第十四話 嵐の予感
町を離れてしばらく歩いた頃、空の様子がにわかに変わり始めた。
午後の柔らかな日差しは黒い雲に覆い隠され、山の方から乾いた風が強く吹きつけてくる。
「……嵐になるわ」
リヴィアが足を止めてつぶやくと、ルーファスも空を見上げ、険しい顔でうなずいた。
「この先に集落がある。あそこまで急ごう」
ふたりは山裾にぽつんと広がる小さな集落へと足を速めた。
その道中、リヴィアは何度も背後を振り返った。誰かに見られているような――いや、確かに“追われている”とでも言うべき、肌に粘つくような気配がつきまとっていた。
日が西に傾きかけた頃、ふたりはようやく集落の入り口にたどり着いた。
だが、どこかおかしい。
畑は干からび、人の気配はほとんどない。家々の扉や窓には内側から打ちつけられた釘が残されており、まるで何かを――あるいは誰かを――拒んでいるようだった。
「……住民が逃げたのか、それとも……」
「何かあったのは間違いないね」
ルーファスが周囲を警戒しながら低くつぶやく。
ふたりは集落の外れにある、半ば崩れかけた納屋に目をつけ、そこに一晩避難することにした。
夜になると風は冷たく、雷鳴が遠くで鳴り始め、やがて激しい雨が屋根を叩きつける音が響いた。
そのとき――
納屋の扉が、ぎい、と不気味な音を立てて開いた。
リヴィアは即座に立ち上がり、腰の短剣に手をかける。
ルーファスも無言で手の甲を口元に寄せた。
だが、そこに立っていたのは、彼らが思い描いていた敵の姿ではなかった。
荒れた外套をまとった亜人。
顔は猫そのもので、種族はカジートと見られる。
だが、その姿にはどこか凛とした軍人の風格が残っていた。
「……あなた達、エーレンハイト家の者だな」
低いハスキーな声に、リヴィアの目が大きく見開かれる。
「……まさか……アスティア将軍?」
アデル・ルシエンとの戦いで先陣を切った精鋭――“長靴を履いた猫”と呼ばれた指揮官。
先の戦で敗戦し、責任を取って処刑されたという彼女が、今、目の前に立っている。
「処刑されたと……」
「死んだようなものだ。でも、生き残った者にも、やることはある」
アスティアはゆっくりと足を踏み入れ、湿った土の上に重い足音を響かせた。
そして、濡れた外套を脱ぐと、焚き火の前にどっかりと腰を下ろす。
「……私たちが命をかけて守った“国”が、何をしたか知っているか?あの連中が掲げた“理想”の陰で、私たち亜人は飢えと差別に喘いでたんだ」
彼女はそこで言葉を切り、リヴィアをまっすぐに見た。
「だが、王家のすべてが腐っていたわけじゃない。少なくとも私は、そう信じている」
アスティアが警戒を解かぬまま、リヴィアとルーファスを交互に見つめる。
その沈黙のなかで、彼女は続けた。
「今、西の廃教会に人が集まりつつある。私のような元軍人、逃亡した反乱分子、差別された亜人達、そして……国の行く末を憂える普通の人間たちだ」
「それは……まさか革命軍?」
リヴィアの問いに、アスティアは小さく笑った。
「そんな大層なものではない。ただ、希望を諦めきれなかった連中の寄せ集めだ。でも……もしそこに、“正統”を名乗れる王家の血筋が立つなら――話は変わってくる」
納屋の外で、雷鳴が空を裂いた。
雨は一層激しさを増し、風が戸を揺らす。
リヴィアはしばし沈黙し、そして問いかけた。
「……あなたは、わたしたちに何を望んでいるの?」
アスティアは立ち上がり、濡れた扉の前に立つ。そして、背を向けたまま言った。
「選びなさい。
逃げ続けるか。あるいは――立ち上がるか。
今ならまだ、間に合う。だが、次の嵐にはもう、選択肢は残らない」
雷鳴とともに、夜が深まっていった。
リヴィアはただただ息を呑んだ。




