深淵迷宮2日目 終了
21層への重厚な扉を押し開いた瞬間、ジークは思わず半歩後退し、息を呑んだ。
――床がない。
正確には、安定して立っていられる「床」と呼べる平面が存在していなかった。眼前に果てしなく広がるのは、一切の光を飲み込むような絶対的な黒い虚空だ。
その漆黒の空間のあちこちに、大小さまざまな形状の岩盤が、まるで重力を無視するかのように静かに浮遊している。恐る恐る足元の縁から下を覗き込んでみたが、ただ底知れぬ暗闇が無限に続いているだけで、地面の存在を微塵も感じさせない。
落ちれば即死、いや、システム的な死を迎えるまで永遠に落ち続けるのではないかという錯覚すら覚える、胃の腑がせり上がるような光景だった。
誤って足を踏み外し、あるいはモンスターとの戦闘の果てに転落死を遂げたプレイヤーたちの悲惨な残骸だった。このゲームのシステムでは、プレイヤーの命たるHPが尽きて消滅しても、しばらくの間はデータとしての「痕跡」がその場に残り続ける仕様らしい。
(……使える)
ジークの口元に、冷酷な笑みが浮かんだ。迷うことなく最初の岩盤へと軽く跳躍して飛び移り、岩の端に無惨に引っかかっていた重装甲の残骸の前に立つ。
「……起き上がれ」
深淵なるスキルの効果が、静かな虚空に発動する。ジークのMPゲージが僅かに減少し、代わりに足元の残骸から粘り気のある黒い霧がどろりと滲み出した。
ギリギリ、ゴキリと、耳障りな骨の軋む音が響く。黒霧の中から立ち上がったのは、元のプレイヤーが身につけていたであろう装備の残滓を纏ったスケルトンだ。腰には無骨な骨の刃を帯びている。
(なるほど。落下死したプレイヤーの死骸すらアンデッドの触媒として使えるなら、転落の危険が常につきまとうこの21層は、俺にとって最高級の素材の宝庫だ)
【HP:106/106】
【MP:88/120】
【召喚数:7/∞】
進み始めてすぐに、この層の主が現れた。虚空の暗闇から音もなく湧き出してきたのは、巨大な鳥の骨格そのものである『ウィングスケルトン』の群れだった。
通常の鳥系モンスターとは異なり、翼の膜すらも存在せず、ただ骨の骨組みだけで空を飛んでいる。そのため羽ばたく際の風切り音が一切発生せず、完全な無音状態で頭上から急降下してくるという、極めて悪辣な奇襲特化型のモンスターだった。初見のプレイヤーであれば、気配を感じる間もなく頭蓋を砕かれて虚空へと突き落とされているだろう。
だが、今のジークは一人ではない。
既に各岩盤の四方には、召喚したスケルトンたちを偵察ユニットとして展開させていた。空の見えない暗闇から迫る脅威を、骨の兵士たちがプレイヤーであるジークの視覚情報より早くシステム的に感知し、一斉に敵対ヘイトを引き受ける。
無音のまま矢のように落ちてきたウィングスケルトンは、ジークを狙う前に配置済みのスケルトンによって骨の爪を弾き返された。体勢を大きく崩し、空中で無防備に硬直したその隙を、ジークは見逃さない。
「シッ!」
鋭い呼気と共に踏み込み、漆黒の大剣を頭上から縦一文字に叩き込む。
硬質な鱗と骨を同時に断ち割る、ズシリと重い手応え。大剣に付与された腐食のエフェクトが緑色の飛沫となって弾け、ウィングスケルトンは悲鳴を上げる間もなくポリゴンとなって崩れ落ちた。
そして数秒後、その崩れたモンスターの死骸から、再び黒霧が立ち昇る。軋む音を立てて起き上がったのは、ジークの配下へと成り代わった、新たな翼持つスケルトンだった。
(……素晴らしい。空中にも包囲網を敷けるのか)
ウィングスケルトンが自らの死の軍勢に加わった瞬間、この危険極まりない21層の制空権は、完全にジークのものとなった。
後半の探索は、もはや足場を命がけで渡るスリルすら薄れていた。ジークは配下となったウィングスケルトンを遥か前方の岩盤へと先行させ、安全を確認させる。モンスターの伏兵がいないか、足場は崩れないか。安全が確認出来たら悠々と跳躍して移動する。
飛行型のアンデッドを索敵レーダーとして運用する。この発想は、閉鎖的な空間が続いたこれまでの層では生まれ得なかったものだ。『死の軍勢』というスキルの底知れぬポテンシャルが明確に示し表した。
安全地帯である転送陣に到達すると、目前にシステムウィンドウが浮かび上がる。
【21層クリア報酬を選択してください】
①『空間把握:一定範囲内の生命反応をマップ上に薄く表示する』
②『召喚体飛行:蘇生時にある確率で飛行能力を持った個体として召喚される』
③『強靭(永続):転落ダメージを大幅に軽減する』
どれも捨てがたいが、今のジークの戦術を最も強化するのは情報だ。
「①だ」
【スキル『空間把握』を取得しました】
取得した直後、視界の端にあるミニマップに変化が起きた。小さな光点の群れが、レーダーのように薄く表示され始めたのだ。
しかし、その動きはおかしい。モンスター特有の規則的な徘徊ルートではない。ばらばらと、激しく、互いに交差するように動き回る不規則な軌跡。それは間違いなく「プレイヤー」の反応だった。しかも、次の22層の入口付近に、複数の光点が異常なほど密集している。
「……随分と混み合ってるな」
ジークは顎に手を当て、次に待つ22層への分厚い扉を静かに見据えた。
◇ ◇ ◇
22層の扉をわずかに開けた瞬間、怒号と爆音が鼓膜を容赦なく叩きつけた。
そこは、天井が遥か高くまで吹き抜けになった、巨大なコロッセオのような円形広場だった。広場の中央には、天を衝くような巨大な骨の柱が何本も無秩序に乱立しており、複雑な死角を作り出している。
そしてその柱の間を縫うようにして、すでに6人のプレイヤーたちが、血で血を洗う凄惨な殺し合いを繰り広げていた。
「死ねやぁッ!」
炎の魔法を狂ったように連続で詠唱し、広場を火の海に変えようとしている赤装備の男。
「単細胞が!」
その猛火を、風の刃を纏わせた双剣で切り裂きながら、鋭いステップで反撃の機会を窺う長身の女プレイヤー。
広場の地面を這うように走り回り、周囲に紫色の有毒な霧を撒き散らして戦場を汚染していく小柄な影。
巨大なタワーシールドと長槍を構え、太い柱を背にして完全な亀の陣形を作り、ひたすらに耐え凌いでいる重装兵。
さらに、高所の梁の暗がりには、戦況を見下ろしながら致命の矢を放つ狙撃手が2人潜んでいる。
誰もが傷つき、MPとスタミナを激しく消耗しながらも、殺意の炎を燃やして互いのHPを削り合っていた。完全な泥沼の生存競争だ。
ジークが音を殺して入口近くの柱の陰に滑り込んだとき、狂乱の只中にある彼らの誰一人として、新たな乱入者の存在に気づいてはいなかった。
(……やるべきことは一つだけだ)
マップには、激しく点滅する6つの光点。そしてジークの冷たい眼差しは、生者たちではなく、広場の石床に散乱している「死者たち」に向けられていた。
そこには、彼らの戦闘の巻き添えを食らって倒れたモンスターの残骸と、それ以前の戦闘で散っていき、まだシステム的に消滅しきっていないプレイヤーたちの痕跡が無数に転がっていたのだ。
ジークは無言のまま、背後に控えていたスケルトンたちに手信号を送った。
骨の兵士たちは命令に従い、広場の縁に沿って、影に溶け込むように静かに展開していく。ジーク自身も柱の陰から陰へと這うように進み、乱戦の中心から最も遠い位置にある死骸の傍へと歩み寄った。
「……起きろ」
囁くような詠唱と共に、黒霧が石床を這う。
一体、また一体。ジークが死骸の傍を通り過ぎるたびに、床に転がっていた残骸がビキリ、ゴキリと不気味な産声を上げて立ち上がっていく。
最初に動いたのは、戦場を走り回っていた毒使いの小柄な
プレイヤーへ向けた、死角からの奇襲だった。
風使いの女プレイヤーとの交戦で、毒使いの背後への意識が完全に疎かになったその一瞬。
「ギィッ!」
背後の暗がりから躍り出た一体のスケルトンが、毒使いの無防備な背中に、深々と腐食の爪を突き立てた。
緑色の毒々しいエフェクトが炸裂し、プレイヤーのHPゲージをゴソリと削り取る。
「ッ!? ぎゃああっ! どこから!」
毒使いの悲鳴が広場に響き渡った瞬間、膠着していた乱戦の空気が一変した。
「新手か!? 三つ巴どころじゃなかったのかよ!」
パニックに陥った炎使いの男が、姿の見えない襲撃者ジークが潜む柱の方向へ向けて、無差別に巨大な火球を放った。
しかし、ジークはとうにその場を離脱し、前転で別の陰へと身を隠している。結果として、飛んでいった火球が直撃したのは、牽制のために移動していた風使いの女だった。
「てめえ! どこ撃ってんだ!」
「うるせえ! 見えない敵がいるんだよ!」
同士討ちから怒鳴り合いが始まり、戦場の混乱が爆発的に連鎖していく。
(それでいい。もっと互いに削り合え)
ジークは狩人のように気配を殺し、広場の外周を円を描くように動き回り続けた。その道程にある死骸という死骸に、次々と魔力を流し込んでいく。
腐食の毒で死んだ無惨な死骸からは、より強力な毒素を帯びた攻撃的な個体が。炎の魔法で黒焦げになった残骸からは、赤い怒りのオーラを纏い、既に『開花』バフが付与された凶悪な個体が誕生していく。
やがて、高所から戦場を俯瞰していた2人の狙撃手が、眼下で起きている異常事態に気づいた。
「おい、待て! スケルトンが異常に増えてるぞ! 死体から湧き出してきやがる!」
「あそこの陰を動いてる黒い装備のプレイヤーだ! あいつがネクロマンサーだ、先に頭を潰せ!」
頭上から雨のように矢が降り注いでくる。潜伏の時間は終わった。その瞬間、ジークは隠れるのをやめ、広場の中央に向かって腹の底から叫び声を上げた。
「――行け、全員!!」
隠れ潜んでいた骨の軍勢が、一斉にシステム上の無音の叫びを上げて突撃を開始した。
その数、実に10体以上。広場の床を埋め尽くすほどの、まさしく「骨の津波」だった。
「くそっ、なんだこの数は!」
炎使いが半狂乱になって連続で火球を放つが、前列のスケルトンたちはそれを避けることすらしない。燃え盛る炎をその脆い骨の身体で正面から受け止めながら、一切の歩みを止めずに前進を続ける。
炎に焼かれて一体が倒れ落ちても、その後ろから即座に二体目が立ち上がり、隙間を埋めて肉薄してくる。恐怖も痛覚も持たないアンデッドによる純粋な『数の暴力』が、個人の優れた火力を、物理的に、そして精神的に正面から踏み潰していった。
悲鳴が上がる。
最初に毒使いが、無数の爪による腐食の継続ダメージに耐えきれず、ポリゴンとなって崩れ落ちた。
次に炎使いが、四方八方から群がってきた骨の軍勢の波に完全に飲み込まれ、姿を消した。
戦意を喪失した風使いが広場の出口へと逃げようとしたが、高所の狙撃手が放った影縫いの矢が彼女の足を縫い留める。そこへ、死神のように一直線に突っ込んできたジークの大剣が、容赦なく彼女の胴を両断した。
狙撃手たちは、迫りくるウィングスケルトンの群れに空中で捕捉され、悲鳴と共に高所から引き摺り下ろされた。
最後に残ったのは、柱を背にして亀のように丸まっていた重装兵だけだった。
彼は血走った目で長槍を乱れ突きし、必死に粘り続けていたが、彼もまた狙撃手の影縫いの流れ矢で足を縫い留められていた。その絶対的な硬直の隙を、ジークは見逃さない。
「はぁッ!」
正面からのフルスピードの突撃。ジークの渾身の力を込めた大剣のフルスイングが、重装兵の誇るタワーシールドを激しい金属音と共に強引に撥ね飛ばす。
バランスを崩し、胸元が完全に無防備になった重装兵の鎧の隙間へ、ジークは左手の腐食の爪を深く叩き付けた。
【HP:0/112】(重装兵)
断末魔と共に、広場を支配していた喧騒が嘘のように消え去った。
静寂が戻った凄惨な戦場跡には、ジークの周囲に付き従うスケルトン軍団だけが残っていた。その数は、道中で蘇生させたものを含め、優に15体を超えている。
【HP:106/106】
【死者の恵み 発動 ×6 最大HP+18】
【HP:124/124】
「……少し、やりすぎたかもな」
自身の暴力的なまでの制圧力を前に、ジークは思わず独り言を呟き、微かな疲労感を覚えながらシステムメニューを開いた。
【22層クリア&PvP×6撃破 追加報酬を選択してください】
①『魂嵐:短時間、周囲の全死体が一斉に蘇る クールタイム60秒』
②『召喚体全強化:現在従えている全スケルトンに攻撃力・速度バフが永続付与される』
③『死者の恵み(強化):プレイヤー撃破時の最大HP増加量が3→6に上昇(永続)』
激戦の成果か、通常よりも豪華な選択肢が並ぶ。
①のスキルによる瞬間的な大軍団結成も魅力的ではあった。しかし、ジークの求めるものは一過性の嵐ではなく、堅実で強固な軍隊だ。
「②だ。これからは数だけじゃなく、一体一体の質も上げていく必要がある」
【スキル『召喚体全強化』を取得しました】
その瞬間、広場に佇む15体のスケルトン全員の身体を、祝福のような白い光が包み込んだ。
視覚的にも変化が現れる。スカスカだった彼らの骨格がわずかに密度を増し、黒ずんでいた骨の表面が鈍い金属光沢を帯びた。カタカタと鳴っていた動作音も消え、きびきびとした機敏な動きへと変貌している。
数と質。ネクロマンサーにとって至高の暴力が、両方とも揃いつつあった。
◇ ◇ ◇
しかし、その傲慢は次の層で容易く打ち砕かれることになる。
23層の通路に足を踏み入れた瞬間、ジークの後ろを意気揚々と歩いていた15体のスケルトンたちが、まるで透明な壁に衝突したかのように一斉に足を止めた。
「……どうした?」
ジークが周囲を見渡すと、通路の石壁の至る所から、淡く、しかし強烈な光が染み出していることに気がついた。
ただの照明ではない。白く、ひたすらに清潔で、心が洗われるような光。これまでの階層を満たしていた、湿ってカビ臭い薄暗さとは根本的に異なる、「神聖」な気配が空間全体を重く満たしていたのだ。
床の白い石畳には複雑で美しい宗教的な紋様が刻まれており、ジークたちが足を踏み出すたびに、その紋様が拒絶するように淡く輝きを放つ。
スケルトンたちの動きが、目に見えて鈍り始めている。先ほどの強化バフが嘘のように、骨の関節から嫌な軋み音が漏れ、その場にうずくまりそうになっている個体すらいた。
(……聖属性の環境バフ、か。アンデッドにとっては最悪のフィールドだな)
背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。嫌な予感しかしない。
『空間把握』のマップを確認すると、光点が一つだけ、こちらへ向かって一直線に動いてくるのが見えた。
通路の正面から、静かな足音が近づいてくる。重装備の足音ではない。等間隔で規則的であり、全く焦りのない、自信に満ちた足音だ。
やがて光の奥から現れたのは、白銀の糸で刺繍された豪奢なプリーストローブに身を包んだ、女性プレイヤーだった。
頭上に浮かぶプレイヤーネームは「セラ」。彼女が右手に持つ純白の杖の先端には、太陽を模した黄金の紋章が神々しく輝いており、彼女の身体の周囲には、まるで妖精のように光の粒子が絶えず舞い踊っている。
【HP:103/120】(セラ)
【MP:145/150】
セラは、立ち止まっているジークと、その後ろで怯える15体以上の異形な骨の軍勢を一瞥した。ほんの少しだけ驚いたように眉を上げたが、彼女の瞳に恐怖の色は一切ない。
「すごい数ね。ネクロマンサー?」
鈴を転がすような、穏やかで澄んだ声だった。
「その数の暴力で押し切る戦術、賢い選択だと思うわ。……ここまでの層なら、ね」
スッと、彼女の細い腕が持ち上がり、太陽紋章の杖がジークたちに向けられる。
杖の先端で、空間の聖なるマナが恐ろしい速度で凝縮し、眩い光の球体へと変貌し始めた。
「でも、とても残念。私、対アンデッドの『聖属性特化』でここまで来てるから」
言葉の終わりと同時に、セラが杖を横薙ぎに大きく振り抜いた。
「『ホーリー・レイ』!」
視界を真っ白に染め上げる閃光が、扇状の波動となって通路を駆け抜けた。
避ける隙など微塵もない。光の波は、前衛に立っていた5体のスケルトンたちを容赦なく飲み込んだ。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドンッ!
重い破裂音が連続して響き渡る。
腐食バフも、開花バフも、先ほど取得したばかりの『召喚体全強化』の恩恵も。そんな小細工は一切無意味だった。絶対的な相性の前では、システム的な防御力など紙切れに等しい。
聖光を浴びた5体のスケルトンは、悲鳴を上げる間もなく一瞬で骨の芯まで焼き尽くされ、キラキラと輝く光の粒子となって完全に消滅した。
「……ッ!」
ジークは思わず息を呑み、奥歯を強く噛み締めた。
(馬鹿な。聖属性のダメージの通り方が、いくらなんでも桁違いすぎる!)
「復活させようとしても無駄よ」
呆然とするジークに構わず、セラは淡々と告げる。杖の先から次々と小さな光弾を連射し、怯えて後ずさる残りのスケルトンたちを、文字通り「浄化」していく。
「私の聖なる火で焼かれたアンデッドは、データとしての残骸ごと完全に消え去るわ。あなたが蘇生術を使うための『骨』そのものが、この空間から無くなるの」
彼女の言葉通り、光弾に撃たれたスケルトンたちは黒霧を残すことすらなく、完全にシステムの虚空へと消え去っていく。蘇生の連鎖というネクロマンサー最大の強みが、根本から断ち切られていく。
視界の端で、絶望的なカウントダウンが続く。
【召喚数:8/∞】→【5/∞】→【2/∞】
ほんの十数秒で、誇っていた軍勢が壊滅した。
(軍勢で押す戦術は完全に死んだ。なら――!)
ジークは瞬時に脳を切り替えた。背中に背負っていた漆黒の大剣を両手で引き抜き、力強く床を蹴る。
生き残っていた最後の2体のスケルトンを、文字通りの「使い捨ての囮」としてセラの手前へと突撃させる。セラが杖を振り、2体を光で消し飛ばすコンマ数秒の隙。その間に、ジーク自身は壁を蹴って大きく側面へと回り込んでいた。
「っ、あなたが来るのね!」
セラは即座に反応し、ジークの進行方向へ向けて光弾を3発、扇状に放ってきた。
ジークは前転で1発目を床すれすれで躱し、起き上がりざまに大剣の広い腹を盾にして2発の光弾を強引に弾き返す。
「グッ……!」
聖光の衝撃が両腕の骨を軋ませるが、歩みは止めない。弾かれた反動を利用してさらに前傾姿勢を取り、一気にセラとの間合いをゼロに詰める。
「甘い!」
大剣を振るうには近すぎる距離。ジークは剣の柄から左手を離し、黒いオーラを纏った『腐食の爪』で、杖を構えるセラの右腕を渾身の力で殴りつけた。
ガキンッ!という硬質な音と共に、緑色の毒々しいエフェクトが炸裂する。
「っ……ああっ!」
激痛にセラが短く息を呑み、顔を歪める。
彼女は即座に杖の持ち手を変え、自身の周囲に薄い光の幕を展開した。腐食の継続ダメージとデバフを、聖光の力で強制的に浄化しようとしているのだ。
(聖職者の自己回復力。浄化が間に合えば、俺は押し負ける!)
防御と回復に徹している今この瞬間だけが、唯一の勝機だ。
ジークは、物陰で震えていた最後の一体のスケルトンに「突撃」の思念を送り、セラへ向けて玉砕覚悟でぶつけた。スケルトンが聖光に触れて灰となる瞬間、目くらましになったその陰から、ジーク自身が大剣を下段から力強く振り上げる体勢に入った。
「くっ……!」
セラは猛攻に耐えきれず後退しようとするが、彼女の背中は既に通路の冷たい壁に張り付いていた。退路はない。
「……アンデッド使いのくせに、随分と前衛職みたいな動きをするじゃない」
壁に追い詰められながらも、セラの瞳は闘志を失っていなかった。だが、腐食の強烈な継続ダメージが彼女のHPを無慈悲に削り続けている。
【HP:41/120】(セラ)
そして、決着の時は訪れた。
ジークの放った下段からの斬り上げが、セラが防御のために掲げた杖ごと、彼女の華奢な身体を正面から唐竹割りに叩き斬る。
ドゴォッ!!
重々しい破壊音。
セラの身体が大きく跳ね上げられ、壁に衝突して倒れた。
【HP:0/120】(セラ)
消えゆく光の粒子の中から、セラが最後に言う。
「アンデットを消せばいいと思ってたけど、本人が強いのは計算外だったわ……」
「スケルトンの9割が一瞬で消された時は、正直どうなるかと思ったよ。お前の聖光、対ネクロマンサーとしては最悪に厄介だった」
ジークは大剣を肩に担ぎ直し、消えゆく光に向かって賛辞を返した。
「ふふっ。次またどこかの層で会ったら、今度こそ絶対に勝つつもりで準備して行くから。覚悟しておいて」
負けず嫌いなその言葉を最後に、セラの痕跡は完全に消滅した。
【HP:124/124】
【死者の恵み 発動 最大HP+3】
【HP:127/127】
激闘の余韻が残る通路に、カタカタという乾いた音が響いた。振り返ると、聖光の範囲からギリギリ逃れ、通路の曲がり角の深い影の奥で息を潜めて生き延びていたスケルトンが2体、のそりのそりとジークの元へ戻ってくる。
「……お前ら、運のいい奴らだな」
ジークは苦笑しながら、傷だらけの骨の背中をポンポンと軽く叩いてやった。23層の最奥を目指し、生き残った2体の配下と共に歩き出す。
◇ ◇ ◇
23層の終盤。迷路のような通路の袋小路に、それはひっそりと安置されていた。
金色の豪奢な縁取りが施され、内側から強い魔力の光が漏れ出している重厚な宝箱。間違いない、特別な力を持つ『アーティファクト』が眠る箱だ。
警戒しながらスケルトンに蓋を開けさせる。
【アーティファクト発見】
【骸骨王の残骸(装備:頭部) レアリティ:ユニーク 永続】
かつて20層に君臨したボス『スケルトン・キング』の砕けた王冠の欠片から生まれた、特殊な骨の兜。
効果①:配下スケルトン全員に『統率』バフが付与され、AIの動作精度と連携力が劇的に上昇する。
効果②:受ける聖属性ダメージを常に20%軽減する。
「……なるほど。さっき俺が自分で殺した王様の残骸が、こういう形でドロップするのか」
なんという皮肉な巡り合わせか。ジークは呆れたように息を吐きながら、これまで装備していた粗末な骨の兜を外し、『骸骨王の残骸』を頭に被った。
その禍々しい王冠を頭に乗せた瞬間だった。背後に控えていた2体のスケルトンが、ぴたりと直立不動の姿勢をとり、まるで閲兵式に臨む近衛兵のように、スッと背筋を伸ばしたのだ。
『統率』バフがシステム的に機能し始めたらしい。ただの操り人形だった彼らの動作が、明らかに知的で洗練されたものへと変化している。
「お前たち、急にそれらしくなってきたじゃないか」
スケルトンたちの変化に満足げに頷いたところで、23層のクリアを告げるシステムウィンドウが目の前に展開された。
【23層クリア報酬を選択してください】
①『聖属性耐性(小):聖属性ダメージを追加で10%軽減する』
②『死体洗礼:消滅した味方スケルトンの残滓から、次の蘇生時に強化バフを引き継ぐ』
③『冥府の契約:1日1回、自身のHPが0になった際、配下スケルトン全員のHPを吸収して自動蘇生する』
「……③だ」
【スキル『冥府の契約』を取得しました】
自動蘇生。それは単なる保険ではない。戦術に「死」というプロセスを組み込める、凶悪な切り札だ。
ジークは冷え切った通路を歩きながら、先ほどのセラとの死闘を頭の中で何度も反芻していた。
自分の最大の武器である軍勢を一方的に消滅させられたとき、正直、冷や汗が出た。腐食の爪のデバフと大剣の物理攻撃だけで、あの聖職者を押し切れるかどうか。最後の一撃が決まるその瞬間まで、絶対の確信など持てなかった。
結果的に勝てたのは、腐食のダメージの入り方と、相手の浄化のタイミングが偶然噛み合ったからに過ぎない。もしセラの浄化があと一秒早ければ、逆にこちらがジリ貧になって追い詰められていた可能性は極めて高い。
(魔法に耐性を持つ敵、空を飛ぶ敵、そして今回のようにスケルトンそのものが機能しない天敵。これからは、そういう理不尽な相手が次々と出てくるはずだ)
そのとき、自分の剣術と咄嗟の判断力がどこまで通用するか。深淵迷宮の3日目以降、それが残酷なまでに問われる場面は確実に増えていく。
24層へと続く重厚な扉に手をかけた瞬間、頭上に巨大なシステムウィンドウが浮かび上がる。
【深淵迷宮 2日目終了。現在の最高到達階層を記録しました】
【記録:到達最高階層 第23層】
【残り:3日間】
ジークは足を止め、空中に浮かぶその輝く数字を静かに眺めた。1日目は11層ガロウにやられて、終わった。
だが2日目は再び1層からスタートし、この24層まで一気に駆け上がることができた。『死の軍勢』という規格外の力を手に入れ、22層での6人同時の乱戦をも、数の暴力でやりのけた。
昨日の貧弱な自分には、絶対に到達できなかった高みだ。それでも、心は満たされていない。まだ足りない。もっと強固で、もっと絶対的な「死の軍勢」を築き上げなければ、この先は生き残れないという確信があった。
「……今日はここまでだ」
メニューを開き、静かに『ログアウト』を選択した。ジークの姿がポリゴンとなって消え去った後、暗く冷たい24層の入口には、スケルトン・キングの威厳を宿した2体のスケルトンだけが残される。
彼らは主である王の帰還を静かに待つように、微動だにせず、永遠とも思える時間、ただ通路に立ち尽くしていた。
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