009 街道での会話
荷馬車の後方に腰を下ろしたディルは、ちらりと前方を見やり、メナスとリッツのやり取りを横耳に聞きながら、ふと背後の街道へと視線を流した。
──退屈な道中になるだろう。
そう思うと同時に、ディルは荷物の隙間からマンドリンを静かに取り出した。指先が弦に触れると、乾いた馬車の軋む音に柔らかな旋律が溶け込み、風のように街道を漂い始める。
ディルは“狼風亭”に身を置く冒険者でありながら、時折店内でその腕前を披露することがあった。彼の奏でる旋律は、仲間や店員の談笑と混ざり合い、一夜の酒席を小さな舞台へと変える。音楽は客を惹きつけるための芸であり、酒場に彩りを添える装飾でもあった。
かつて──芸で生きることを夢見た時期もあった。だが今、剣と冒険こそが彼の糧であり、音楽はその余韻を補う伴奏に過ぎない。とはいえ、指を動かす習慣はやめられず、こうして旅路の途上でも自然と楽器を抱くのだった。
彼が奏でるのは、彼の出身地ネラートに古くから伝わる哀調を帯びた旋律。音色に乗せて、思考は今回の依頼へと移っていく。
報酬は銀貨四百枚。本来ならばメナスが所属する三人組で請け負うはずだった。だが、不運にも二人が食中毒に罹り、魔法で治療するキャラウェルも同様に床に伏した。結果として急造の編成が組まれ、ディルとリッツが呼ばれたのだ。
正直なところ、ディルはこの編成に難色を示していた。
──メナスと組むのは、気が重い。
その本心を隠しきれずにいる。しかし、依頼主が「ラティス商会」とあれば話は別だ。
ラティス商会──戦後の復興で一気に勢力を拡大した大商会である。必要なものを必要な場所へ届けることを信条とし、行商と物流を中心に事業を展開する。取り扱う品の種類と品質の高さは特筆に値する。復興の途上にある土地には必ず支所を置き、人材を集め、技術を運び、村の再建と同時に物流を掌握する。その手腕はまるで国の網を編むかのようで、ルベリア全土に名を轟かせた。
今や国でも五指に入る大商会。当然、その専属契約を結ぶ狼風亭には、安定した依頼が流れ込む。
──この関係を、壊すわけにはいかない。
個人的な感情よりも、全体の利益を優先すべきだ──ディルは旋律に想いを込め、自らにそう言い聞かせた。
ディルは旋律に想いを込めながら、そう自らに言い聞かせた。
マンドリンの音色は街道に流れ、やがてメナスとリッツの緊張めいた声の余韻に溶け込んでいった。
一曲を弾き終えると、ディルはふと後方に目をやった。
リテイア近郊の街道は穏やかに、人々の営みが続いている。商人の荷馬車が列をなし、時折兵士の隊列が追い越していく。王都の傍にしては、今日も明日も安全な区間──襲撃の危険はほとんど考えられない。
ならば、次は少し明るめの曲でも──そう考えながら、ディルは指先を弦に軽く置き、次の旋律を思案する。
その間にも、前方ではメナスとリッツのやり取りが続き、随分と打ち解けた様子だった。
ディルにとって、それは意外な光景であると同時に、複雑な感情を呼び起こすものでもあった。
メナス──彼はかつての内戦では、ディルとは相対する陣に身を置いていた。戦場で幾度も顔を合わせ、互いの命を削り合った間柄である。しかもメナスの戦いぶりは、目的のためには手段を選ばず、市民までも巻き込む冷酷さを孕んでいるように見えた。
冒険者として再会した後、その苛烈さは影を潜めている。だが、それこそがディルにとっては不信感を募らせる理由の一つだった。
──変わったのか? それとも仮面をかぶっているだけか?
答えは出ない。ただ言えるのは、感情を持ち込めば任務の連携が崩れるということだけだ。
そこでディルは、メナスと新人リッツを結びつけることで、せめて仕事が回るように…と考える。
二人に背を向けたまま、少し大きな声を張る。
「──メナス!」
「なんか用か?」
リッツとの会話を中断するように、短く冷ややかな声が返る。
「リッツは魔法を使うが、どうも我流っぽい。最初の二日は暇になるだろう? 少し見てやってくれないか」
「気になるなら……おめぇがやったらどうなんだ?」
メナスの声音は冷たく、挑発を含むように響く。
「俺の魔法が、教育に向かないのはお前も知ってるだろ。それに、お前は理学魔法を修めてるだろ。よっぽど適任だろ。」
短い沈黙が、荷馬車の揺れと馬の吐息に紛れて流れる。
メナスは眉間に皺を寄せ、言葉の重みと自らの損得を天秤にかけるように考え込む。恩を売る必要などない。だが、苦手であることを承知の上で頼ってきた一言を、無下にするのも得策ではない。
さらに、リッツという未知数の戦力を確かめる機会にもなる。
そう考えれば、悪い話ではなかった。
「……しゃーねぇな」
メナスは鼻を鳴らし、口元をわずかに歪める。
「特別サービスだ。ちょっとだけレクチャーしてやる」
荷馬車の揺れに合わせ、ディルの指先が再び弦に触れ、今度は柔らかい旋律が街道に流れる。
メナスはリッツの前で体の向きを固め、冷ややかに問いかけた。
「おめぇ、理学魔法っつーのは知ってるか?」
その言葉に、リッツは小さく首を横に振った。
理学魔法──それはルベリア国に広く定着した学術体系である。芽理の宮と呼ばれる研究機関で体系化され、学ぶ者は多い。しかし、師を持たず独学で魔法を操ってきたリッツにとっては未知の領域だった。
メナスは肩をすくめ、説明をはしょりながらも要点だけを吐き出すように語った。
「細かい理屈は、今回は抜きだが大筋は覚えとけ。魔法の扱いを分解して整理する学問だ。ざっくり言えば“射出・放出”と“形態変化・性質変化”の二つで魔法を分けて考える。組み合わせりゃ大抵の魔法は説明がつく……。まぁ、ちょっとおめぇの魔法を見せてみな」
促されるまま、リッツは掌に小さな魔弾を形成し、前方の木の枝へ向けて放った。魔弾は空気を裂き、枝を軽く震わせて消える。木の葉に残る振動が、一拍遅れて耳に届く。
メナスは無表情のまま観察し、声を落として分析した。
「今のは、掌の上で魔力を“放出”して弾の形に“形態変化”させた。それを維持しつつ、目標に向けて“射出”した。……ってところか。」
口調は淡々としていたが、その分析にリッツは驚きで目を見開く。自分が無意識に踏んでいた手順を、まるで設計図を読むように言い当てられたからだ。胸の奥がぞくりとする。
しかしメナスの口調は即座に欠点へと向かった。
「だがよ、おめぇの魔弾……狙ったところに飛ばねぇだろ?」
「え、えぇ……まぁ」
一度見ただけで弱点を突かれ、リッツは戸惑いながら答える。
メナスは一拍置いてから、息を吐くように続けた。
「精度を上げたきゃ、毎日撃ち続けるというのもある。が…根本的な発想を変えるのが手っ取り早い。――いっそ“手元から切り離す”って発想をやめちまえ。」
言葉は単純だが、含意は重い。リッツが問いかけようとしたのを制するように、メナスは手を上げた。
「まあ見てろ。」
メナスの掌に、リッツと同じ魔弾が浮かぶ。だがよく見ると、弾と掌は細い光の糸でつながっている。まるで魂綱のように、弾は手元と一本の線で結ばれたまま宙を漂っている。
「よく見ろ。弾と手は魔力で“紐”のようにつながってるんだ。これを伸ばすイメージで射出してみろ」
メナスの弾は、掌と一本の光の糸で繋がれたまま静かに宙を漂っていた。糸は細く脆そうだが、その細さが逆に弾の挙動を直感的に支配している。リッツの目が大きく見開かれる。理屈は合点がいった。
──魔力を完全に切り離してしまえば、弾は舵を失う。だが“糸”で繋いだままなら、最後の瞬間まで意志は届く。
理解はした。しかし、それを実行するのは別問題だ。掌で形を作りつつ、紐を維持し、さらに先端を細かく操る。三重の作業を同時にこなすには、集中力と慣れ、そして筋の通った制御が必要だった。リッツはメナスの掌の光を見つめ、息を呑む。
メナスは顎をしゃくって見せた。言葉はない。だが、その目は、全てを語っていた。──やってみろ、と。
リッツは深く息を吸い込み、掌に小さな魔弾を形成する。青白い光が指先で揺れ、微かな熱を手のひらに伝えた。心臓の奥がざわつく。まだ手探りの感覚で魔力を紐に結びつけ、そろりと前方へ押し出していく。
しかし、魔力は思うように従わなかった。三十センチほど進んだところで、“紐”がぷつりと切れ、魔弾はおたまじゃくしのように奇妙な形を残したまま、正面から大きく外れて飛び去った。
「ふん……まぁ、思ったより形にはなってんな。しばらく試してりゃいいさ」
メナスの声は短く、軽く吐き捨てるようだった。だがその目には、わずかに認める光が宿っていた。
馬の手綱を握り直すメナスの背後で、石畳を叩く荷馬車の車輪が規則正しい音を立てる。その音に重なるように、ディルのマンドリンが柔らかく旋律を紡ぎ、街道には旅のゆるやかなリズムが漂った。
そして一刻ぐらい過ぎたであろうか。日が頂点に差し掛かるころまで、リッツはひたすら魔弾の制御を繰り返した。手首に力を込め、指先で微妙に魔力を調整する。だが進歩はほとんどなく、魔力の消耗と共に集中も鈍る。放たれる魔弾はさらに不安定になり、掌に残る感覚は重く、焦燥と苛立ちが入り混じった。
荷台から横目でそれを見ていたディルは、ふっと息を吐いた。
「そろそろ昼にしないか? 馬も休ませねぇとな」
メナスは小さくうなずき、荷馬車を街道の端に寄せた。慣れた手つきで馬具を解き、馬が少し自由に動けるように繋ぎ直す。長旅に耐える一頭立ての馬にとって、定期的な休息と給餌は不可欠だ。わずかな緩みも、命取りになりかねない。
荷台ではディルが昼食の支度を始めた。今日の献立は、宿で朝に用意してもらったサンドウィッチ。柔らかなパンに挟まれた香草の匂いが、揺れる荷台に微かに漂う。旅の疲れをほんの少し和らげ、喉を通るとともに緊張を溶かすようだった。
リッツは魔弾の訓練をひとまず止め、掌の残り香を感じながら深く息をつく。身体の芯まで届く疲労と、まだ不十分な自分への苛立ちが混ざる。しかし、どこかに小さな希望もあった――あの“紐”の概念を一度理解しただけで、可能性の扉は確かに開かれた。そんな気配を感じていた。
「リッツ。どうだい? メナスの助言は」
ディルが膝に置いたマンドリンを軽く触りながら、間延びした声で尋ねる。
「んーー……難しいですね。思った以上に繊細な魔力コントロールが必要みたいで……イメージが全然つかめないんです」
リッツは肩をすくめ、手元のサンドウィッチを持ったまま俯いた。
「だってよ? メナスせんせ、生徒が困ってんだ。アドバイスの一つでもないのかい?」
茶化すように言ったディルに、メナスは露骨に眉をひそめた。
「黙ってろ、ディル。……リッツの小坊主は独学で魔弾を作ったんだろ? 答えがわかれば辿り着ける力はある。だったら余計な口出しはいらねぇ。」
馬の様子を確かめながら、メナスはぶっきらぼうにサンドウィッチへかぶりつく。
「でもなぁ……明日か明後日には戦闘の可能性があるんだ。だったら、どうにかして戦力に仕上げなきゃいけないんじゃないか?」
ディルの言葉に、リッツは思わず顔を上げる。
メナスも鼻を鳴らすが、返答はない。二人の頭の中には同じ地図が描かれていた──二日目の終盤から三日目にかけて、街道は分岐し、森が増える。襲撃者にとっては格好の狩場だ。王都からの護衛も薄れるこの地点が、最も危険なのは明白だった。
今の戦力は、正直心もとない。仲間の一部は別任務で宿に残り、臨時のリッツは荒事に慣れていない。ならば、彼の力を少しでも引き出す方が理にかなう──それがディルとメナス、両者の一致した見解だった。
「リッツ。魔法以外に何ができる? その腰の剣くらいは振れるんだろうな?」
メナスが問いかけると、リッツは自信なさげに小さくうなずいた。
「確か……投げナイフも使ってたよね? 結構精度は良かった記憶があるけど。」
ディルが言葉を添えると、メナスはすぐさま噛みつく。
「投げナイフだぁ? 魔弾と似た役割の技術を二つも抱える意味があるか。どっちか一つで十分だろうが。」
「いや……一応、使い分けをしてるんです。投げナイフは精度重視で、威力が必要なときは魔弾を、って……」
リッツはしどろもどろに答える。
「馬鹿言え。」
メナスの声が低く響く。
「魔弾を作る時、お前は魔力と精神を集中させるだろ?剣を交える一瞬にそんな余裕はねぇ。つまりだ──お前の魔法の使い方は、状況に噛み合ってねぇんだよ。」
言葉を吐きながら、メナスの眉間には深い皺が刻まれていく。
眉間の深い皺には、苛立ちよりも「我流の落とし穴」に対する呆れが刻まれていた。魔法を覚えること自体が目的となり、本当に重要な優先順位を見失う──未熟な術者にありがちな過ち。リッツはまさにその典型だった。
「でも……投擲だけじゃ届かない世界が、魔法にはあると思ったんです。だから習得してきたのに……意味がないって言われても……」
リッツは消え入りそうな声で呟いた。
「だってよ、メナス。リッツもこう言ってるんだ。何か活かす方法くらいあるだろ?」
ディルが軽口を叩きつつも、その瞳は真剣だった。
「……本気で強くなりてぇなら、銀貨四百枚持ってこい。カウンセリングから指導まで一貫して──」
メナスが口上を始めた瞬間、ディルの視線が鋭く刺さる。“ふざけるな、実利をよこせ”とでも言いたげに。
「わぁったよ。もっと低い段階からの話だな……その前に飯だ。食っちまえ。」
ぶっきらぼうに言い捨て、メナスはサンドウィッチにかぶりついた。
割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。
何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。
→ https://x.com/feally_leaf
あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。
設定 - 009
ラティス商会
リテイア領の元大貴族・ラティス家が興した行商中心の商会である。“必要なものを、必要な場所へ”を信条とし、単なる物流網の整備にとどまらず、復興事業を通じて地域全体を顧客化する戦略で勢力を拡大した。取り扱う品の品質の高さは評判で、復興を求める土地には必ず支所を設置し、人材と技術を送り込む。村の再建と物流を同時に掌握するその手腕は、まるで国全体に網を張るかのようで、ルベリア全土にその名を轟かせている。現在では五大商会の一角として数えられるほどの大商会であり、商会内には商才ある人材が多く集まり、独自の情報網も構築されている。
商会は独自に傭兵部門を有し、狼風亭もその一部として日々活動している。表向きは護衛や警備を任務として知られるが、その実、政府の上層部との密接なつながりを活かし、遺跡調査や一時的な拠点の設営など、国家の重要任務にも関わることがある。さらに、商会の傭兵部門は単なる戦闘力だけでなく、情報収集や現地調整など、幅広い任務を柔軟にこなせる点でも知られている。




