深淵迷宮1日目
大会当日の朝、ジークはログインした瞬間から空気が違うことに気づいた。
アステリアの街全体が熱気に包まれている。いつもの朝市の活気ではない。祭りの前夜のような、あるいは大きな戦を前にした陣中のような、そわそわとした緊張感だ。宿屋を出ると通りはすでに参加証を首から下げたプレイヤーたちで溢れ、皆一様に中央広場の方へ向かっていた。
「ジーク」
声をかけてきたのはロウだった。街角の壁に背を預け、いつものくすんだ革鎧のまま立っている。腰には鉄の短剣が一本だけ。
「早いな、来てたのか」
「お前もだろ」
それだけ言葉を交わして、二人は並んで歩き出した。
中央広場に着く頃には、すでに数十万単位のプレイヤーが集まっている。遠くにはギルドの旗が見え『鉄の旅団』の深紅、『黄金の盾』の金色の紋章、色とりどりの旗が人混みの上で揺れていた。
やがて、広場の中央に巨大なシステムウィンドウが浮かび上がる。
【第一回公式大会『深淵への挑戦』前半戦:深淵迷宮 開始まで30秒】
カウントダウンが視界の端で時を刻み始め、ロウは前を向いたまま言った。
「ありがとな」
ジークは横を向いた。ロウの横顔はいつもと変わらない無表情だった。
「俺もお前みたいに、無我夢中でやっていた時期があった。だから懐かしくてな、教えるのが楽しかった」
「こちらこそありがとう。何も分からなかったから、本当に助かった」
ロウが小さく鼻を鳴らし、拳を差し出しす。
「次出会ったら、勝負だ」
「あぁ」
差し出された拳に自分の拳をぶつけ、コツンと小さな音が鳴る。
そしてカウントがゼロになり、世界が圧倒的な純白に塗り潰された。
◇ ◇ ◇
――冷たい。
それが、深淵での最初の感覚だった。湿った石の匂い、松明の爆ぜる音、視界が晴れると、そこは苔生した薄暗い石造りの小部屋だった。
ロウも周囲の喧騒も数万のプレイヤーも消え失せている。
ジークは自らの両手を見下ろした。あの強大な『黒蝕の竜騎士鎧』は跡形もない。身を包むのは薄汚れた革鎧と、腰に提げたなまくらな鉄剣一本。
そして何より、纏っていたあの重量感が何もなかった。羽のように軽い身体は自由を得たというよりも、むしろ鎧という魂の殻を剥ぎ取られたかのような、心もとない虚無感に支配されていた。守るべき皮膚のすぐ外側に、むき出しの死が張り付いているような――そんな錯覚さえ覚える。
「……本当に何もないな」
独り言は石壁に吸い込まれた。
一ヶ月前の何も持たない自分への逆戻り。だが、あの頃と決定的に違うのは、自分が「どれほど弱いか」を骨の髄まで理解していることだ。
【ようこそ、深淵の塔へ】
【このイベントにおいて、あなたの通常データは封印されました】
【魂源を含む全ての固有能力が使用不可となっています】
【現在のステータス】
名前:ジーク
HP :100/100
MP : 30/30
【扉の先に進むと、初回のみ初期スキルが選べます。この初期能力は死亡しても消されません】
前方にある唯一の扉を開く。
【初期スキルを選択してください】
五枚のカードが、台座の上でそれぞれ異なる色の光を放っていた。
一枚目、赤。
『餓狼の本能:戦闘中、敵を倒すたびに狂化スタックが蓄積される。スタックが高いほど攻撃力と移動速度が上昇するが、一定値を超えると自我を失い、敵味方を問わず最も近いものへ突進する』
二枚目、青。
『魂喰らい:攻撃がヒットするたびに相手のステータスを一時的に奪取する。奪ったステータスは自身に上乗せされ、時間経過で消える』
三枚目、白。
『殉教者の鎖:自分がダメージを受けるたびに、その数値の二倍を次の一撃に蓄積する。ただし蓄積中は一切の回避行動が封じられる』
四枚目、紫。
『呪詛の眼:視界に捉えた敵に継続ダメージの呪いを付与し続ける。付与数に上限はないが、自身のHPも同じ速度で削れていく』
五枚目、黒。
『死霊術の芽:敵討伐時、低確率でスケルトンとして蘇生させる。※現時点では極めて不安定。召喚上限1』
ジークは五枚を順番に見た。
どれも癖が強い、安定した選択肢など一枚もない。運営が「普通に強いビルド」を用意する気がそもそもなかったのかもしれない。
餓狼は爽快だろうが、自我を失う条件が怖い。魂喰らいは面白いが、奪ったステータスが消えるなら持続性がない。殉教者は一撃の浪漫があるが、避けられないのは致命的だ。呪詛の眼は自分も削れる、長期戦になるほど自滅に近づく。
最後に黒いカードへ視線が落ちた。
五枚の中で一番地味だ。低確率、不安定、上限1体、どう読んでも今すぐ強くなれる選択肢じゃない。
だが、現時点ではという事は今は弱くても育てれば化ける大器晩成型だろう。
ジークは迷わず五枚目に手を置いた。
【スキル『死霊術の芽』取得】
【第1層が始まります】
◇ ◇ ◇
第1層の通路はまっすぐで、突き当たりの広間には三体のスケルトンが徘徊していた。装備はボロボロに錆びた短剣と、朽ちかけた木の盾、どう見ても最序盤の雑魚モンスターだ。
ジークは腰の鉄剣を引き抜き、重心を低く構える。一体目のスケルトンが錆びた剣を振り下ろしてきた。
だが、その軌道は驚くほど遅く明確に見えた。ロウとの一ヶ月間に及ぶ打ち合いが、「技術」としてジークの身体に確実に刻み込まれていたのだ。
最小限の足捌きで刃をかわし、スケルトンの剥き出しの肋骨の隙間に鉄剣を突き立てる。
ガキンッ!という硬く重い手応え。
(硬いな……初期攻撃力では三撃は必要か)
二体目が横から迫り、ジークは無理に攻めず、バックステップで距離を取った。この『死霊術の芽』の真価は、敵を倒さねば一切始まらない。
ジークは一体を壁際に誘い込み、別のスケルトンを盾代わりに機能させながら、じりじりと確実にHPを削っていく。五分、十分と時間が経過し、冷や汗が頬を伝い落ちる。一撃でも貰えば初期HPの三分の一は持っていかれるという、ヒリつくような緊張感。
やがて、一体のスケルトンがガタガタと崩れ落ち、ただの骨の山に変わった。
その瞬間、ジークの指先からドロリとした黒い霧が溢れ出した。
【スキル『死霊術の芽』発動】
【召喚上限:1】
立ち上がった味方のスケルトンは、足取りがおぼつかなかった。残る二体の敵に向かっていったが、三歩進んだところで自らつんのめって転倒し、そのまま粉々になって消滅する。
【召喚体の安定性不足により消滅しました】
「……」
ジークは無言で、残りの二体を自力で斬り伏せた。
今度も敵はスケルトンだ。一体ずつ処理しながら発動を待ち四体目を倒した時、ようやく味方のスケルトンが蘇生した。
今度は転ばなかった。しかし、なぜか敵ではなく壁に向かってのそのそと歩き出しそのまま壁に激突して崩れ落ちた。
「なんで壁に向かうんだ……」
【1層クリア報酬を選択してください】
①『死体操作(初歩):蘇生確率が上昇し、不安定状態が軽減される』
② 『筋力強化(小):近接攻撃力が微上昇』
③『魂吸収:敵を倒すたびに微量のHPを回復する』
「①だな」
蘇生確率と安定性が上がらなければ、このビルドは根本的に機能しない。
第2層、ここでは動きの素早い「腐肉ゾンビ」が混じり始めた。鉄剣を構えて間合いを取ろうとした瞬間、死角からもう一体が腕を伸ばしてきて、避けきれず足首を掴まれる。
「チィッ!」
引き剥がそうと体勢を崩した隙に、正面のゾンビが肩口に食らいついてきた。
グチャリ。
【HP:13/100】
生々しい肉の裂ける痛覚が脳を貫く。まずいと思った瞬間には、三体目が背後に回っていた。鉄剣を後ろへ振り払おうとしたが、焦りで姿勢が崩れ、床に倒れ込む。
仰向けに倒れた視界に、三体のゾンビが覆い被さるように飛びかかってきた。腐臭が鼻を塞ぎ、視界が真っ赤なエラーエフェクトに染まる。
【あなたは死にました。1層へ戻ります】
【蓄積した強化を1つ引き継ぎます】
◇ ◇ ◇
白い光に包まれ、気づけば最初の石の部屋に戻っていた。
ジークは暗い天井を見上げ、一呼吸置く。
「……まあ、そうなるよな」
痛みの余韻を振り払うように立ち上がる。引き継いだ『死体操作(初歩)』のおかげで、次は少しだけ楽になるはずだ。ジークは口角を上げ、再び鉄格子の扉を開けた。
――そこからは、血と泥にまみれた試行錯誤の連続だった。死んでは戻り、死んでは戻る。その度に少しずつ強化を重ね、ビルドを尖らせていく。
そして、現実時間で数時間が経過した頃。
ジークは第5層のボスである巨大なグールを、蘇生した三体のスケルトンと連携してようやく討ち果たした。息も絶え絶えになりながら、クリア報酬のパネルを見上げる。
【5層クリア報酬を選択してください】
①『筋力強化(小):近接攻撃力が微上昇』
②『骨の癒し:召喚体のHPが徐々に回復する』
③『死霊の武装・大剣(永続):初期武器を専用装備【錆びた大剣】に変化させる』
ジークの視線は、③の項目に完全に釘付けになった。
「……大剣」
喉の奥から、歓喜の入り混じった笑みが漏れる。
ずっと求めていた。使い慣れない軽い鉄剣で、ちまちまと回避しながら戦うのは、彼の性に全く合っていなかったのだ。迷うことなく、ジークは空中のパネルの③を強くタップした。
【初期武器が【錆びた大剣】に変化しました】
ジークは太い柄を両手で握り、ゆっくりと持ち上げた。ズシリと肩と腕の筋肉に伝わる質量と共に、ジークの足元にあった鉄くずが変形し、長く、分厚く、そして無骨な鉄の塊へと姿を変える。ジークは柄を握り、ゆっくりと持ち上げた。ズシリと腕に伝わる重み。
「……ああ、これだよ。これじゃなきゃ始まらない」
錆びついているとはいえ、その質量は本物だ。ロウとの泥臭い特訓で身につけた剣術を、ようやく十全に振るうことができる。
ジークは錆びた大剣を肩に担ぎ、さらに深くへと続く下り階段を見据え、凶悪な笑みを浮かべた。
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