第二十八話 戒厳令発令
荘厳なアーチ型の天井と、陽の差さぬ深紅の絨毯。
そこは、議論するための場ではない。命令が下る場所――王国の中枢、玉座の間だった。
ユリウス・エーレンハイトが、黒衣の随臣を伴って玉座に上がると、列席していた議官たちは一斉に頭を垂れた。
頭を上げぬ者も、あえて言葉を発する者もいない。いや、それが許される空気ではなかった。
空気は重く、張り詰めていた。
つい数日前、王国西部の「アルマス峠要塞」がアデル軍に奪われた。
そして今、南部でもリヴィア派の活動が拡大している。
各地の治安は乱れ始め、行政官の離反すら起きつつある。
王国は、より緊迫した状態に突入したのだ。
ユリウスは静かに口を開いた。声音は穏やかでありながら、拒絶を許さぬ圧を帯びていた。
「……私は国家の継続と民の安寧を守るため、ある決断を下す」
ざわめく列席者の中から、一人の白髪の老議官が意を決して進み出た。
「殿下――いかなる御決断かは分かりませぬが、どうか……ご再考を願います。力には、常に代償が伴います。リヴィア殿下は未だ剣を抜いてはおりませぬ……!」
ユリウスは、その言葉に一瞬だけ目を細めた。
「……分かっている」
そう呟いた後、彼は壇上にある王印の刻まれた金属文書筒を取り上げ、開いた。
「よって――本日を以って、戒厳令を発動する」
言葉と同時に、兵装の響きが鳴った。玉座の間の両脇から、正規軍の近衛兵が進み出て、扉を閉じる。
その動作に意味はない。ただ、「ここは今から命令が下る場所だ」ということを明示するための演出。
そしてその演出を、誰一人として止められないことを示すための力の象徴。
「本戒厳令の発動により、以下の権限を即時行使する。
一、軍による国内全域の治安維持と情報統制。
二、すべての自治権を一時凍結。
三、各地に戒厳軍司令官を派遣し、正規行政に優先する臨時命令系統を敷設する。
四、リヴィア・エーレンハイトおよびその協力者に対する、拘束許可の特別法を公布する」
「なんという……!」
「このような暴挙が……!」
声を上げた者たちもいた。だが、それはただの音だった。
この場でユリウスの命令を覆せる者など、一人もいない。
なぜなら王国は、建国以来一貫して「絶対王政」であり「王の決定は絶対」なのだから。
誰もが知っていた。
ここにいる誰もが、心のどこかで「その時が来る」と思っていた。
ユリウス・エーレンハイトが剣を抜く覚悟を決めたとき、王国は戦争に入るのだと。
「……かつての妹は戦争も知らない無垢な少女であった。だが、今の彼女は正しさの名の下に秩序を壊そうとしている。私の選択は、平和を捨てることではない。平和を維持するために戦うことだ」
なぜ、お前は戻ってこない。リヴィア。
宝石や豪華なドレスに囲まれ、何不自由無い生活をしていたのに。
ユリウスは文書に王印を捺し、それを高く掲げた。
「これより王国は非常体制に入る。すべての臣民は、我が命に従え」
圧倒的な沈黙。
誰もが、時代の転換を悟っていた。
国が、争いへと進み出た。




