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狼風亭の冒険者たち(仮)  作者: うるぅ
02 冒険者という仕事
16/20

016 帰還

荒れ果てたあばら家の扉を押し開くと、乾いた蝶番がかすれた悲鳴を上げた。中は半ば闇に沈み、板壁の隙間から差し込む細い光の筋が、宙を舞う埃を銀色に浮かび上がらせている。

わずかな生活の痕跡――藁を敷いただけの寝台、黒く焦げ跡を残した小さな炉。だが、そのどれもが使い込まれた温もりを欠いていた。ここは住居ではない。人の匂いが残るのに、生活の気配が決定的に希薄なのだ。やはり“根城”ではなく、取引のために設えられた仮の隠れ家に過ぎないのだろう。

(騎士が逃げなかった理由…やはり、ここに“何か”があるはずだ。)

脇腹に走る痛みに顔を歪めつつ、メナスは棚を乱暴にあさり、机をひっくり返した。羊皮紙の切れ端、乾いた革袋、転がる数枚の銅貨――どれも取るに足らぬものばかり。焦燥が胸を満たす中、ふと炉の脇の床に視線が止まる。

板が不自然に盛り上がっている。しゃがみ込み、指をかけると、軋む音とともに板は外れ、小さな空洞が口を開いた。

そこに隠されていたのは、革に包まれた数冊の帳簿と、封蝋の施された手紙数通だった。

「これ、か…」

帳簿を開けば、古びた紙面にびっしりと記された数字と名前の羅列。農村の名、商人の名、そして――騎士団員の署名。その隣に並ぶのは、金額を示す数字の数々。めくるごとに眉間の皺が深まり、胸中に重苦しいものが積み上がっていく。

(これは…賄賂の記録か。それとも恐喝の証か…。いや、精査はウォルに任せるか。)

封蝋のされた手紙にも目を移す。蝋印には家紋が刻まれている。封は割らずに取っておく方が、証拠としての真偽が明確になる。すでに開封されている手紙を見ると、差出人の名はないが宛名は騎士団員と思しき貴族の家名。どうやら、賊が偶然手に入れた帳簿を元に騎士団員を脅し、味方につけたのだろう。

回数を重ねるごとに双方に旨味があったことも容易に想像できる。証拠を懐に収め、メナスは深く息を吐いた。


あばら家を出る。まだ日は高く、林に影が濃く落ちている。――だが、そこにあるべきものがなかった。

倒れていたはずの騎士の姿が消えていたのだ。残されているのは、拘束に使った縄だけ。

(逃げられた…か。)

左腕が利かぬままでは、縛りが甘かったのかもしれない。いや、最初から奴は気絶のふりをして、少しずつ体を動かし、抜けやすいよう調整していたのだろう。どちらにせよ、もはや確かめようがない。

「……遠回りするか。」

小さく呟き、森を睨む。胸中に広がるのは、不気味な静けさと見えぬ影の気配。騎士がただ逃げ去っただけなのか、それとも別の思惑を胸に潜んでいるのか――答えはまだ闇の中にある。

それでも、今は証拠を携え、無事にウォルのもとへ戻らねばならない。痛む脇腹を押さえ、左腕をぶらりと垂らしたまま、メナスは林の奥へと姿を消した。



夕暮れの橙が宿場の小さな窓硝子を染め、詰所の壁に淡い影を描いていた。森を抜け、街道を避け、幾重にも迂回を重ねた末、メナスはようやく帰還したのだ。過剰なほどに張り詰めていた警戒も杞憂に終わり、追手の影すら現れることはなかった。

奥の部屋に足を踏み入れると、既にウォルとディルが待っていた。

「派手にやられたな。」

椅子に深く腰掛けていたディルが、肩をかばうメナスを一瞥し、皮肉めいた笑みを浮かべる。軽口に見えたが、その瞳の奥には微かな心配が滲んでいる。

「……その様子だと、何か掴んできたんだろう?」

ウォルの低い声に応えるように、メナスは口端を吊り上げ、懐から革に包まれた帳簿と封蝋の手紙を取り出した。革と古紙の乾いた匂いが、詰所の空気を一瞬にして変える。

「おお……一日で証拠を手にしたというのか!」

ウォルが身を乗り出し、手を伸ばす。しかしメナスはすっと手首を返し、帳簿を遠ざけた。

「なぁ、その前に……報酬ってやつを、先にもらおうか。」

わざと軽薄に言い放ち、傷んだ身体を椅子に投げ出す。

「む……中身も確かめずに払えと?」

ウォルは渋い顔をしながらも、目の奥には抑えきれぬ光が揺れていた。

「銀貨五十枚。損はさせねぇ。」

メナスは未開封の手紙を掲げる。蝋印に刻まれた家紋は、確かに有力な証拠たり得るものだった。

短い沈黙ののち、ウォルは革袋を開き、銀貨を数えてメナスに渡す。受け取ったメナスは満足げに頷き、帳簿と手紙を差し出した。その瞬間、部屋の空気がさらに重く沈む。

「……経緯を話せ。」

ウォルの視線は証拠よりもまず事実を求めていた。

メナスは語った。森での尾行、賊との戦闘、荒れ果てた小屋、そして見つけた証拠――。言葉を紡ぐたび、ディルの表情は険しさを増し、ウォルの瞳には冷たい光が宿っていった。

「なるほど……他の目に触れた形跡はない。ならば、この件は極秘に扱う。」

ウォルは低く断じた。「一切の口外を禁ずる。……守れるな?」

「ああ。」メナスが頷き、ディルも無言で同意を示す。

それを確認すると、ウォルはもう一つの革袋を取り出し、ディルへと投げる。

「銀貨二百枚だ。最初の五十は口止め料、残りは本件の依頼料と思ってくれ。」

袋が机に落ち、銀の硬貨が鈍く響く。その音は詰所の静けさを強調するかのように耳に残った。

夕闇が詰所を覆い始めるなか、三人の間に沈黙が落ちた。だがそれは安堵のものではない。


椅子に沈んだメナスは、不意に隣の男へ視線を投げる。

「そういえば、ディル。おめぇは何してたんだ。」

問いかけに、ディルはわずかに目を細め、肩をすくめる仕草で答えた。

「俺か? 残念ながら空振りだったさ。」

両手を上げ、おどけるように笑ってみせるが、その瞳の奥はどこか掴みどころがない。

「ちょろちょろ動く囮を追っかけて、見張り場を推測して回ってみたんだが――結局収穫はなしだ。」

言葉とは裏腹に、その声音には余裕があった。

「まぁ、得たものはなかったが……派手に走り回ったおかげで、賊と繋がってる連中の視線は俺に釘付けになったはずだぜ。」

口の端を吊り上げた笑みは、虚勢とも確信ともつかぬもの。だが少なくとも、裏切りの騎士を援護する影は一切現れなかった。彼の奔走が目くらましになったのは事実だろう。

「メナス、とりあえずこれでも使え。」

不意に放られた小瓶を、メナスはぎこちない腕で受け止めた。布に浸された薬液が、中でゆらりと揺れる。ヒリンの葉から抽出した平凡な傷薬――だが、じわりと沁みる感覚は確かに痛みを和らげた。

「おいっ……もう少し優しく渡せよ。」

小さな不満を零しつつも、顔には安堵の影が滲む。

「ウォルさん。あとの細かい所はお任せします。我々は証拠集めの依頼でしたから。」

唐突に声を掛けたディルは、依頼主から目を逸らし、早くも席を立つ気配を漂わせていた。

「そんなに急ぐことはないだろ? 長らく追っていた仕事にケリがついたんだ。一緒に一杯やらないか。」

ウォルは棚から果実酒を取り出し、軽く掲げて見せる。その声音には誘いというより、どこか労わりに近い響きが混じっていた。

「ウォルさん。あなたにとってはそうでも、俺たちにとってはただの依頼の一つに過ぎない。悪いけど、ご相伴には預からない――これが、うちの流儀でね。」

乾いた声が部屋に落ちる。ディルの眼差しは冷えきっていて、普段の軽妙さとはまるで別人のようだった。

ウォルはしばし言葉を失い、瓶を握り締めたまま立ち尽くす。やがて諦めたように小さく息を吐き、瓶を棚へ戻した。

その一部始終を黙って見ていたメナスは、胸の奥に鈍い違和感を覚えていた。

(……妙だな。さっきまでは軽口を叩いていたくせに。)

ディルは依頼主に冷淡な態度を取る男ではない。少なくとも、メナスの知る限りでは。彼の言う「流儀」など存在せず、これまでは酒席を共にしたことも幾度もあったのだ。

「そうか、残念だ。……まぁ、彼の様子を見るに、しばらくは療養が必要だろう?」

ウォルが沈黙を繕うように繋いだ言葉に、ディルは素っ気なく頷いた。

「えぇ。そうですね。」

そのままメナスに肩を貸し、扉を開く。外にはすでに夜が広がり、冷たい風が頬を撫でていった。街路に二人の影が伸びる。重なり合いながらも、決して一つにはならない。

足音の裏で、メナスの胸には言葉にされぬ疑念が、音もなく積もっていった。


宿場の出口に近い小さな宿。ディルは迷いなく相部屋を借りた。

帳簿を抱えた宿の主に銀貨を渡し、鍵を受け取るその所作に、一片の逡巡もない。

「おい、俺らはそういう仲じゃねぇだろ。」

メナスは口を尖らせ、不満げに言葉を投げる。だが、視線がディルの双眸と交わった瞬間、喉に貼りついたように声が途切れた。

――そこにあったのは、冗談も軽口も入り込む余地のない、鋭い意志と静かな圧。

部屋へ足を踏み入れるや否や、メナスは糸が切れたようにベッドへ倒れ込む。

森を抜け、追跡をかわし、戦いに身を投じた疲労が一気に押し寄せ、骨の髄まで重く沈んでいく。

魔力は削られ、肉体は損なわれ、ただ眠りを求める身体。

それでも――どうしても確かめねばならぬことがあった。

「ディル……おめぇ、俺が知らねぇ何かを知ってるな?」

問いは低く、ほとんど囁きに近かった。

沈黙が訪れる。外から聞こえる宿場の喧噪すら、どこか遠く霞む。

「……さて、どうだろうな。」

ディルは窓から通りの動く影を確認し、少し耳を澄ます。まるで何かを警戒しているような動きだ。

かつて幾度も見たことのある軽口の笑みは、一片たりとも宿っていなかった。

「答えになってねぇだろ……」

メナスは口角を歪め、抗おうとする。だが疲労が重石となり、身を起こすことすらできない。

「今は休め。……お前の身体はもう限界だ。余計な詮索は後でいい。」

低く抑えた声が部屋に落ちる。その響きは冷たいはずなのに、不思議と抗いがたい力を帯びていた。

反論の言葉は舌に絡まり、ついにはベッドの上に沈んでいく。

瞼が落ちる直前――薄れる意識の中で、ただ一つの確信が胸を掠めた。

(……やっぱり、何か隠してやがるな。)

静かな寝息が部屋を満たすころ、ディルは仲間の寝顔をひととき見つめ、やがて視線を逸らした。彼の手は自然に剣へと伸び、その柄をしっかりと握りしめる。

少なくとも、自分の“面”は賊に割れている。そのうえでウォルは、口止めはするが賊に組する人への処罰などの話はしなかった。何より、ディルだけが気が付いた動かぬ証拠があった。

――今夜は眠らぬ番をするつもりである。メナスが動けないこの瞬間が一番危険である。

明日の朝までに、メナスの身体はどこまで持ち直すだろうか。一抹の不安を抱えつつディルは眠れぬ夜を過ごす。



数日後。

二人の姿は、ようやく狼風亭へと戻っていた。

翌朝、メナスがどうにか歩けることを確認すると、ディルはまるで逃げるように先を急いだ。宿場を経由し、道中では一度たりとも気を緩めることなく、常に周囲へ目を配り続けた。その背中には、張り詰めた糸のような警戒が見て取れた。

だが――狼風亭の扉を潜った瞬間、ようやくその緊張が解ける。

硬く閉ざしていた表情がゆるみ、彼の口から安堵の吐息が漏れた。


その日の夜の事である。

「なぁ、ここなら……おめぇ、説明できるだろ?」

メナスが問いを投げる。手には珍しく酒の盃。傷の疼きを誤魔化すように、彼は何度も酒を口へ運んでいた。頬には薄い紅が差し、目には微かな翳り。

「あぁ。悪かったな。無理やり進めちまって。」

ディルは落ち着いた口調で応じる。狼風亭の厚い壁と、馴染みの喧噪が二人を包む。ここならば、耳を潜める者も影を潜む者もない。

「ウォルって男の本名はな、ウォルナッツ・リブライン。ライン家の遠縁にあたるんだ。」

淡々と告げられた名に、メナスは眉をひそめる。貴族の血筋などに疎い彼は、ただ顎をしゃくって続きを促す。

「お前が持ち帰った手紙の蝋印……あれはな、ライン家のものだった。」

その瞬間、メナスの思考が凍りつく。賊と繋がる文書に、依頼主に関わる家紋が刻まれていた――その事実が意味するのはただ一つ。ウォル自身が直接関わっている可能性だ。

(……まさか、あの男が――?)

胸の奥にざらつく疑念が広がり、メナスは盃を握りしめた。中の酒が僅かに揺れ、灯火の光を砕いて散らす。

「……まてよ。なんでお前は、あいつの本名を知ってるんだ。」

絞り出すような問い。

「大したことはない。」

ディルの声は淡白だった。だが、その無機質な響きが逆に真実味を帯びる。

「ウォルナッツという男は、頭の切れる騎士として有名だった。だが先の内戦の折……軍費を横流しして、名を売ったのさ。」

メナスは皮肉めいた笑みを浮かべ、鼻で息を吐いた。

「……なるほどな。やけに金払いがいいと思ったぜ。」

盃を置き、彼はじっとディルを見やる。

「まあ、最初はぴんと来なかったんだけどな。家紋を見たら思い出しちまったよ。」

ディルは小さく息をつき、淡々と続ける。

「悪かったな、数日べったりしちまってよ。どうも、ウォルと親しい“非番”の守備隊員が多くてな。念のため。ってのが必要ってな。」

その言葉に、メナスは得心がいった。狼風亭へ戻るまで、ディルが寸分違わず寄り添い続けた理由。

寝る時も、立ち小便をする時ですら、彼はつかず離れず付き従っていた。

――それは、ただの護衛だった。

不都合な真実を知るかもしれない相棒を、誰よりも守るために。

そしてもし、メナス自身がその事実を自覚していたなら……きっと強がって別行動を選んでいただろう。

だからこそ、ディルは何も告げず、ただ黙って寄り添ったのだ。

「ウォルは今頃、何を考えているんだろうな。」

メナスは小さくつぶやいた。奴が宿場の賊と結びついている以上、今後の仕事でも危険がつきまとう可能性がある――その不安を口にしたのだ。

「さあな。少なくとも、聖鉄騎士団からの懲罰なんて期待できないだろうな。まあ、それでも、派手に街道を荒らす賊と手を結び続けるのは、よりリスクが高いことは十分に理解しただろう。」

ディルは軽く笑みを浮かべ、懐から一冊の帳簿を取り出す。

「おめぇ、それ…俺が持ち帰ったやつじゃねぇか。」

「まあな。貴重品から目を離したあいつが悪いのさ。」

ディルはニヤリと笑う。

帳簿を宿の亭主リュートに渡せば、少なくとも収賄の罪でウォルの自由を制限できるだろう。この宿にはそれだけの力がある。それに、戻ってきたはずの帳簿が無くなったという事実も、時を経るにつれウォルを律する戒めとなる。

二人は、無事に帰還できたことを祝し、再び杯を重ねた。



数日後。

本来の任務であるラティス商会からの荷運びを一人で任されたリッツが帰還する。荷運び自体は順調だったが、その後の手伝いで三人分の肉体労働をこなしたため、彼はぐったりと疲れ果てていた。

リッツは、自身の苦労話を管を巻くように語り始めるが……それはまた別の話である。

割と遅筆です。エピソードを一つ書ききったら、週1で投稿します。

何かあれば、感想の所かXのDMでご連絡いただければ幸いです。

→ https://x.com/feally_leaf

あとがきで、何かしらの設定を1話ごとに描いておきます。



設定 - 016

ウォル(ウォルナッツ・リブライン)

年齢42歳。リテイア領出身。男性。

弓を扱い狩りを楽しむ元貴族。


リテイア領の中流貴族・ライン家の遠縁にあたるリブライン家の当主。内戦では敗色濃厚と見るや戦勝領へと鞍替えし、補給部隊長として補給線を支え功績を挙げた。だが、同時に物資の横流しや賄賂を用いた徴兵調整など数々の不正に手を染めた。巧妙な立ち回りで証拠を残さず処罰を逃れてきたが、終戦直前に証拠が発覚し一族は没落。戦後は聖鉄騎士団に籍を置くも、今なお不正に手を染め続けており、腐敗ぶりは今も変わっていない。

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