最終話 猫と犬の行方
マリアは病院で目を覚ました。彼女は一人きりの病室にいた。頭がまだぼうっとする。だが、彼女はジェレミーの事を思い出した。
「ジェレミー、どこ?」
廊下に出ると、彼女の所属する第七小隊の上司と同僚が、そこにはいた。
「マリア!大丈夫なのか?」
彼女の上司のバリアンが聞く。
「私は、大丈夫。ジェレミーに眠らされただけです。ジェレミーは、彼が最後までONI1阻害剤の投与を続けて、鬼はどうなったのですか?」
「鬼はスライムに戻って、我々がそれを討ち取った。」
「ジェレミーは?ジェレミーはどこですか?」
「彼は、残念だが助からなかった可能性がある。今、医師の先生に診てもらっているところだ。そこの角を曲がった病室に彼はいるよ。」
バリアンはそう答えた。マリアは急いで廊下の角を右に曲がる。一つの病室の前に、そして、その病室の中にスライム生命情報解析課の面々が立っている。
「入れてください。お願いします。」
部屋の中にいる医師はそれを許可した。
「ジェレミー!」
ベッドの上で寝ているジェレミーにマリアは駆け寄り手を握る。手は冷たかった。
「心肺停止、そしてエーテルが感じられません。御愁傷様です。」
医師は言った。マリアの目からはただ涙が溢れた。ジェレミーは、いつも一緒にいるのだけど、不意に風のようにどこか遠くに行ってしまうようで、それが怖かった。彼にはもうエーテルが無い。無限に遠いところに行ってしまった彼は体だけここにある。マリアは思考すら、まとまらない。
そんなマリアを横目に看護師がジェレミーに触れる。彼はある事に気づいた。
「先生、少し変です。この患者さん、心肺が停止して、エーテルも感じられません。確かに冷たいですが、亡くなっている患者さんにしては暖かいです。」
「そんなバカな。。いや、だが本当だ。」
医師は、そう言った。その時だった。ジェレミーの心電図がふたたび動きを見せ始めた。
「ジェレミー!戻って来て!」
マリアがジェレミーの左手を握る。部屋にいるスラ情課の面々もジェレミーに声援をかける。ジェレミーの体温が少しずつ上昇する。そして、一時間後にジェレミーは目を覚ました。部屋を包んだ悲しみのオーラが喜びのオーラに置き換えられていく。
「奇跡なのか、未だ、ジェレミーさん、あなたにはエーテルが全く感じられないのに、あなたは復活した!」
医師は言った。だが、他の者達はエーテルがあるとかないは、もうどうでもよかった。彼は帰って来たのだ。ジェレミーはマリアに語りかける。
「マリア、大丈夫だったか?」
「あなたこそ!あなた一旦死の淵まで行ったのよ!良かった、ジェレミー。」
マリアとジェレミーは抱きしめあった。
「おやおや、お二人さんお熱いようで。」
ドロンと魔法熱素の妖精シャラァが現れる。
「おお、いたのかい、シャラァ。鬼はどうなったんだい?」
「退治できたわよ。私たちが鬼をスライムに戻したのよ。そしてそれを地上部隊が討ち取った。」
シャラァが答える。
「おめでとう、ジェレミー!おめでとう、みんな!」
スラ情課、課長のエミリーが皆を労った。やっと彼女はこの話題を口にできた。
「課長も、お疲れ様です!」
「ついにやったか、感無量!」
「もう、ここでパーティしたいくらいね。」
スラ情課の面々もガヤガヤし始めた。その中、ジェレミーはシャラァに尋ねた。
「そして、俺はなんで生きているんだい?俺自身、自分のエーテルを感じないんだが?」
皆は、再度ジェレミーに注目した。
「それはね。あなた達は、エーテルって実数値の正の値かゼロしか値をとらないと思ってるんじゃないかしら?あなた達には、それしか感じられないからね。実はね、個人の持つエーテルの値は複素数値を取る事ができるのよ。確かに、普通は生きている時は、エーテルが実数で正値、亡くなってしまうとゼロになる。だけど、あなたの今のエーテルは、その実部は確かにゼロなんだけど、虚部はゼロじゃない。あなたは今、純虚数のエーテルを持っているのよ。だから死んでいない。」
その場にいた全員が驚いた。惑星マジーでそんな事が起きえるのを皆初めて知ったからだ。
「そうか、何もともあれ、俺のすることはただ一つ!」
そう言うと、ジェレミーは横に置いてあった自分の制服のジャケットのポケットから何かを取り出した。
「結婚しようぜ、マリア。俺はもう我慢できないよ。」
それは婚約指輪だった。
「はい、ジェレミー。ずっと待っていたこの日は、ついに来たのね。」
「婚姻届、すぐ出そうよ。結婚式とハネムーンは、帰ったら考えよう。」
「うん。」
スライム生命情報解析課の面々、そして病室に後から入って来た第七小隊の面々は、二人を祝福した。医師は、今回は例外的に病室でワイワイする事を許した。
(やっとこの二人も結ばれたのね。おめでとう。でも純虚数のエーテルの持ち主がここに現れるとはね。ピュアな愛を体現し、迷いなく命を落とした者が非常に低い遷移確率で死を飛び越えると、それは現れるという伝説があったわね。まったく、これからこの二人はどんな冒険をしていくのかしらね。)
シャラァは思った。
その夜、スラ情課の課長エミリー、スラ情課のゲン、第六小隊隊長アナエル、そして第七小隊隊長バリアンは同じ酒場に集った。実はこれはダブルデートだった。アナエルとゲン、エミリーとバリアンというカップリングだ。
実は士官学校でバリアンはエミリーの一つ下の首席卒業者で、エミリーは憧れの先輩だったのだ。彼女が総代の地位を捨て、戦闘部隊に入らず、スラ情課に入ってからは、表面上は当て擦りなどをついつい職務中にしてしまうバリアンであった。
楽しくワイワイと過ごした後、会計を済ませ、二人のカップルは別々になった。アナエルとゲンのカップルが夜のネオン街に消えていく。
「私達はここにいくわよ。」
エミリーがこれからいく場所の発行したカードをバリアンに渡す。
「ソ、ソフトSMクラブ、オメガ!?」
「あなた、二年前、飲み屋で私に言ったわよね。」
バリアンは、その時に言った事を思い出した。
『スラ情課の成果が、スライム討伐に役立つ事があれば、そうだな、エミリー先輩。俺はあなたに鎖で縛られ、ムチで打たれたっていい。ガハハ、無理だろうけど。』
「確かに言ったけど。」
「私にこの趣味はないのだけど、あなたがあの時どうしてもやって欲しそうだったから行くだけよ。嫌なら辞めてもいいのよ。」
「今日だけなら、試しに、行ってみてもいいです。。」
「違うでしょ。なんて言うの?」
「連れてってください、お願いします。エミリー様の犬になります。」
「お手。」
「ワン。」
「よし、じゃあいくわよ。」
こうして、エミリーとバリアンは夜の街に消えていった。今日、ここソレイユ国の首都フュチュールでは、何組ものカップルがそれぞれの形で愛を育む長い夜はまだまだ始まったばかりなのだった。
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こちらスライム生命情報解析課、スライムを鬼化する遺伝子について
終わり