第八話 求生
「香織君、これから話す事を、落ち着いて聞きたまえ。」
奨励祭の1ヶ月前、私は紅さんに呼び出されて彼女の研究室に来ていた。
私の対面に座る、彼女の面持ちは真剣そのもので、私に対して何か大事な話がある事が伺える。
「結論から言おう、香織君。君は本来存在していない人間だ。」
「いや、人間と呼ぶこと自体が世界に対する冒涜とも言える。」
彼女は私に対してまるで意味が分からない事を告げる。
何を言っているのだ、私は自身が人間と自覚していて、現にここに存在するというのに。
彼女は気でも狂っているのか?
研究者というものは大凡狂っている方が、研究者としては良いと思うが、まさかここまで狂っていると救えないとすら思ってしまう。
「君は今、自身が人間であることを疑わないだろう。それはそういう風に君が作られたからだ。」
「自身が人間と思い込まない人形に、人間の真似事は出来ない。」
彼女は矢継ぎ早に話を続ける。
「君は本来、影葉君によるC.O.R.E能力によって人間を模した疑似人格に過ぎない。」
「言えば、人間とほとんど差異の無い身体に、人間として作られた人格が収められている。」
「その様に作られた人形は、誰も人間であることを疑わない。自分ですらもだ。」
「本来は影葉が真を様子を見るためだけの監視用の人形に、最低限の思考ルーチンを植え付けたようだが。」
「どうやら長い月日の影響で、いつからか自我を持ってしまったようだな。可哀想に。」
…意味が理解できない。彼女が言っていることが本当だとすると、どうやら自分は何者でも無いようだ。
確かに、よく考えてみると、私が私であるというアイデンティティは無いのかもしれない。
母親は私を生んだすぐ後に蒸発し、父も早くに亡くなったそうだ…。
そうなると、私の親族と言えるものは、保護者として書類のためだけに存在する叔母ぐらいのものだ…。
叔母とは殆ど顔を合わせる機会もなく。今は研究者であった父の遺産と死亡保険で生活を賄っている…。
理屈ではわかるが、私自身の本能の部分では理解したくないという気持ちが渦巻いている。
いや、待て。仮に彼女の言っていることが本当だとすると影葉はどうなる?
「わ、私が仮に偽物だったとして、何故影葉は私を生み出す必要があったの…?監視も何も、自分で見ればいいじゃない。」
私は縋るような目で彼女の目を見る。
「さぁ?何故そうしようとしたのかは私にもわからない。」
「私がわかることは彼女が君を産み出したと同時に、今の桐華条学園に入ったという事実だけだ。」
「客観的な事実だけで考察するなら、何かの目的で桐華条に入ったが、同時に真と離れる事も嫌だったから、人形を通じて真と接触していた。」
「そんな所じゃないか?」
彼女はそう言ってアイオンが用意したコップを手に取り、コーヒーを嗜む。
「人形を通じて真と接触するとして、何故思考ルーチンが必要なの?」
「別に真に接触したい時だけ操るか、ずっと操っていればいい話じゃないの?」
私は一つの可能性に気づきながらも、気づかないフリをして彼女に尋ねる。
「まぁ、君の視点で見ればそう感じるだろうね、でも君も薄々気づいているだろう。」
「君は恐らくそんなつまらない理由のために私が生まれて、そして儚く消えるのかと…。」
「実際は簡単だよ。ずっと操るのもしんどいし、でも真とは楽しく学校生活を過ごしたいし。」
「じゃあ、私が操っていない間、ある程度自動で動くようにすればいいか。」
「で、君が生まれたってワケだ。影葉君からすれば君に自我が芽生える可能性なんて一つも考えていないし」
「彼女が生み出した人形でしか無いわけだから、当然彼女がどう扱おうと良いわけだよ。君が仮に自我を持って苦しもうが苦しむまいがね。」
「で、ようやく本題だ。」
彼女は手をパンと叩いて、彼女の表情が、真剣な表情から何かを企む楽しそうな表情に変わる。
「香織君。君、生きたいかな?」
「君は影葉君からの繋がりが切れた今、長く生きることは叶わないだろう。」
「今君は、君自身の心の昂りを生命力に変えて、無理やり存在できているとても不安定な状態だ、まぁ長くは持たないだろう。」
「だが、私なら君を助けることは可能だ。」
「どうだ?生きたいかな?強く生に執着するか?潔く諦めて、天命に身を任せるか?オススメは前者だなぁ。」
そういう彼女の顔はとても楽しげな表情だ。
答えなんて既に決まっている、選択肢など内に等しい。
「生きたい。執着しないわけがない。」
私の言葉に彼女が待っていたと言わんばかりの表情で
「よし、では生きる意志を見せてもらおう。」
そうして、私は奨励祭に出ることが決まった。
彼女が言う生きる意志を示すという条件は、奨励祭で優勝すること。
当然その道が険しいことなど百も承知だが、私にはやる以外の選択肢がないのも事実。
パートナーにはアイオンを付けてくれるとのことで、
彼女曰く「君が頑張りさえすれば優勝は難しくない程度に優秀な私の助手だよ。」とのことだ。
いつも無表情の印象のアイオンも、その言葉で、少しばかり目が輝いてやる気を出しているような…気がする。
いずれにせよ、勝たなければ未来がない。
私の出自が何であれ、勝てば良い。
勝てば良いのだ…。
――――――
「紅様、差し出がましいかもしれませんが。不可解な点が一つ。」
双葉香織が決意を宿して研究室を去ったその後、私は紅様に対して一つの疑問を抱いていた。
「どうした?アイオン。」
先程まで双葉香織が座っていた席を見ていた紅様は、私の方に振り返って不敵な笑みを浮かべる。
「はい。当初の予定と違うので少し気になり…。」
「本来はあの様な条件無しに、彼女の存在が不安定という問題を解決する手筈だったと思うのですが、何故あのような事を?」
そう言うと、待っていましたと言わんばかりの笑顔を浮かべながら、紅様は私を見つめ、自身の膝の上に座るように手招きする。
私は、指示通り紅様の膝の上に向かい合うように座る。
紅様が私の顔を見上げるような格好になっており、少し気恥ずかしいながらも表情に出さないように注力する。
紅様は度々私に対して、この様なスキンシップを行う。その表情は、まるで子供をあやす親の様だ。私はこれが嫌いではない。
「アイオンから見て、彼女は人間か?」
私の髪を優しく撫でながら紅様は問う。
「科学的根拠や生来の意味で言うと、彼女は人間ではないと言えます。」
「しかし、私の視点から見ると、彼女は人間と言いたいですね。」
「アイオンは何を持って彼女を人間と言える?」
「私は、大凡人間と言える感情を発露して、人間のように振る舞う人形は人間と差が無いのでは?と。」
「私もそうだと思っている。しかし、私は無条件に与える優しさはその人のためにならないと考えている。」
「彼女が世界に対して、私は生きたい。と、その願望を叫ぶ事。」
「それによって初めて人間として認められるのではないかと考えている。」
「仮に、その強い意志が無い程度のものであれば、この世の理を壊してまで生まれるべきでは無いと思っているのだよ。」
「彼女は彼女自身の意志によって、この世の禁忌を犯すという強い意志を私に証明して欲しい。」
「その時初めて彼女は一人の人間として産声を上げる、私はそう考える。」
紅様の考えを聞くと、まるで生きるという意志の無い人間は死んだ方が良いと言っているような印象すら受ける。
しかし、その言葉に反比例するように、生きるという意志を示した人間には禁忌を犯したとしても手を貸すのが紅様なのだ。
「私は、その生きたいという強い意志、産声を、君から聞いたから君も助けたのだよ。」
「あの時、君は私にそれを証明した。まぁ少々ヘビー過ぎたがね。」
そう言って紅様は母が子を抱え込むように、私を抱擁する。
私はその胸の奥に暖かい物を感じた…。
――――――
私は自分自身が何者かがわからない。
目を覚ました時に初めて目に入ったのが紅様だ。
カプセル型の機械の上で眠る私を笑顔を浮かべながら見つめる顔が網膜に鮮明に焼き付いている。
私を見る紅様の後ろで、モニター型の機械を弄っているのが後の緋羽鏡。
どうやら紅様とは長くの付き合いのようである。
「君、どうだね?そのAEONとやらの様子は、数値上は問題ないがね。」
緋羽鏡は気だるげな表情で紅様に問いかける。
「ああ、今の所問題はない。あれほど暴れてくれたんだ。元気でないと困るよ。」
「こんな面白い拾い物があるとはね。良かった良かった。」
紅様は軽口でそう返す。
「君、良く2週間も意識不明で死にかけていた癖にそんな軽口が叩けるな。」
「ボロボロになって研究室に返ってくるなり、人間と遜色ない身体を用意しろと一言だけ残して倒れおって…。」
「無茶ぶりにも程があるぞ、私の灰色の脳細胞が君の数少ない言葉の意図を汲んだが故に何とか出来たものの…、もっと感謝したまえ。」
当時は今ほど落ち着いた様子が無く、プリプリと怒る緋羽鏡だ。
怒ると言っても本気なわけではなく、あくまで紅様に労いの言葉を求めているように感じる。
「流石私の助手!ありがとう!ありがとう!」
紅様はわざとらしく緋羽鏡に謝っている、その様子はどう考えてもおちょくっているように見える。
「私は君の助手では無いと言うに…。」
緋羽鏡は呆れた顔をしてそっぽを向くが、その顔は見えないものの照れている様子が伺える。
「で、どうかな?アイオン。その身体の調子は、君特製に作ってあるはずなんだが。」
紅様は振り返って私の手を握って、カプセルから立ち上がらせる。
立ち上がる際に、少しふらついたものの、両手、両足、首、目と、様々な部位を動かすが、特に問題は無いように感じた。
「さて、これからは君はどうしたい?何をするにも君の自由だ。」
そう言って紅様は両手を広げ、肩をすくめて私に問う。
それに対する返答を待っている紅様だったが
当時の私は、その紅様の手首を掴んだ。何故かそうすると落ち着いたからだ。
そこから当面の間、私は紅様の手首を殆どの時間掴んでいた。
最初は紅様も困惑していたものの、次第に慣れて私は常に紅様の手首を掴みながら後ろを歩くようになった。
そして、一ヶ月ほど経ったある日、紅様が所用で着いていくわけにも行かず、
一人研究室に残された私は、後から研究室に入ってきた緋羽鏡に私はどの様に生まれたのかを訪ねた。
「ああ、君はね。どうやら何かの実験で生まれた霊的生物ではないか、と私は推測している。」
「私は現場を見ていないから知らないが、紅が言うには実験が失敗して跡形もなく消え去った研究所の跡地に、黒いモヤのような何かが居たから近づいたそうだ。」
「すると、その黒いモヤが彼女の身体に纏わりついて、彼女曰く身体を乗っ取ろうとしていたようだよ。」
「彼女曰く、その黒いモヤの強く生きたいという精神力に負けそうになって、身体の支配権を奪われかけていた中、命からがらこの研究室に帰ってきたそうだ。」
「彼女が意識を失ってから、二週間ほど経って、ようやく起き上がると、交渉成立だ。と一言残してまた寝入ってしまったよ。」
「そこからは私が用意した器、いわゆる君の身体だね。それに命を吹き込むように黒いモヤを少しずつその身体に馴染ませて、今に至る。というわけだ。」
緋羽鏡は気だるげながらも自慢げに当時の様子を語る。
「つまり、私は元々その黒いモヤというわけですか?」
「まぁ、そうなるだろうね。」
緋羽鏡は間髪入れずにそう返す。
「何故紅が自分を殺して乗っ取ろうとした君を生かすのかはわからないが、まぁ彼女の事だ。」
「興が乗ったとかその程度の理由だろう。君も気をつけたまえ。彼女といるととにかく振り回されるぞ。」
その黒いモヤだった時の私は、余程生きたかったのだろうという事がわかる。
今実感として生きたいかと言われると、わからないが
その、紅様に振り回されるという言葉に、不快の感情ではなく
寧ろ、振り回されても一緒に居たい、という気持ちが今日までの私を支えている。
それが生きたいという気持ちであるとするなら、私は生きたいと強く思っていると言えるだろう…。