第三十七話 狼の誇り
その夜――森の外れ、かつてアデルと共に過ごした小さな拠点に、赤いローブを着たひとりの少年が立っていた。
彼の名はルーグ。
人狼の血を引く者。鋭い耳と、赤茶の髪、金の瞳を持つ異端の存在だった。
「アデルがいないなら、オレは……」
ルーグは、空を見上げた。
雲の隙間からこぼれる星の光は、どこか遠い。
人狼族の末裔であるルーグは森で生まれた。
彼らの血は薄れ、数を減らしていた。特に女は滅多に生まれず、最後の女が病で死んだ日、族長は言った。
「もう、我らはここまでだ。群れは解散する。自由に生きよ」
悔しかった。誇り高き人狼の一族がこんなにもあっさりと終わってしまって。
そして、自由。それは、ルーグにはあまりに大きすぎた言葉だった。
彷徨い、飢え、人間の村にやっと思いでたどり着いたとき、待っていたのは石と罵声だった。
「狼は嘘つきだ! 食われる前に殺せ!」
だがそのとき――
「この子は俺が連れていく。文句あるか?」
アデルだった。
灰を纏い、ルーグを庇い、ひとりで人々を退けた男。
「……俺、アデルの群れが居心地良かった」
アデルは、自分を“人間”として扱った。
異物としてではなく、“群れの一員”として認めてくれた。
その優しさを、居場所を、希望を——ユリウスが壊した。
ルーグはずっと見ていた。
アデルが倒れるまで働き続けたのを。
その死に、誰も責任を取らなかったのを。
ユリウスが高らかに笑い、その死を塵のように踏みにじったのを。
そして、リヴィアが街で演説しても、何かが変わったようには見えなかった。
誰も動かない。
誰も、アデルの仇を討とうとしない。
「……俺がやらなければならない」
怒りではなかった。憎しみでもない。
ただ――生きている理由が、そこにしか残っていなかった。
アデルの死は、ルーグの“生”を空にした。
だから彼は、玉座を目指した。誰かに命じられたわけでもなく。
正義のためでも、復讐のためでもなく。気持ちは常にフラットで冷静であった。
自分という“異物”の存在を、世界に焼きつけるために。
ユリウスが統治する王都へ、ルーグは単身で忍び込んだ。
彼には計画も、協力者もなかった。ただ、アデルを失った夜から燃え続ける、静かな怒りと、誇りだけがあった。
玉座の間。
ユリウスは数人の高官を従えて、勝利の宴を始めようとしていた。
その扉が、音もなく開いた。
「……誰だ?」
ユリウスの声に応じたのは、少年の低い唸り声だった。
「……俺の居場所を……あんたが壊したんだ」
短剣が閃いた。
銀の光がユリウスの喉を裂く。
「……っ!」
「アデルは、あんたのために死んだんじゃない!」
突き出された刃は、さらに玉座の王へと迫る。
だが、次の瞬間――
銃声。
ルーグの体が大きく仰け反る。
衛兵の放った弾丸が、彼の胸を貫いていた。
倒れ込んだその手から、短剣がカランと落ちた。
少年の瞳は、どこか遠い空虚を見つめたまま、二度と動かなかった。
ユリウスは痛む喉を抑えながら、玉座の近くにあった鏡を見た。
そこには切り裂かれた喉を抑える醜い醜い王がいた。
なぜ、なぜ今まで気づかなかったのだろう……。
人を信じられない疑心暗鬼に陥った自分。
鏡よ。鏡。世界で一番醜いのは、俺自身だったのだな。
ユリウスの瞳から大粒の涙が溢れた。
その涙は頬を伝い、喉の血と混ざり合い、深紅の毒のように身体を伝った。




