004 初戦
森の奥深く、日差しは木々の間を縫って斑に地面を照らしていた。足元に散った落ち葉が、踏まれるたびにかすかな音を立てる。そんな中、先頭を歩いていたオルスが、ぴたりと足を止める。そして、手を挙げ、静かに拳を握る。全停止のサインだ。
全員がその動きに反応し、無言で止まり、森の空気がひときわ重く張り詰める。緊張は皮膚の感覚にまで広がり、呼吸さえも慎重になる。オルスの視線の先に、木々の隙間からかすかに、くすんだ緑色の影が揺れていた。ゴブリンだ。細身の体を左右に揺らし、洞窟の入口付近をうろついている。まだこちらには気づいていない様子で、どこか退屈そうに遠くを見ているようにも見える。
キャラウェルが素早く手を動かし、自分がその場に残って見張りを続けることを示した。他のメンバーは、キャラウェルを残し静かに後退し、声を出しても聞こえない距離まで下がった。
──ふぅ、と誰かが小さく息を吐いた。
「……見つけたね。あれが、今回の依頼先。ゴブリンの巣だと思う。」
リッツは緊張の色を滲ませつつ、つぶやくように言った。声は森に溶け、しかし確かに届く。ディルはゆっくりと頷き、視線を周囲に巡らせながら言葉を続ける。
「そうだね。さて……あの様子を見て、何か気づいたことはあるかい?」
すぐに応じたのは、オルスだった。
「見張りは一匹だけ。洞窟の前から離れる様子もなかったし……中に巣があるのは、ほぼ間違いない。」
続けてイリアも言葉を重ねた。
「……標準よりも少し痩せているように見えたかな。栄養状況が良くないのかも…」
「だとすれば、群れの規模も大きくないか、あるいは弱体化してる可能性があるね。」
「それに、武器も木を削っただけの棍棒。まともな装備もないみたい。」
二人の冷静な観察に、ディルは静かに頷いた──が、その目はどこか満足していない。
彼は少し間を置いて、視線をリッツへと向けた。
「リッツ。君の意見を聞いてみたい。」
リッツは一瞬、思考の世界に沈み込む。先ほどのディルの問いかけに応えるべく、情報を整理し、先ほど見た光景と照らし合わせる作業だ。眉をわずかに寄せ、唇を閉ざしたまま、洞窟の周囲に広がる小道や足跡を思い浮かべる。
「……んー。情報は確かに多いけど…仮説に頼るしかない部分もありますね。」
彼の口から出た声は小さく、だが確信を帯びていた。周囲の視線が一斉にリッツに向けられる。オルスもイリアも、森の静寂の中で呼吸を控え、耳を澄ませる。
「まず、あの洞窟には、ゴブリンたちが住み着いてから、まだあまり時間が経っていないと思います。出入りが多ければ草が倒れ、周辺の地面が均されるものですが、それが見られなかった。」
彼の指摘に、オルスとイリアが軽くうなずく。
「それから、警戒が薄い。見張りが一匹だけなのは、“過去に襲撃された経験がない”ことの裏返しかと。」
リッツは一度息を整え、視線を洞窟の方へ向ける。
「あと──仲間の“分隊”が、外に出ている可能性もあります。食糧の調達とかですかね。見張りがじっと同じ方向を見ていたのは、その仲間の帰還を待っているのかもしれません。」
森の静けさが一層深まり、風が葉を揺らす音だけが耳に届く。リッツの言葉には無駄がなく、しかし洞察の深さが隠されていた。最後に、彼は群れの規模についても言及する。
「そして、群の数もやはり多くない。昨日の雨が降ったんですかね。洞窟前の地面はぬかるんでるように見えたけど、中へ向かう足跡は多くなかったですね。数えてないけど、僕の見た限りでは──多くても十匹前後、ってところだと思います。」
ディルは小さく頷き、目を細めてリッツを見つめる。その目には、評価の光と次の展開への期待が宿っていた。
「……いい分析だね、リッツ。視点が広い。仮説に頼ってるとは言ったけど、根拠は明確だね。十分な判断材料になり得るよ。」
風が再び森を抜け、葉をかすかに揺らす。湿った土の匂いが辺りに満ち、緊張と静寂が交錯する中、ディルの声が低く響いた。
「では、リッツ。君ならどんな戦略を取る?」
その声はどこか満足げだった。さきほどの分析が、どうやら合格点に達したということだろう。リッツは胸の奥で、静かに安堵の息をついた。
「まず、見張りのゴブリンを静かに排除しましょう。可能な限り気づかれないように接近して、素早く…。処理した後の死体は、外から確認しやすい場所に置きます。」
イリアは眉をひそめ、軽く首をかしげる。
「死体を見せる……?」
リッツはイリアの方を見て頷き、視線を洞窟の入口に戻す。
「もし分隊が外に出ていた場合、戻ってきたときに牽制になります。敵の動きを止めることで、こちらが主導権を握りましょう。」
「なるほど……」
ディルは腕を組み、軽く頷いた。森の木漏れ日が顔を照らす中、彼の表情には興味と評価が入り混じっていた。
「続いて、洞窟内部に進入します。中のゴブリンはなるべく各個撃破で数を減らしながら行きましょう。もし不在と判断できれば、探索後に入口側に潜伏。日暮れまで、分隊の帰還を待ち、死体を見つけて動揺した瞬間に──奇襲をかけます。」
その戦略を聞いたディルは、しばし沈黙の後、口角を少し上げて頷いた。
「いいね。全体の流れとしてはそれで行こう。ただ、一つ補足がある。洞窟前の足跡や配置を見る限り……群れのボスはゴブリンシャーマンの可能性が高い。さらに、ホブゴブリンが1体、いや──2体ほどいるかもしれない。この編成を前提に、戦術面での提案はあるかい?」
ディルの問いに、イリアが素早く応じた。
「相手に数的優位を取られたら、こちらが押し負けるわ。私は足止めに専念する。逃がさず、一体ずつ確実に数を減らしましょう。」
リッツが続ける。
「了解。イリアはその役割を頼むよ。オルス──ゴブリンが三体以上現れたら、切り込んでもらう。ただし、それ以下なら焦らずイリアのサポートに回ってくれ。ホブゴブリンが出た場合は……一体、抑え込んでくれ。」
オルスは拳を軽く握り、イリアはうなずいて見せる。リッツは、ディルに視線を向ける。
「ディルさんには、最後尾からのフォローをお願いします。こちらがピンチになった時の支援と……もしゴブリンシャーマンが現れたら、そちらの対応をお願いしてもいいですか?」
「了解。任せてもらおう。」
ディルは即答し、言葉を継いだ。
「さて、君とキャラウェルの役割はどうする?」
「僕とキャラウェルさんは遊撃役です。僕は最前線で動きます。敵の数を確認して、少なければそのまま戦闘に入ります。キャラウェルさんに魔法の射程を活かして後方から広く戦場をカバーしてもらいます。」
リッツは一呼吸置いて、きっぱりと言い切った。
「以上です。もし異論がなければ、状況が変わらないうちに戻りましょう。」
全員が一斉に頷いたその瞬間、空気が再び戦場の色に染まり始める。静寂の中、葉が風に揺れる音だけが、一行を見送っていた。
キャラウェルの元へと一行は戻る。森の陰に身を潜める彼女の指が、静かに空気を切る。ハンドサインで伝えられたのは「変化なし」の合図だった。ディルはわずかに顎を引き、了解を示す。風は止み、空気の流れさえ固まったような静寂の中、一行は息を潜める。
次に動いたのはリッツ。彼は木の影から影へと、縫うように静かに慎重に、だが迷いなく進んでいく。枯れ葉一枚さえも踏みしめることなく、まるで風の一部になったかのような身のこなしだった。
ディルはその様子を遠くから見つめる。年齢的に戦場での経験は決して多くはないであろうが、まるで熟練した斥候のようなリッツの動きに心の中で舌を巻く。
残り数メートル──ゴブリンの見張りまであと少し。だが、そこから先は完全に開けた地面が広がる。枝も障害物もない。走れば届く。そんな距離ではあるが、敵に警戒の声を上げさせる隙を与えるということ。
(……マズいな。ここからじゃハンドサインも無理だし……)
リッツは木の陰に身を寄せながら、僅かに顔をしかめる。
彼の視線は地面に向けられつつも、頭の中では数通りの打開案を検討していた。
(この距離だと魔法じゃ火力不足。イリアだったら無力化できるけど、ここまで連れてくるのはリスクが大きい。……せめて、あいつが数歩だけ、こっちに寄ってくれれば──)
集中を切らさず、リッツはゴブリンの動きを観察する。
──その時だった。
ザザッ、と横の藪が小さく揺れた。目を向けると、小石が低木の幹に当たり、乾いた音を立てて転がる。
(ディルさん……?いや、あの距離でこの精度、偶々か……)
音に誘われ、ゴブリンは緩慢な足取りで藪の方へと歩み寄る。警戒しているはずなのに、どこか呑気で、風下に回られたことにも気づかない。リッツの瞳がわずかに細まり、胸の奥で小さな安堵と緊張が入り混じった。
(あと二歩──)
剣の柄にそっと指を添え、左掌に魔力を集め魔弾を形成する。かすかに「キィン……」と共鳴音が響く。リッツは眉をしかめるが、初撃で仕留め損ねたときの保険。そう──彼は慎重すぎるほどに用意を整えていた。
ゴブリンは不用意に進み、リッツの“射程”に踏み込む。
(今だっ──)
リッツの身体は草陰から滑り出した。足が踏み出す瞬間、空気が震えるような感覚を伴い、彼の視界には無防備なゴブリンの喉元が映る。刃が閃いた…が、剣先はゴブリンの首筋を掠めただけであった。
(くそっ……!)
剣速がわずかに足りなかった。片手での初撃、加えて草陰を飛び出すときの音にゴブリンが反射的に体を引いていた。結果として偶然にも回避した形だ。だが、敵はそれを“自身の実力”と勘違いしたようだった。
──ニマリと下卑た笑み。明らかに人と同様に本能を超えた感情のある証拠である。
ゴブリンは口を開き、警戒の声を上げようとするその瞬間──
「──ッ!」
リッツの左手から放たれた魔弾が、まっすぐにゴブリンの口内から喉へと貫いた。ゴブリンは声にならないうめき声を漏らしながら、地面に崩れ落ちる。リッツは、倒れたゴブリンの胸にとどめの一撃を突き立て、首を切断する。その首を静かに持ち上げ、洞窟の入口──見張りが常に見張っていた方向へ顔を向けて据えた。
直後、森の中から足音が近づく。草をかき分けて現れたのは、ディルたちだった。
「ナイスだよ、リッツ。見事だね。」
ディルが静かに、しかし満足そうに口を開く。
「いや……あの石、ディルさんですよね?あれがなかったら、たぶん分の悪い賭けをするところでした。」
リッツは肩をすくめながらも、少し照れくさそうに笑う。
「ちゃんと待てたのも立派な判断だよ。初歩的な魔法でも、使い所を間違えなければ有効だって、証明してくれたね。」
ディルが柔らかく微笑むと、オルスが前に出てきた。
「さて……ここからが俺とイリアの出番だな。うずうずしてくるぜ。」
その言葉に、キャラウェルが冷静に口を挟む。
「その前にね。ツタを靴に巻いておきましょ。足音を少しでも抑える努力は必要よ。。」
皆が頷き、それぞれ足元にツタを巻きつける。リッツも自らの準備を整え、再び左手に魔弾を生成する。先ほどとは異なり今度は微かに光を放つ。洞窟内で揺らめき、まるで意思を宿した灯火のように空間を照らした。
彼らは、事前に決めていた隊列に従い、洞窟へと足を踏み入れる。
割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。
何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。
→ https://x.com/feally_leaf
あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。
設定 - 004
イリア・サートニー
年齢23歳。ピシア領出身。女性。
魔力を霧状に散布、操作することを基軸にした魔道士。
狼風亭の戦闘力のランク付けでは、冒険者のみで15/19位。従業員込みで18/25位
リッツのいとこに当たり、同じく騎士を輩出する家系に生まれる。イリアとオルスは先の内戦時に騎士団に帯同したが、正式な入隊は辞退していた。トレーニングを積むものの身体能力は低く、独学で魔法を鍛えている。散布した魔力を取り込ませることで、精神に働きかける精神感応系の魔法を奥の手とする。その希少性から22歳の時に、従騎士から騎士への推薦(試験なしの昇格)があったが、オルスが冒険者になると聞き辞退する。




