第三十五話 ユリウスの愉悦
アデルが死んだ。
その報は瞬く間に大地を駆け抜け、彼の率いた反乱軍を深い悲しみに沈めた。
誰もが、あの若き指導者の死を信じられずにいた。彼の声がもう聞こえないという現実は、風より冷たく、夜よりも暗い。
――王都。
玉座の間にて、ひとりの男が笑っていた。
「ふふふ……あはははは……ついに、終わった。ついに……」
ユリウスは黄金に彩られた綺羅びやかな装飾が施された服に身を包み、狂気を孕んだ瞳で報告書を読み上げる部下たちを見下ろしていた。
その表情はもはや“王”ではなく、“独裁者”だった。
「秩序の敵は滅びた。愚かな理想に酔った男は死んだ。民は秩序を求めている。ならば我が鉄槌こそ、正義だ」
高笑いとともに、ユリウスは次々と命令を下していった。
「灰に与した街は全て封鎖。密告制度を強化しろ。逆らう者は老若男女問わず斬首だ」
沈黙する将官たちを見渡し、ユリウスは椅子から立ち上がった。
「いいか貴様ら。反乱の芽は、根絶せねばならぬ。奴のような夢見がちな指導者は、二度と生まれぬよう骨の髄まで従わせよ」
その目はすでに血に濁り、恐怖で支配することに快楽を覚え始めていた。
王城の旗には“ユリウスの絶対王政”の始まりが刻まれようとしていた。
その言葉に、居並ぶ将官たちは声も出せなかった。
反論する者は、すでに粛清されている。今ここに立つ者たちは、ユリウスの言葉に頷く者だけだった。
そのとき、扉が乱暴に開かれた。
「兄上!」
駆け込んできたのはレオンだった。
彼は息を切らしながら、震える身体を鼓舞しながら、この場に来た。
「ユリウス兄さん……!アデル殿が亡くなったと……!」
「アデルだと? 哀れな男だったよ」
ユリウスは椅子にもたれながら、嗤うように言った。
「夢を見た者は、現実に潰されて終わる。秩序に必要なのは理想ではなく力だ。そう教えてくれたのは、奴自身だよ」
「……あなたは、もう……」
レオンは何かを言いかけ、しかしその口を閉じた。
そこにいたのは、もはや自分の知る兄ではなかった。
彼は静かにその場を去った。
背を向けたその足音に、ユリウスは一瞥すらくれなかった。
「これで……これで全て俺のものだ!」
ユリウスは笑いが止まらなかった。
俺はやっと頂点に立てたのだ。美しく何もかも完璧な俺が立てる場所にようやく立てたのだ。もう邪魔者はいない。
いや……リヴィアがいたか……。だが、非戦闘を掲げているあんな軟弱者は敵ではない。
ああ、母上。やっとです。あなたが望んだように私は立派な王になりました。
ユリウスの狂気は、止まることを知らなかった。
アデルという反乱の象徴が消えた今、彼の中に残ったものはただ一つ。
「疑念」だけだった。
――反乱の影は、どこにでも潜む。
――忠誠とは、口先で語られる幻想に過ぎぬ。
そんな妄執が、王の精神を蝕んでいった。
「教会は王の監視下に置け。神の名を盾にする者は、神ごと吊るせ」
「読み書きのできる民は危険だ。文字を知る者すべての名簿を作り、監視せよ」
「子どもにも忠誠の誓いを教えろ。逆らった親は処刑だ。……ああ、見せしめになるよう、広場でな」
ユリウスの命令は、もはや政の体を成していなかった。
支配のための支配。
統治のための統治。
それは、支配者としての義務ではなく、もはや自分以外のすべてを疑い、踏みにじることでしか正気を保てなくなった男の末路だった。
やがて「アデルの話をした」というだけで、老人や妊婦すら引きずり出され、王都の広場に吊された。
街のあちこちに“密告箱”が設置され、民は民を監視し始めた。
子が親を告発し、弟が姉を売った。
そんな悲鳴の飛び交う中でも、ユリウスは満足げに言う。
「美しい国だ。誰もが正義の目を持ち、悪を裁いている。……我が統治の、成果だな」
しかし、歪みは確実に広がっていた。
兵士たちは日に日に疲弊していった。
民の目は潤みではなく、乾いた怨念で曇っていた。
そして、怒りは地下で燻り続けていた。
アデルの名を密かに囁く者がいた。
反乱の象徴として、その名は語り継がれた。
「私たちは、見ているだけでいいのか……?」
「こんなの、王国じゃない……ただの、地獄だ……」
そしてある日、王都の広場で——それは、ささいなきっかけだった。
一人の男が、息子を失った。
「反乱軍と内通していた」との告発により、十四歳の少年が斬首されたのだ。
父親は泣き叫び、王城の門前に膝をついて叫んだ。
「嘘だ! あいつはただの学生だったんだ……! 字を読んだだけで、殺されるのかよ……!」
衛兵は容赦なく彼を殴打し、血まみれの男は泥にまみれて黙らされた。
その姿を見ていた群衆がいた。
老婆が嗚咽を漏らし、母親が子を抱きしめた。
「次は私かもしれない」
そんな不安が、やがて怒りに変わる。
誰かが、石を投げた。
誰かが、叫び声をあげた。
燃えたのは、旧貴族の館だった。
「王に従う貴族がいたから、こんな国になった!」
「アイツらは王に媚びへつらって贅沢してるんだ!」
扉を破り、家具を投げ、屋敷は業火に包まれた。
そこに含まれるのが貴族だけでは無く使用人であっても関係はなかった。
“敵”の象徴であるというだけで、すべてが民衆の憎しみの対象だった。
翌日、商会の組合長が広場で吊された。
「物価を上げたのは、王と結託してるからだ!」
「アデル様が死んだのは、商人どもの裏切りだ!」
何の証拠もなかった。
ただ“怒りの矛先”が必要だった。
誰かを叩けば、誰かを殺せば、あの悲しみから目をそらせる——
そんな本能的な暴力が、王都を覆っていく。
兵士たちは制止に入った。だが、遅すぎた。
群衆はかつての王の兵に怯えていた民ではなかった。
「もう黙らない」と決めた怒れる集団だった。
石が飛び、火が飛び、兵士が倒れた。
剣を抜けば、民衆が農具で兵を押し倒した。
制御不能の暴徒と化した王都は、もはや戦場だった。
そしてその広場に、フードを纏った少女が現れる。
燃えさかる火の手の中に、たった一人で立った。
リヴィアだった。




