表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王なき御伽噺  作者: 烏丸 燈


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/43

プロローグ 王の死


 王が死んだ。


 その報は、春まだ遠い王都にひそやかな雷鳴のように落ちた。

 冬の空は灰色に沈み、凍てついた石畳の城門を越えてなお、重々しい沈黙が王城の奥深くまで這い寄る。


 王の亡骸は、白銀の棺に納められ、長く仕えてきた神官たちの祈りに包まれていた。王の白髪の頭髪や髭、深く刻まれた皺は彼の苦悶の末に生きた証であった。

 香炉の煙がゆらりと揺れ、無機質な石壁に影を作る。




 第一王子、ユリウス。

 漆黒の髪が、冷えた玉座の間に静かに揺れる。

 陶器のように滑らかで蒼白な肌と、血のように深紅の唇。その美貌はまるで人形めいて冷ややかで、見る者を思わずたじろがせるほどだった。

 だが、その麗しさの奥に宿るのは情ではなく、氷のような決意だった。

 彼は棺に一瞥すらくれず、ただ真っすぐに、かつて父が腰かけていた玉座を見上げていた。そこにあるのは「空席」という現実。ただそれだけだった。

 ユリウスは一歩、白く冷たい石の床を踏みしめる。

 そして、白雪のような頬に沈黙を引き結ぶ紅の唇が、低く呟いた。

 「……王はもういない。次は我が身か……」

 静かに落ちた声は、まるで夜の雪のように静かで、重く響いた。

 だが、誰も返さない。

 その場にいる者たちは、ただ彼の美しさと冷酷さに凍りついたように、息を潜めていた。




 第二王子、レオン。

 病的なほど白い肌に、体の線がわかるほど薄い礼服。華奢な身体が、棺の前で静かに揺れていた。

 後頭部でまとめられた三つ編みは、解けば地面に広がるような絹糸のような銀髪――それはまるで、彼の弱さも優しさもすべて封じ込め、結わえ上げているかのようだった。

 伏せた睫毛の奥、水のように透き通った瞳は何も映さず、ただ沈黙を宿していた。

 細く震える指先が、そっと棺の縁に触れる。

 その仕草は、別れを告げるというより、懺悔のようだった。

 「……お父様、どうか……安らかに」

 かすれた声は風にすら聞こえず、彼自身の胸の内にだけ落ちた。

 それでもレオンは、泣かなかった。いや、泣けなかった。

 銀の髪に誓うように、彼はそっと目を閉じた。




 第三王子、カイアス。

 肩にかかるほどの水色の髪が、怒りとも呆れともつかぬ仕草にふわりと揺れた。ぱちくりとした大きな目は鮮やかな光を宿しながらも、今はどこか醒めていた。

 まだ子供の面影を残す整った顔立ちをほんの少し歪め、彼は短く息を吐く。軽やかな足取りで踵を返すと、その背には――「茶番には付き合いきれない」とでも言いたげな、皮肉な笑みが滲んでいた。

 陽焼けした首筋に揺れる銀の耳飾りが、玉座の間の静寂を裂くように、かすかな音を立てた。




 第四王子、ルーファス。

 誰より幼いはずの彼は、まるで時が止まったかのように静かに棺の前に立っていた。

 母譲りの淡い金髪は丸く整えられ、横には小さな三つ編みが結ってあった。それがぴくりとも揺れないほど、彼は動かなかった。

 翡翠の眼差しが静かに棺の中を見つめている。

 その視線は年相応の幼さに似つかわしくなく、どこか深い――いや、“悟ったような”気配を孕んでいた。

 ルーファスは黙っていた。泣きもせず、取り乱しもせず。

 指先が、棺の縁にそっと触れる。けれどその動きは、何かを「確かめる」ような慎重さすらあった。

 彼はただ、穏やかな死に顔を見下ろし、静かに目を細めた。

 「……よく、眠っている」

 それは――少年の言葉としては、あまりにも静かすぎる。

 まるで、永い旅路の終わりに眠る“同志”に寄せる祈りのようだった。




 そして、第一王女。

 リヴィアは王の亡骸の傍らに、そっと膝をついていた。

 華奢な身体を包むのは、淡く墨を帯びた黒の喪服。その襟元から覗く首筋は真珠のように輝き、張りつめた空気の中でなお、凛とした気品を放っていた。

 肩にかかる一筋の三つ編みには、哀悼の意を込めるように黒いリボンがきゅっと結ばれている。

 その編み込みはまるで、彼女自身の“意志”の象徴のようでもあった。

 金のように淡く輝く髪は光を吸い、真珠の肌にそっとかかる。祈りに組まれた手の指先は、わずかに震えていた。

 瞳はサファイアのように透き通った青。そこに宿るのは涙ではなかった。

 王の死が、玉座の空白が、国に何をもたらすのか——そのすべてを知ってしまった者だけが抱ける、静かな覚悟だった。


 やがて、祈りの手をほどくと、リヴィアは静かに立ち上がった。

 その動きには迷いがなく、空席となった玉座をまっすぐに見上げる。

 「父上……どうか、私たちの行く末を見守りくださいますように」

 その声は小さかった。けれど、響いた。

 まるで未来を導く光のように、そこに確かに在った。




 夜が明けるころ、王城の塔に旗が翻る。

 王国は今、新たな運命を迎えようとしていた。


 その日、王都に雪は降らなかった。


 しかし冷たい風が、まるで新たな混乱の兆しを告げるように吹き荒れていた。

 民たちは重い戸を閉め、商人たちは取引を渋り、兵士たちの剣は鞘の中で、静かに熱を帯びはじめていた。




 そして——。

 “彼”は、ついに姿を現した。


 西の外れの古い街。

 煤けた石造りの劇場跡にて、金の髪を灰にまみれさせた男が人々の前に立った。

 風に乱れたショートヘアの隙間からのぞく瞳は、透きとおるような碧眼。

 その眼差しはまっすぐに群衆を見据え、光と影の間に生まれたような冷たさと熱を同時に帯びていた。


 まだ若い。だが、その背に宿るものは重い。

 傷のある過去も、血にまみれた出自も、すべてを抱えてなお立つ姿には、奇妙な凛然さがあった。


 「……王は死んだ。そして、もう一人の王の血を継ぐ者が、ここにいる」

 低く、よく通る声だった。

 その声はただ響くだけでなく、聞く者の胸を掴み、揺さぶった。


 「わたしの母は、王と愛し合った女だった。だが捨てられ、踏みにじられ、誰にも知られず死んだ」


 ざわめきが群衆を駆け抜けた。

 アデルの顔は静かだった。だが、その静けさの奥に宿る怒りと哀しみは、王族たちのどこにもなかった色をしていた。


 「この国の玉座は、正しき者のためにあるべきだ。民の声を、血の涙を、忘れた王家に任せてはならない!」


 掲げられた手の動きに合わせ、空が灰に染まる。

 アデルの背後、朽ちた劇場の舞台から立ちのぼる黒い煤煙が渦を巻き、まるで煤の翼のように彼を包みこんだ。


 それは、異能力だった。


 民は知った。

 この男がただの騙りではないことを。

 王の血と、王の異能を継ぐ、正しき“落とし子”であることを——。


 「アデル・ルシエン……!」


 誰かがその名をつぶやいた瞬間、空気が変わった。

 まるで、王国全土が新たな風を感じたように。


 やがて、王国は分断される。


 正統の王子たちと、異端の王子。

 誇りと嫉妬、正義と私欲。

 交わらぬ意志が絡み合う、血の継承戦が始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ