第三話 近づく軍勢
タイベア砦。
アデル・ルシエンは、灰に沈む地平を見下ろしていた。
砦を覆う帳が、風もなくすうっと後退していく。
「……限界か。奴ら、そろそろ動く」
アデルの隣には、丸眼鏡を光らせた女性軍師・ハーメルンが控えている。
「第一王子は、鏡越しの屈辱で我を忘れているはずです。」
「鏡の王子か……」
アデルは苦笑するが、その目は鋭い。
かつて宮廷の侍女であった軍師は言う。
「戴冠を潰された彼は、必ず正面から来ます。貴族たちの前で勝たねば、彼の権威は保てない」
アデルは答えず、静かに頷いた。
部屋の隅では、少年が窓の方向に向かって耳を傾けている。
「……来る。ユリウス軍、二千。こちらに向かって進軍中。前衛に騎士一個小隊……リーダーはカジートの匂い……おそらく“長靴を履いた猫”だ」
「先陣は彼女か」
アデルは目を伏せ、肩を軽く回した。
「ありがとうルーグ。機動戦特化の女騎士。最初に潰すなら奴だな」
少年は深紅のローブのフードをおもむろに取った。中からは狼のような耳が現れた。彼はヴェアヴォルフ、人狼だ。
「……本当に戦うのか?」
「戦わなければ、王にはなれない」
アデルは言葉を選ばずに答えた。
「俺の名を知らない者たちに、俺の存在を刻み込むには、勝たなければならない。力を示さなければならない。……本物の王族として」
彼の覚悟に敬服しつつ、ルーグはただ目を伏せた。
ハーメルンが静かに言った。
「……王を名乗るなら、血だけでは足りません。人々に示さねばなりません、“なぜ貴方が王であるべきなのか”を」
「……由緒も、美もない。だが俺には、踏まれた灰の重みがある。この国に残された“痛み”のすべてが、俺の中で燃えている」
アデルはゆっくりと立ち上がる。
「“怒れる鏡”の中に映るのは、美しい虚像だ。だが俺は、灰の中から立ち上がった現実だ」
外では、戦の鼓動が高まっていく。
——王は、選ばれるものではない。
——王とは、立つ者だ。自らの意志で、血に、灰に、歴史に抗って。
砦の鐘が、低く重たく鳴った。
風がないのに、灰が舞う。
アデルはマントを翻し、階段へと足を向ける。
その背を追う者たちの胸にもまた、静かに火がともる。
戦が始まる。
王を証明する、ただ一つの戦が。




