008 街道を征く
石畳の切れ目を越えるたび、荷馬車は軋む音を響かせた。老いた木枠がきしみ、そのたびに小さな悲鳴をあげているかのようだ。森を包む静寂は深く、車輪の響きと馬の蹄鉄が放つ鈍い打音だけが、規則正しく続いていく。
荷台の縁に腰を下ろしたリッツは、身体を揺れに合わせて支えながら、遠く霞む街道を見つめていた。狼風亭を出立してすでに二刻。耳に届くのは馬の荒い吐息と、風に乗ってくる鳥のさえずりばかり。だが、その静けさとは裏腹に、胸の内はざわついて仕方がなかった。
久方ぶりに「冒険者らしい依頼」を得られたのだ。
──それは、偶然の巡り合わせにすぎない。
同宿の先輩冒険者が病に伏し、護衛と雑務を兼ねた任務に空きが出た。そこに、ひよっこの彼らの名が滑り込んだ。ただそれだけのこと。だが、リッツにとっては、この偶然こそが神々の微笑みに思えた。
冒険者として名簿に名を連ねて、まだ二か月。初めての依頼はゴブリン討伐で、刃を振るい、血の臭気を吸い込みながらも「冒険者になった」という実感を胸に刻んだ。だが、それ以降はどうだろう。
露天商の素行調査。村の復興のための測量。失せ物探しに、果ては土木作業の手伝い。挙句の果てに、ただの引っ越しの荷運びなんて仕事もこなした。確かに金にはなった。だが、剣を帯びる者が荷物を運んで汗を流すだけ──そのむなしさは、胸の奥に澱のように積もっていた。
もちろん、華やかな依頼が皆無というわけではない。王都リテイアの冒険者ギルドに掲げられる任務の中には、盗賊退治や魔物討伐といった血煙を伴う仕事もある。だが、それとてひと月に十件足らず。対して、王都の冒険者宿は三十軒を数え、そこに身を寄せる冒険者は三百近い。命を賭ける依頼ほど報酬は大きく、そして奪い合いも熾烈だ。古参たちは己の伝手を駆使し、掲示板に張り出される前に依頼を掻っ攫ってしまうのが常だった。
今回の任務も、決して手放しで喜べるものではない。
「先輩冒険者の代打」──その言葉が示す通り、求められる経験値は彼らの肩には重すぎる。それでも、リッツの胸には奇妙な昂ぶりがあった。
緊張と不安、そして抑えきれぬ期待。その三つが渦を巻き、血を熱くする。彼はふと、腰に下げた剣に触れた。革の鞘越しに伝わる冷たい感触が、今だけは希望の象徴に思えた。
「よぉ、肩に力が入りすぎてねぇか? ルーキー。」
不意にかけられた声に、リッツはびくりと顔を上げた。
黒い外套を羽織る男──メナス。狼風亭でも中堅の実力者として名を知られる冒険者である。外套の裾が揺れ、影のようなその姿は、気後れする者にはそこに居るだけで周囲の空気を圧するように感じられた。
彼はリッツにとって警戒すべき相手でもあった。
同じく中堅のディルから「仕事の型を定めるまでは深入りするな」と注意を受けていたのだ。理由は明かされなかったが、経験の浅い者にとって、理由の無い忠告ほど重たく響くものはない。
リッツはどう返すべきか迷い、ちらりと彼を伺う。その一瞬の逡巡を見抜いたように、メナスは勝手に言葉を続けた。
「今回の依頼は単純だろ。荷を運んで、到着地で復興の手伝い──それだけだ。三日も拘束されて、報酬は銀貨四百。しみったれた額だろ?」
にやりと浮かんだ笑みは、愉快げというよりも、相手の腹を探るような色を帯びていた。冗談めかした声音の裏に、見透かすような眼差し。リッツは小さく喉を鳴らし、答えをのみ込む。
「護衛任務っつってもな。危険が潜んでる場所は限られてる。ずっと張り詰めてたら、心も体も先に壊れる。……分かるだろ?」
「ええ……ありがとうございます。」
口から出た言葉は、礼を装いながらもぎこちない。声色に硬さが滲み出ていた。
その瞬間、メナスの目が細くなる。冷たい光を宿し、相手の心の襞を覗こうとするかのように。
「相棒のオルスを置いてきたのが不満か? ……いや、違うな。」
靴の先で荷台を軽く叩き、男はくつくつと笑った。
「おめぇ、俺を警戒してやがるな?」
図星を突かれたように、リッツは言葉を失う。新人冒険者にとって先輩からの指名は貴重な糧。ここで無闇に敵意を示せば、今後受けられる仕事は確実に狭まるだろう。だが一方で、ディルの忠告も脳裏にちらつく。どちらを信じるべきか──判断は容易ではなかった。
「ちっ……別に俺は、同宿の仲間に妙な真似はしねぇよ。」
わざと吐き捨てるように言ってから、メナスは肩をすくめる。その仕草には軽薄さと共に、どこか計算された間合いがあった。
「そうだな、とりあえず仕事の話に戻ろうか。」
彼は視線を遠くへ投げ、独り言のように声を低くした。
「今回の依頼主はラティス商会。うちにとっちゃ一番の固定客だ。規模は小せぇが……お前らにとっちゃ将来を繋ぐ顧客になるかもしれねぇ。ここでいい働きを見せとけ。」
言葉を切ると、横目でリッツを盗み見る。若き冒険者はまだ警戒心を解かぬまま、しかし耳はその言葉にしっかり傾けていた。
「護衛任務はな、長丁場だ。完全に気を抜くな……だが、張り詰めすぎても身がもたん。大事なのは──“襲われやすい条件”を整理しておくことだ。」
その一言に、リッツの瞳がわずかに光を帯びる。恐れと不信の狭間にあっても、経験者の言葉には確かな重みがあった。
メナスはわずかに口角を吊り上げ、薄笑いを浮かべた。
「まず一つ。宿場の配置だ。基本、十刻も歩けば必ず宿場がある。野宿にならねぇように作られてんだ。町や宿場には騎士団の警備がいるからな。わざわざ近隣を狙う馬鹿はそうそういねえ。」
淡々とした口調の奥に、確信めいた響きがある。リッツは小さくうなずいた。
実際、彼らがリテイアを発ってから半刻もたっていない。襲撃を案じるには早すぎるのかもしれない。だが、街道は深い木立に覆われ、薄闇の中で道の先すら見通せぬ。森の影が際限なく口を開け、何かが潜んでいるような気配を漂わせていた。その得体の知れぬ畏怖が、胸の奥にじわりと広がる。
「逆に襲うなら……休憩の時、でしょうか?」
勇気を振り絞り、リッツは小さく声を出した。
メナスは愉快げに目を細める。
「そう、それも一つだな。馬を休ませ、水をやる。つまり、即座に動けねぇ状況だ。」
杖の先で荷台を軽く叩く。その音が木霊し、森の静寂をかき乱した。
「ほかにも、道幅が狭く崖が迫る場所、ぬかるみや落石で足を取られる場所……。そういう所は狙われやすい。敵にとっちゃ、逃げ道を塞ぎやすい地形だ。」
彼の視線が鋭くなり、リッツの胸を射抜く。
「今おめぇが警戒してるのは……木々が深く、隠れるには格好の場所だからだろ?」
リッツはわずかに唇を引き結び、素直に答える。
「……まあ。隠れて襲撃するには向いた場所だなって。」
「だがな。」
メナスは笑みを深め、声を低く落とした。囁きに似たその響きは、森の陰から忍び寄る風のように背筋を撫でる。
「そう考えるってことは──見通しのいい場所なら警戒を解くってことだ。」
リッツの頭に衝撃が走る。見通しがいいということは、自分たちの姿もまた丸裸に晒されているということ。ならば、敵は確実に仕留められると踏んだ時こそ、堂々と襲いかかってくるのではないか。
結局、どこにいても安易に気を緩めることなど許されない──その事実が彼の心臓を掴み、握り潰すように強く脈打たせた。無意識に握った拳に力がこもり、皮手袋がかすかにきしむ。
その微かな仕草を、メナスは見逃さなかった。目を細め、にやりと笑う。
「理解が早ぇな。」
低い声の称賛が、ざわめく木々の間に吸い込まれていった。
「……おめぇが襲撃者だとして、勝利条件はなんだ?」
唐突に投げかけられた問いは、先ほどまでの軽さを失っていた。掠れるような低い声は、心臓の鼓動を試すかのように重く響く。
リッツは息を呑み、返答を探す。
「勝利条件……ですか。護衛を全滅させるか、あるいは荷をすべて奪うこと……でしょうか。」
「違ぇんだよな。」
メナスの即答は刃のように鋭かった。その響きは否定でありながら、同時に教えを含んでいる。
「襲撃者にとっちゃ、これも仕事だ。全部を欲しがる必要はねぇ。要るのは、しばらく食っていける分の糧だ。……例えばだ。」
彼は荷台の縁を靴の先で軽く叩き、乾いた音を森に響かせる。
「運んでるのが上質な宝石だったら、一袋どころかひと握りで数か月は飯に困らねぇ。そうなりゃ護衛が重装の騎士だろうと、勝ち筋はあるって話だ。」
リッツは瞼を伏せ、頭の中で場面を組み立てる。
――十分な人数を揃え、陽動で護衛を引き離す。一瞬で荷に手をかけ、ほんの一部を奪う。逃げ道を確保しておけば成功の余地はある……。
確かに、それなら実行は可能だ。思わず背筋に冷たいものが走る。
「……分かったようだな。」
メナスの低い声に導かれ、リッツは小さくうなずいた。
「俺たち護衛の役目は、敵を追うことじゃねぇ。守り抜くことだ。」
「ですが……」
リッツは迷いながら言葉を継いだ。
「こちらと藪の向こうにいる“賊”では、見えてる風景が違いますよね。そうすると、どこが危険地帯かって断定するのは……難しくないですか?」
その指摘に、メナスの目がわずかに細まる。
「確かにな。だが“賊”だって人手が余ってるわけじゃねぇ。」
「……つまり。」
リッツが静かに引き取る。
「仕掛けられる回数と場所は、限定される。奴らは勝ち目があると判断した所に集中して動くほうが合理的ってことですね。」
「そういうこった。」
メナスの口元に薄い笑みが浮かぶ。
「付け加えるなら──どうせ襲うなら、だ。」
前方へ視線を投げ、わざと軽く鼻で笑う。
「警戒の仕方が拙ぇ素人が護衛してる隊列の方が、よほど狙いやすいって話だ。」
はっとしてリッツは周囲を見直す。その後、ゆっくりとまっすぐ前方へ視線を据える。その姿勢には、警戒と自覚が静かに宿っていた。
「……メナスさん。」
気恥ずかしげに頬をかきながら、リッツは小さく呟いた。
「そういうことなら、最初から教えてくれれば良かったのに。」
「ルーキー。」
メナスの声には、わずかな柔らかさが混じっていた。
「最初から言ったって、素直に聞きゃしなかったろ? ……まぁ、お前が思ったより真っ直ぐ答えに辿り着く奴で助かったがな。」
森を渡る風が荷馬車を包み込み、軋む木枠の音が再び静寂を取り戻していく。
二人の間に生まれた言葉なき理解が、森の陰影に溶けていった。
割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。
何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。
→ https://x.com/feally_leaf
あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。
設定 - 008
メナス・リドル
年齢32歳。リテイア領出身。男性。
理学魔法を操り、無動作・無詠唱でも戦う魔道士。
狼風亭の戦闘力のランク付けでは、冒険者のみで9/19位。従業員込みで11/25位
元「芽理の宮」の修士で理学魔法を研究していた。リテイア領が侵攻を受けた際に徴兵され、実戦を重ね理論を磨く。彼が編み出したのは、非戦闘時に魔力を蓄え、戦闘では即座に放つ独自技術であった。この力で敗色濃厚な戦況でも戦果を挙げ続け、敵兵からは恐怖と畏怖をもって語られた。戦後は芽理の宮に戻り研究に励むが、腐敗に失望して職を辞し冒険者となる。去り際、その学識を称え「博学の五本指」の称号を授与された。




