第三十三話 林檎はいかが?
ストライキは止まらなかった。
命令が届かない。兵が集まらない。道路は封鎖され、補給は滞り、手紙一通届かない都市も出てきた。
「……なぜだ、なぜ民は従わぬ!!」
ユリウスは玉座の間に響く声で吠えた。金の装飾が施された杖を床に叩きつけ、執事たちは一斉に顔を伏せる。
「愚か者どもが、王の命に逆らうなど……! 我が民であろう、あれは……!」
彼の目の前には、民の“無言の拒絶”という現実が突きつけられていた。
“言葉を持たない者ほど、意志が強い”——それを彼は初めて理解しつつあった。
怒りと焦燥で胸を焼かれながら、ユリウスはふと足を止めた。ふとした香りが鼻先をかすめた。甘くて、少し焦げた果実の匂い。
「……アップルパイ?」
その瞬間、脳裏に過去の情景が閃光のように甦った。
「おかわり? 本当に、もう一つ?」
王妃・レイナの優しい声が、陽だまりのような暖かさを持っていた。
幼いユリウスは無邪気に頷いた。口元には、甘いリンゴの欠片がついていた。
それをナプキンで拭きながらレイナは言った。
「お前は……世界一、綺麗な顔をしているわ、ユリウス。だから誰よりも立派な王になるの」
その言葉に、ユリウスは小さな胸を張った。だが、それと同時に心のどこかに沈殿するものもあった。
“そうしなければならない”という、見えない重圧。
第一王子として、未来の王として、決して失敗できない。母の期待に応えなければならない。
彼は、褒められるたびに、自分を“王になるための道具”として削られていくような感覚に囚われていった。
そして、あの日——
「本当にお前はアップルパイが好きね」
笑顔で差し出されたそのパイは、見た目には何の異常もなかった。ユリウスは大好きなそれを一口かじった。
……瞬間、口の中に広がる、異様な苦味。
「……っ!!」
身体が震え、吐き出し、叫び、倒れ込む。その後の記憶は断片的だった。侍医の叫び、王妃の泣き崩れる姿。
「誰が……誰が毒を……!」
騒然とする宮廷の中で、幼いユリウスはうわごとのように呟いた。
「なぜ……なにもしていない僕を殺そうとするの……?」
——結局、犯人はわからなかった。もしかすると台所の女中か、他国の間者か。真実は闇に葬られた。
けれど、その日を境にユリウスの中で“信じる”という行為は壊れた。
誰も信じない。他人は皆、己を害し得る毒だ。信じられるのは、自分自身と、自分が定めた秩序だけ。
「だから……私は王になる。完全な支配を以って、この世界を“安全”にする。裏切りの余地も、誤解も、いらぬ選択肢もないように……!」
思考が現在に引き戻される。
「……裏切ったのは、民の方だ」
ユリウスの瞳には、もう怒りも悲しみも浮かんでいなかった。ただ、空虚な独白がその口からこぼれる。
「王が民を疑って、何が悪い。毒を仕込むのはいつも“下”だ……!」
だが、その声に応じる者は誰もいなかった。
言葉が焼け焦げ、民の手から離れていく——その事実だけが、冷たく王宮を支配していた。




