第二十六話 燻る火種
王都の中心、王宮の政務室。宝石細工のように装飾された高窓からは、陽が斜めに差し込んでいた。だが、その光が照らす机上に広げられた書状と報告書は、すべて一つの話題に染まっていた。
「リヴィア、動き出したか」
漆黒の王衣をまとったユリウス・エーレンハイトは、静かに報告書を伏せた。その若き王の周囲には、宰相、軍務卿、諜報局長といった重臣たちが緊張を孕んだ顔で立っていた。
宰相が重々しく言う。
「『声の集会』と称し、村々を巡って演説を行っております。だが実態は――民の蜂起を誘導する煽動です。放置すれば、アデル・ルシエンのような反乱軍に民心を奪われる可能性がございます」
ユリウスは静かに頷いた。
「……しかし彼女は剣を取ってはいない」
「それが厄介なのです、陛下」と口を挟んだのは、軍務卿。重厚な鎧を象った胸当てを着けた彼は、戦の人間だった。
「剣であれば我らは打てる。だが言葉は……火のように拡がる。遅れを取れば、王都の民さえ心変わりしかねません」
「すでに『声の集会』には数百単位の民が集まっています。しかもその中には、士族の末家や教団系の知識人すら含まれているという話も」
と、諜報局長が畏怖混じりに続ける。
ユリウスは椅子から立ち上がり、壁に掛けられた地図に目を向けた。その視線はリヴィアの滞在地である南部の村に向いている。そしてそのすぐ北、街道沿いにある要衝――アルマス峠に、朱の糸を引いた。
「……アデルは動くだろうな」
「その通りです。リヴィアを潰せば、アデルが“守るための戦”と称して攻勢に出る口実になる。そう読んでいるのでしょう」
「ならば……我々も選ばねばなるまい」
ユリウスは低く呟く。数瞬の沈黙の後、振り返り、重臣たちを見渡す。
「リヴィアは、私の妹だ。そしてアデル・ルシエンは、私の敵であり、最も危険な反乱者だ」
「……その上で、陛下はどうされますか?」と宰相が問うた。
ユリウスは、答えた。
「リヴィアを“見せしめ”にすることは許さない。だが放置もできない」
その目に、どこか悲しげな苦悩が浮かんだ。
「“包囲”は続けろ。ただし、突入はまださせるな。彼女に最後通牒を出す。“王命により、集会を解散せよ”と。拒むならば、その時こそ……」
軍務卿が口を挟む。
「その時こそ、制圧命令を?」
ユリウスは目を閉じたまま頷く。
「その時こそ、王の名の下に秩序を示す。……だが、彼女が応じる望みが一分でもあるなら、それに賭ける」
宰相が、王の決断に静かに頷いた。
「承知いたしました。すでに彼女のもとには使者を出しております。……しかし、反乱軍が峠で兵を動かせば、もはや対話の余地もなくなります」
「それも分かっている」とユリウスは答える。
そして、誰にも聞こえぬような声で、地図の上に指を置いた。
「アデル……貴様が火を撒くというのなら、私が嵐となろう」




