第十話 賑わう市場
それは、ふたりが王都を離れて三日目のことだった。
夜をひとつ越えるたびに風はぬるくなり、季節の境目が肌に触れて分かるようになっていた。
山を抜け、川を越え、ふたりが辿り着いたのは、小高い丘に寄り添うように建てられた宿場町だった。灰色の石壁と赤い屋根が並ぶその町は、遠目から見るとまるでおとぎ話の挿絵のように整っていた。
「……こんなに人がいるなんて……」
リヴィアは驚きに声を漏らした。
町の中心部には広場があり、そこではちょうど市が立っていた。
色とりどりの果物や野菜が並び、焼きたてのパンの香ばしい匂いが風に混じる。干し草の束や木製の桶、布地、香辛料、花束。屋台の背後では職人たちが腕を振るい、声を張り上げる商人に応じて、人々が笑いながら品定めをしていた。
リヴィアの目はきらきらと輝いた。
初めて見る「市民の世界」に、彼女はただ見惚れていた。
「……すごい、こんなに明るくて、賑やかで……戦争中とは思えない……」
市場を歩く少女の手には、木彫りの人形。
少年が犬を追いかけ、母親が微笑みながらその背を見守っている。
誰もがそれぞれの暮らしを営み、そこには兵の姿もなく、王家の話題も聞こえなかった。
リヴィアは立ち止まり、ふと顔を上げて言った。
「……ねえ、ルーファス。私たちが聞かされてきた“戦争”って……本当に、ここにもあるのかしら」
その声には希望というよりも、戸惑いがあった。
王宮の中で聞かされてきた“国の危機”や“民の苦しみ”が、今この目に映る光景とあまりにかけ離れていたから。
だが、隣を歩いていた弟は、すぐにかぶりを振った。
「ここにいる人たちが“すべて”じゃないよ」
リヴィアは立ち止まり、ルーファスの横顔を見つめた。
彼の声は静かだったが、その奥には何かを知っている者の響きがあった。
「……市場に来られる人は、“来られる”だけの余裕があるんだ。家を焼かれた人や、戦場で家族を失った人、逃げ場もなく働かされてる人は、ここにはいない」
「でも……笑ってる人たちが、あんなに……」
「それは、笑える“うち”だから。……平和に見える場所ほど、本当の傷を隠してるんだよ」
ルーファスのまなざしが、遠くの人波を静かに見つめる。
「僕たちが探してるのは、“この景色”じゃない。“この下”にあるはずの、声にならない叫びだと思う」
リヴィアは何も言えなかった。
ただ、微笑む市場の風景を見渡しながら、どこかひんやりとした胸の内を手でおさえた。
――自分は、何も知らなかった。
宮廷の中で「平和のために」結婚させられそうになった自分は、本当の意味で民の姿を、苦しみを見たことがなかった。
「……やっぱり、来てよかった」
小さく、彼女はつぶやいた。
その声に、ルーファスはちらりと振り返って微笑む。
「うん。これからだよ、姉さん」
市の喧騒に溶け込みながら、ふたりは歩き出す。
まだ見ぬ「誰かの痛み」を見つけるために――。




