再び影に溶け込もうと跳躍する。彼の魂源【瞬影の凶刃】は、その速度と不可視性によって相手を翻弄し、一瞬の隙に致命傷を叩き込む暗殺特化の能力だ。
だがその瞬間、吸収された反動エネルギーがマンタから腕へと移動し始めた。煤けた黒い鋼鉄の表面をドクドクと脈打つ鮮血のように赤黒いラインが走り抜け、籠手へと収束していく。
ゆっくりと、首だけを後ろに傾けた。
兜のスリットから漏れる紅い光が、影に潜むラルの姿を正確に捉える。
「ーー遅いな」
足元の泥沼が弾け飛び、ジークは文字通り一瞬でラルの眼前に躍り出た。重厚なフルプレートアーマーを纏っているはずの質量が、物理法則を無視した加速で迫る。
ラルが恐怖に目を見開き、防戦のために短剣を交差させた。そこへ、赤黒く脈打つジークの籠手が無造作に叩き込まれる。
ドォォンッッッ!!
拳が触れた瞬間、溜め込まれていた「衝撃」が一気に解放された。それは単なる殴打ではない吸収したラルの攻撃エネルギーに、ジーク自身の異常な筋力が上乗せされた、純粋な破壊の奔流だ。
パキィ!硬質な音と共に、ラルの愛用していたレア級の短剣が飴細工のように粉々に砕け散った。そして籠手が胸に当たり、衝撃波は彼の胸部装甲を貫通し破壊する。
「ガハッ……!? あ、ああ……」
ラルは悲鳴を上げることすら許されず、胸から上が消失したかのような衝撃を受け、そのまま数十メートル後方の沼へと吹き飛ばされた。水柱が上がり、彼は一度も浮き上がることなく光のポリゴンとなって霧散した。
「……ラル!? 貴様、よくもッ!」
副団長ガレウスが、怒りに顔を真っ赤に染めて巨大な戦槌を振り上げた。
「おのれえぇぇ! 魂源――【大地の怒槌】!」
戦槌の周囲にが異常が発生し、周囲の泥が渦を巻いてガレウスの武器へと吸い寄せられていく。一撃で地形を変えボスクラスのHPを三割削るという、ガレウス最大の必殺技だ。
「セリナ! 同時に叩き込め!」
「了解。……凍りなさい!――【凍てつく嘆き】!」
魔導師セリナが魔導書を高く掲げると、湿地帯の泥水が瞬時に凍りつき、ジークの足元から巨大な氷の棘が次々と突き出して凍りついた。移動を封じ、防御力を低下させる範囲拘束。
ジークの足が氷に閉ざされ、頭上からは隕石のごとく戦槌が迫る。
絶体絶命。
少なくとも、旅団の面々から見ればそう見えたはずだった。
「なぁ……この距離で食らえば、どうなると思う?」
問いに応える者は誰もいなかった。いや、応える余裕などなかった。
頭上から迫るガレウスの戦槌が、空気を圧縮し、重力そのものをねじ曲げながら脳天へと叩きつけられようとしていたからだ。
「死ねぇッ! 雑魚がぁ!!」
必勝を確信した男の顔には勝利の愉悦が浮かんでいた。だが、その瞳に映るジークの姿が次の瞬間「変貌」を遂げた。
――ドクンッ。
ジークの頭部を覆う無骨な鉄兜。その表面に、血管のような赤い亀裂が走り、内側から粘つくような『黒』が噴き出した。
鋼鉄がドロドロと腐肉のように溶け崩れ、その空洞の奥から、無数の漆黒の触手が狂ったように這い出してきたのだ。触手は意思を持つ生き物のように互いを編み込み、強靭な筋繊維となって膨れ上がる。
兜の前面、本来なら覗き穴があるはずの場所には、瞬く間に二つの眼球』が形成された。爬虫類を思わせる縦長の瞳孔を持ち、その奥には銀河の深淵を閉じ込めたような絶望的な暗黒が広がっている。
頭頂部からは、天を突く二本の歪な角がねじれながら伸び、こびりついた返り血を吸って禍々しく発光した。顎は異常なほどに大きく裂け、その隙間からは、岩石をも噛み砕く無数の牙がぎらつき、喉が不気味に鳴動を始め、胸部の装甲が呼吸に合わせて大きく唸る。
【固有スキル:龍の咆哮(下位・不完全)】
「な……んだ、それは……!? 何なんだ、お前はぁッ!!」
ガレウスの悲鳴。戦槌がジークに触れる、その数センチ手前。
ジークが「龍の顎」を限界まで開いた。
「グオォォォォォォォォォォッ!!!!!!」
それは『音』ではなかった。
圧倒的な質量と、この世の全ての生命に対する憎悪を煮詰めた『破壊の波動』だ。
ドゴォォォォンッ!!!
正面から激突したガレウスの戦槌が、咆哮の圧力に触れた瞬間、粉々に砕け散った。泥など全て弾き飛ばされ、エネルギーは全てガレウスの体へと跳ね返る。
「ガハッ……!? あ、あああ……っ!」
ガレウスは絶叫を上げる間さえ与えられなかった。
咆哮の直撃を受け、彼の重厚な防具は一瞬で剥ぎ取られ、その下の肉体もポリゴンとなって散る暇さえ与えられないまま、波動に飲み込まれて霧散した。
衝撃波は止まらない。
ジークの足元で彼を拘束していた氷の棘は、一瞬にして蒸発。背後に控えていた魔導師セリナが放った魔法も、紙屑のように引き裂かれた。
「ぎゃァァァァ!!!耳がぁ!!」
咆哮の余波は湿地帯の霧を全て吹き飛ばし、扇状に広がる破壊の跡を作り上げた。セリナの体は、逃げる間もなく波動に叩きつけられ、そのまま泥の中へと消し飛んだ。
湿地帯の入り口近く、咆哮が通り過ぎた後には半径数十メートルの「空白の地形」が形成されていた。巨木は折れ、泥沼は深く抉れてそこには草一本残らない地獄の光景が広がっている。
あまりの破壊に、システムすらもが処理落ちを起こしたかのような、重苦しい沈黙が辺りを支配した。
ジークはゆっくりと口から煙と息を吐き出す。
そして龍の頭部と化した兜が、再び不快な音を立てて溶け崩れ、元の無骨な鉄の兜へと戻っていく。
「……ふぅ。最高だな、このスキル。しっかし派手すぎて、自分でも少し引くぜ」
ジークは一人、兜の中で口角を吊り上げた。
彼には見えていなかった。自分の影がかつてのような「地面に落ちる光の遮断」ではなく、まるで底なしの沼のように、周囲の光を物理的に飲み込みながら唸って波打っていることを。
そして、その影の中から黒い粒子がジークの足首に絡みついていることを。
【戦闘終了:「プレイヤー」3体を討伐】
【プレイヤーの魂源を部分的に捕食しました】
【レベルが大幅に上昇します:12→15】
【固有能力:■■■の龍騎士】
• 進行度:9.5%
• 第一段階『這い寄る龍鱗』発現中
•「龍の皮膜」が背後からの攻撃を自動防御します。
「……? アイテムドロップはなしか。まあ、これだけ派手にぶっ飛ばせば、システム的に消滅しちゃうこともあるのかもな」
「さて……次はどうするかな。レベルも上がったし、そろそろ街に帰るか」
ガシャリ、と一歩を踏み出した。
泥濘んだ地面に鋼鉄の鉤爪が食い込み、不快な金属音を響かせる。その足音はもはや人間のではなかった。
一歩ごとに、鎧の隙間から「ミシリ……」という生体音が漏れ、ジークが大きく肩を回すとマントの基部から生えた「龍の皮膜」が本物の翼のように力強く羽ばたき、周囲の霧を一気に吹き散らす。
◇ ◇ ◇
【エタクロ】新エリア『腐敗した湿地帯』攻略スレ Part.3
892. 名無しの冒険者
おい、今の見たか……?
893. 名無しの冒険者
見たというか、地響きで吹っ飛ばされたんだが
894. 名無しの冒険者
湿地帯の入り口近くで、何かが爆発したような音がしたぞ
マップの地形データがリアルタイムで書き換わってるんだが……これ、バグか?
895. 名無しの冒険者
バグじゃねぇ! 今、現地にいた奴から連絡があった!
『鉄の旅団』の副団長ガレウスのパーティが全滅したらしい!
896. 名無しの冒険者
は!? ガレウスだぞ!?
あのガチ勢装備で固めた、サーバー屈指のタンク職だろ!?
897. 名無しの冒険者
……一撃だったって
ジークとかいう例の『騎士』が一言吠えただけで、ガレウスも魔導師も、全部消えたって言ってる
898. 名無しの冒険者
嘘だろ……咆哮だけでエリアボス級の破壊力かよ
899. 名無しの冒険者
写真が上がってるぞ、見ろこれ
[画像:抉り取られた湿地帯の惨状]
900. 名無しの冒険者
……これ、隕石でも落ちたのか?
901. 名無しの冒険者
いや、中央に立ってるあいつを見ろ
あんな禍々しい黒い鎧、初期装備のリストにねーよ
902. 名無しの冒険者
「人間じゃない」って噂マジだったのか……
旅団が本気で動き出すぞ、これは
903. 名無しの冒険者
てかさっきの遺影とか言ってたやつ生きてるぅー?
次に「人の形」してないのお前かもな
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