第十六話 狼煙
翌晩、リヴィアとルーファスは、山あいの廃教会へとたどり着いていた。
地図に記された「印」は、この人里離れた場所を指していた。
荒れ果てた石造りの聖堂には、もはや神の気配など残っていなかった。
ひび割れたステンドグラス、崩れた説教台、そして……蝋燭の火に照らされた人々の影。
「来たか。リヴィア・エーレンハイト殿下」
低く、張り詰めた声が堂内に響く。
それは昨夜と同じ、アスティアのものだった。
だが、その背後には――数十名に及ぶ者たちの視線があった。
粗末な鎧を着た民兵。
顔に傷を負った亜人の戦士。
ボロ布をまとった農民や市民。
その瞳には冷たい怒りが宿っていた。
「……これは」
リヴィアは一瞬、息をのんだ。
場の空気は、火薬のように張り詰めていた。
怒りと憎しみ、不安と希望。
それらが渦を巻き、今にも暴発しそうな勢いで充満していた。
「我々は、王政に見捨てられた者たちだ」
アスティアが言う。
「飢えた子を抱いて死んだ母親。罪なき仲間を吊るされた亜人。汚職まみれの領主に土地を奪われ、声すらあげられなかった農民……」
彼女は一人ひとりに目を向け、そしてリヴィアに顔を向ける。
「……この国は、もう限界だ。民は、自分たちで新しい秩序を打ち立てようとしている。だが――その“旗”がない。理想だけでは、群れは保てない」
リヴィアは無言だった。
視線を巡らせる。
そこにいたのは、戦場に立ったこともないような若者、武器の持ち方すらおぼつかない母親、不安に震える亜人の子供たち――
皆、何かにすがるようにこちらを見つめていた。
「……だから私を“正統”の象徴にしたいのね」
ようやく、リヴィアが口を開いた。
「ただの神輿として?」
「否。貴方様の意志がなければ意味はない」
アスティアの声は揺るがなかった。
「だが、彼らの希望が暴力へと変わる前に――誰かが導かねばならない。貴方様の“正統”には、殺さずに変えうる力がある」
沈黙が流れた。
リヴィアの胸の内で、何かが重く沈み、それでも確かに脈打ち始める。
(このままでは、この人たちは……)
彼女は一歩、前に出た。
「……私は、この革命に全面的に賛同しているわけじゃない」
ざわめきが走る。だが、彼女はそれを制するように、手を軽く上げた。
「でも、あなたたちの怒りを、悲しみを、わたしは無視できない。そして、放っておけば、皆、誰かを傷つける道を選んでしまう。
だから――私はここに立つ」
彼女は、剣でも槍でもなく、言葉で空気を斬った。
「剣や怒りではなく、“選択肢”が必要なの。あなたたちを、“復讐者”にしないために。それが今の、わたしにできること」
沈黙の中で、誰かが小さく嗚咽した。
アスティアは静かに頷いた。
「……それで十分。
その一言があれば、群れは形を保てる」
リヴィアの中にあった迷いが、少しだけ輪郭を失っていく。
――そう。これが“始まり”なのだ。
その瞬間、外の闇の中で雷光が閃いた。
雷鳴のような怒りを背負いながら、それでも光をもたらす者として。
彼女は、動き出した。




