捕食
陽光が降り注ぐ『風凪ぎの草原』を、一歩また一歩と踏みしめる音が響く。
ガシャリ、ガシャリ、という重厚な金属音。それは他のプレイヤーたちが鳴らす軽快な足音とは一線を画す。
ジークは、自身の肉体を包む鋼の感触に酔いしれていた。
最新型の仮想現実技術が再現する重量感は、彼の肩に心地よい圧迫感を与え、指先一つ動かすのにも「鎧を動かしている」という確かな実感を伴わせた。
彼が纏うのは、初期装備の中でも最も重く、そして最も無骨な『プレートアーマー』だ。装飾など一切ない、ただ敵の刃を跳ね返すためだけに鍛え上げられた鉄の塊。
「やっぱりこれだよな、これこそが俺の求めていた『騎士』の姿だ」
兜の奥で、ジークは満足げに口元を歪めた。
彼にとって、このゲームにおける効率や勝敗などは二の次だった。重要なのは、自分が思い描く「理想の騎士像」をどこまで純粋に、そして格好良く体現できるかその一点に尽きる。
彼が授かった魂源『■■■の龍騎士』。
文字化けのように伏せられたその三文字は、未だその真価を隠している。しかし、ジークはその名に含まれる「龍」という二文字に、無限の可能性と王道のロマンを感じていた。
そして草を掻き分け奥へ進んだジークは、不意に足を止めた。
次の瞬間、視界の端の茂みから濃い影のような何かが連続して飛び出す。
『グレイファング』草原に生息するウサギなどとは比べものにならないほど凶暴で、連携した集団狩りを得意とする獣だ。
気づけば四頭の狼が、逃げ道を塞ぐように円を描き、低く喉を鳴らしていた。
「集団での奇襲か、いいぞ」
ジークは口元にわずかな笑みを浮かべ、ゆっくりと大剣を抜き放ちジャキィィン! という鋭い音が響く。
一頭の狼が鋭い牙を剥き出しにして跳躍した。
ジークは避けない避ける必要などない彼は一歩踏み込み、大剣を横一文字に薙ぎ払った。
「はぁッ!!」
システムによる動作補助が働き、大剣の理想的な軌道を描いて空を裂く。
ズンッ!!
その瞬間、切っ先から黒い粒子が噴き出すように溢れ、刃の軌跡をなぞって宙へ散った。
小さな粒子は生き物のように蠢きながら狼へと絡みつき、触れた場所から静かに侵食を始めた。黒い粒子は断面へと染み込むように広がり、肉も骨も残さず喰らい吸い尽くしていき、やがて存在そのものが消滅する。
残された三頭のグレイファングが、わずかに後退った。
仲間の気配が唐突に消えたことを、本能が理解したのだろう。低く唸りながらも距離を測り、円を描くように足運びを変える。獲物を仕留める側だったはずの獣たちが、今は逆に“何か”を警戒していた。
ジークは追わないただ静かに大剣を構え直す。
刃の周囲では、先ほど狼を喰らった黒い粒子が名残のように漂っていた。
次に動いたのは二頭同時だった。左右から挟み込むように地を蹴り、牙を閃かせて飛びかかる。連携して獲物の死角を突く、グレイファング本来の狩りだ。
だがジークの視界には、彼らの動きがスローモーションのように映っていた。
「遅い」
呟きと共に、重厚な鉄の具足が地面を踏みしめる。
振り上げられた大剣は、その巨大な質量を無視したかのように、羽毛のごとき軽やかさで宙を走った。
腰を捻り、力強く振り下ろされた瞬間、黒い粒子が爆ぜる。空間そのものが裂けたかのような軌跡が走り、正面から迫っていた一頭の狼を頭頂から真っ二つに断ち割った。
通常、モンスターが倒れれば光のポリゴンとなって霧散するはずだ。しかし、この狼の断面からは溢れ出した黒い粒子が肉体へと逆流し、瞬く間にその存在を「侵食」していく。絶命の悲鳴を上げることすら許されず、狼の体は地面に崩れ落ちるより早く、背後の虚無へと吸い込まれるように消え去る。
その背後へ回り込んでいたもう一頭が牙を突き立てようとする。だが刃は止まらない、振り下ろされた勢いのままジークは身体を捻った。
横薙ぎ、黒い軌跡が弧を描く。
胴を断たれた狼は跳躍した姿勢のまま空中で、上下に分かれて地面へ落ちた。
黒い粒子が群がり、骨も肉も、血の一滴すら残さず喰らい尽くす。
残るは最後の一頭。
仲間の消滅を目の当たりにした狼は唸り声を上げたまま動けずにいた。
逃げるべきか、それとも誇りをかけて飛びかかるべきか。生存本能が警鐘を鳴らし続け、心が完全に揺れ動いている。
ジークはゆっくりと視線を向けた。
「あと一匹か」
次の瞬間、狼は魂を振り絞るような咆哮を上げ、弾かれたように突進した。
一歩、ジークが地を踏みしめる。その衝撃は単なる踏込みではない。
「ズゥンッ!!」という、大気がひしゃげるような重低音が草原を震わせ、足元の空間そのものが重圧に耐えかねて沈み込んだ。
迎撃の構えは、暴虐なまでの「強者」のそれだった。大剣が静かに、そして絶対的な速度を伴って振り抜かれる。
もはや風を切る音さえ置き去りにしていた。ただ、漆黒の粒子だけが、体を侵食していく。
狼は数歩、慣性に引かれるまま走り――そして、糸が切れた人形のようにピタリと止まった。
その首元には、虚無をなぞったような細い一条の線が浮かんでいる。
わずかに遅れて、頭部が重力に従って滑り落ちた。
だが、断面から鮮血が噴き出すことはない。切り口から溢れ出したドロドロとした黒い霧が、溢れんばかりの食欲で死体を包み込み、その存在を抹消した。
残された黒い粒子はゆっくりと宙を漂い、主の元へ帰るように大剣の周囲へと引き寄せられる。そして刃を撫でるようにまとわりついた後、何事もなかったかのように静かに刀身へと吸い込まれて消え去った。
【戦闘終了:「グレイファング」4体を討伐しました】
【レベルが上昇します:1→2】
【固有能力『■■■の龍騎士』の進行度が上昇します】
• 進行度:0.8%
• 同化率:微増
【称号を獲得しました:『静かなる捕食者』】
• 効果:周囲の生物に微弱な『根源的恐怖』を与えます。ただし、主には「龍の威厳」として認識されます。
「すげぇ! なんだこの能力。てか、なんでだ? ウサギの時は威圧されて動けなくなっていたのに、こいつらには効かなかったのか?」
ジークは小首を傾げ、不思議そうに言った。
彼がそうして悩んでいる間にも、周囲の情景は刻一刻と変貌を遂げていた。
先ほどまでそこに群れがいた証拠であるはずの死体も、飛び散った血痕も、蹂躙された草むらさえも。すべては足元に広がる「黒い影」へと、音もなく飲み込まれていったのだ。
地面はまるで最初から何もなかったかのように、不自然なほど滑らかに整えられていく。だがその怪奇現象に怯えるどころか、ちゃんとしたゲームだと満足げな笑みを浮かべる。
「まぁちゃんと戦えていいか。格好いいエフェクトも見られたしな」
ジークが刃を傾けると、刀身の根元、鍔に近い部分の鋼鉄が、まるで生き物の皮膚のようにわずかに波打っているのが見えた。
◇ ◇ ◇
太陽が過ぎ、空の色がわずかに濃くなり始めた頃。
ジークは草原の果て、巨大な樹木が立ち並ぶ『静寂の森』の入り口に立っていた。
そこからは、これまでの草原とは比較にならないほどの不穏な気配が漂ってきている。
「さて、ここからが本当の試練というわけだ」
背負った大剣の無骨な柄を、確かめるように強く叩く。
「唯一無二の最高でカッコいい騎士になる。そのためにも、もっと強い敵が必要だな」
ジークは不敵な笑みを浮かべると一切の迷いなく、光を拒む暗がりの奥へと足を踏み入れた。
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