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第10話 鬼化の遺伝子 ONI1

 今日は、4月8日。アナエル達がシャモ平原で鬼の分裂を見てから一夜が経った日だ。その日の5日ほど前には、ジェレミーは請け負っていた古代人のゲノム解読に成功していた。この古代人は、名前は今はわからないので、古代人Xとしておこう。この古代人Xの驚くべき特徴は、通常の生物、惑星マジー上のヒトや他の古代人と違って、スライムと同じく、ゲノムがU、N、K、Oの四文字で書かれているということだった。また古代人Xの遺伝子がコードするタンパク質は、同様に、スライムと同じく、二十種類のスライムアミノ酸からできたタンパク質である。古代人Xの染色体の数は普通の人間と同じく46本であった。ヒトと同様にそのうち二つがこの古代人の性別を決める性染色体なのかもしれない。この古代人のタンパク質をコードする遺伝子の数はおよそ二万五千、普通のヒトのそれより若干多めに推定された。

 ジェレミーは、この約二万五千種類のタンパク質の三次元的な構造をAIとコンピュータシミュレーションを用いて推定した。すると面白いことがわかった。なんと、スライムDNAを書き換えるのに使えるかもしれないと思えたタンパク質が12種類ある事にジェレミーは気づいたのだ。

 この頃、惑星マジーのソレイユ国では、スライムではない普通の生物のゲノムの中にある一文字を書き換える技術は、よく確立していた。普通の生物のDNAはA、G、C、Tの四文字からなる。文字が四文字しかない場合、ある文字をある別の文字に書き換えるパターンは12通りある。惑星マジーの最先端のバイオテクノロジーを使うと、そのすべてのパターンで書き換えが可能なのだ。

 具体的には12通りの中の、各パターン(例えばAからC)に対応する書き換えタンパク質と、ターゲットDNAのどの部位を書き換えるのかを指定する、位置指定オリゴというものを、ターゲットDNAとインキュベートすると、ターゲットDNA上の指定された位置の文字だけが書き換わる。これをDNAエディターと惑星マジーの人たちは呼んだ。

 ここ二年ほど、ジェレミー達はこれのスライムDNA版を作ろうと研究を進めていた。具体的には12種類のスライムDNA用の文字の書き換えタンパク質、そしてスライムDNA用の位置指定オリゴの両方を作製しようと研究を重ねた。スライムDNA用の位置指定オリゴについては、国防軍の化学課との共同研究の下、高精度にスライムDNA上の位置を指定できるものが出来上がった。一方で、書き換えタンパク質は、12種類全て作製したが、それらは皆、書き換え効率の低いものばかりであった。

 今回ジェレミーは、その12種類の開発途中のスライムDNA書き換えタンパク質と構造がとても似ていると推定された、12種類の古代人Xのゲノムの中にコードされたタンパク質を計算機の中で見つけたのだった。これらのタンパク質は、もしかすると、U、N、K、Oの四文字で書かれているスライムDNAを書き換えれるかもしれない12種類のタンパク質なのであった。最初は、そうかもしれないと言うだけで、実際に書き換えにそれらが使えるかどうかは、実験をしてみないとわからなかった。

 そこで、ジェレミー達は昨日、実験をしてみた。テスト用のターゲットのスライムDNAと、これら12種類のうちそれぞれ一種類の古来人Xのゲノムにコードされたタンパク質をスライム遺伝子工学と生化学によって生成したものと、スライムDNA用位置指定オリゴの三つを試験管内で混ぜてやるという実験をしてみた。すると、なんとターゲットのスライムDNA上の、指定した位置の文字だけが非常に高い効率で書きかわったのだ。12種類のうちのどのタンパク質を使っても、別々の書き換えのパターンで、その結果が得られた。

 こうして、ジェレミー達は、この技術を用いて、スライムDNA上の任意の場所の任意の一文字を任意の別の文字に書き換える事ができるようになったのである。こうして、高性能のスライムDNAエディターは、ここに完成したのであった。

 これはスライムの鬼化のメカニズム、そして鬼化解除の方法の研究にも使える。スライム生命情報解析課、課長のエミリーはそう考えた。彼女のアイディアはこうだ。スラ情課の実験室には、培養液の中でのみ生きられるミクロンサイズにミニチュア化したスライム、培養ミニスライムがいる。培養スライムに、シャモ平原で鬼化したスライムに見つかったDNA上の変異を、今回開発したスライムDNAエディターを用いて、入れる。もし、その変異が鬼化が起きるのに十分なら培養ミニスライムが培養ミニ鬼になる事が示され、今回の鬼化のメカニズムの決定的な一つの説明になりうるだろうというのである。

 当然、最初は軍の上層部は反対した。


「シャモ平原にいる鬼だけで十分非常事態。培養ミニ鬼が何かの拍子で巨大化してみろ。大変な事になる。」


 だが、シャモ平原の鬼が分裂したことで上層部の風向きが変わった。ほぼ無期限かと思われた鬼退治のタイムリミットが急に一ヶ月半ちょい先になってしまったのだ。背に腹は変えられない。今現在は、二人のエーテルバリアの使い手が同時にバリアを張り、二匹の鬼の動きを封じている。それが、鬼の分裂がさらに進み鬼が四匹、八匹、十六匹、三十二匹と倍々に増えたら、その時点でゲームオーバーだ。鬼を封じられるレベルのバリアを張れる使い手のエーテルが枯渇してしまうからだ。今シャモ平原にいる32人以外のエーテルバリアの使い手では、ほんの気休め程度しか、鬼の足止めができない。かと言って他の国に救援を求めるのは最後の最後にしたい。

 こう言う時は神頼みだ。国防軍の敷地の庭には神社があった。そこには、国家のピンチの時、時々、質問に答えてくれる白くてふわふわしてて丸ッとした神がいた。対スライム総司令官アリア ミラベルと対スライム戦闘部隊 大隊長のセリス、スライム生命情報解析課の課長エミリーの三人は神詣に行った。お供物はおはぎだ。彼女らは、神にスライムDNAエディターを用いた実験の安全性について聞いた。「大丈夫。安心して実験せよ。」と神は言った。その他の鬼に関する質問に神は答えなかった。

 ソレイユ国建国以来、この神の神託は間違っていた試しがない。この神託の結果も踏まえつつ、藁にも縋る思いだった軍の上層部は実験の許可を出した。シャモ平原にいるエーテルバリアの使い手のうちシフトに入っていない者数名を実験室に連れてきて、万が一、神託が外れて、培養ミニ鬼ができて、シャモ平原にいる鬼みたいに強かった場合に備えての事だ。物々しい雰囲気の中、培養ミニスライムに変異を入れる実験は行われた。沈みゆく船があると言う時、時にはリスクを取ってでもなんとかしようというマインドセットだ。

 スラ情課の培養の天才、アニエス ビリアールはたった二匹の培養ミニスライムを一匹ずつ別のマイクロ流路の上に生かしたまま化学固定した。そして二つのマイクロ流路を二つの同じ型の顕微鏡の上に一つずつセットした。このマイクロ流路上には最初、普通の培養液が張られている。

 二つのマイクロ流路のうち、一つには「シャモ平原のスライムに起きたONI1遺伝子のプロモーター領域にあった変異」を生じるスライムDNAエディターと、スライムの細胞膜を一時的にスライムDNAエディターが透過できるようにする試薬を混ぜた培養液を流し込み、もう一方の流路では、スライムDNAエディターは入れずに、スライムの細胞膜を一時的にスライムDNAエディターが透過できるようにする試薬だけを添加した培養液を流し込んだ。流路にはマイクロ構造がつけてあり、培養スライムが下流に流されていくのは防がれている。つまり、培養スライムの位置は化学的だけでなく物理的にも固定されている。この条件下では培養スライムは新たに流し込まれた液体にリアルタイムに触れる事ができるのだ。

 

 マイクロ流を発生させて五分くらいした頃だ。


「もういいだろう。」

 

 そうアニエスは言った。今からは、単なる培養液のみを流し込む。つまり細胞膜をスライムDNAエディターに対し一時的に透過性にした試薬や片方の流路に流したスライムDNAエディターは、もう流れてこない。スライムの細胞膜は普通通りに戻る。片方の流路にいるスライムはスライムDNAエディターを既に細胞内に取り込んだ計算だ。

 それから五分後、二匹のスライムのうち、スライムDNAエディターを取り込んだと考えられる方のスライムにのみ変化が見られた。のっぺりしていたスライムが丸っこくなり、完全な球体に見えるようになった。それはシャモ平原で見られたのと同様に、どんどんと一つの多細胞生物のように細胞分裂を繰り返し、手と足と首が生えていく!その後10分ほどで培養ミニ鬼になった。培養ミニ鬼は自分の足元にある化学固定から逃れる事ができない。中々非力な鬼なのだった。


「今回はこれで十分よ。アニエス。培養ミニ鬼をエーテルで活殺できるか試してみて。」


 エミリーは、そうアニエスに頼んだ。アニエスは顕微鏡の視野内にいるミニ鬼に、顕微鏡の対物レンズを通してエーテルを放ち、攻撃した。これはエミリーから学んだスライム活殺の技術だ。ミニ鬼は動きを止めた。それからはもうエーテルが感じられない。死んだのだ。

 その場にいた全員がホッとした。培養ミニ鬼は十分弱く、人間の放つエーテルで退治可能だったのだ。神社での神託の通り、ミニ培養鬼によるバイオハザード無しに、実験は安全にできそうだ。

 

「これは、エキサイティングね。」


 このONI1にを変異入れ培養ミニ鬼を作り出すという実験は、培養ミニ鬼が弱く、安全性が担保できると示唆されたので、今度は流路の中のスライムの数を増やしつつ、幾度か追試され、再現性が確認された。また同時に、ONI1遺伝子を標的としない別の遺伝子に作用するスライムDNAエディターを用いた対照群や、不活性化したスライムDNAエディターを用いた対照群も、この実験では設けられたが、これらではスライムになんの変化も見られなかった。これによってONI1のプロモーター領域での変異が鬼化の原因である事が、より強く支持されたのであった。

 こうして、スラ情課は、シャモ平原の鬼化したスライムのDNA上にあったONI1の変異が鬼化を引き起こすのに十分であると結論した。

 ちなみに、さらに数日後の他の実験で、鬼化スライムのゲノムに見られた第六染色体上にあったもう一つの変異は、鬼化や、鬼の強さにも影響しないことも示された。このようにDNA上の変異の中にはONI1遺伝子上にあった変異のように生物に大きな影響を与える変異もあれば、特に生物の性質を変えない変異もあるのである。

 同じ日の夕方、スラ情課は鬼をスライムに戻せるかの検証実験も行った。今度は、まず、二つの流路の両方にスライムDNAエディターを使って培養ミニ鬼を用意した。そして、今回は片方の流路内では、再度スライムDNAエディターを用いて、ONI1の変異を、変異が起きる前の元の状態にする実験が行われた。つまり、ONI1遺伝子の、シャモ平原で見つかったNの字がKに置換された変異を、培養ミニスライムに起こし、培養ミニ鬼にした後、今度はKの文字を再度Nに戻してやる実験である。この実験をしてみると、文字をNに戻した方の培養ミニ鬼のみが培養ミニスライムに戻った。

 また、同日の夜、スラ情課はスライムDNAエディターと培養ミニスライムを用いた更なる実験によって、変異によって、ONI1遺伝子がONI1のmRNAを作るようになり、ONI1のmRNAがONI1のタンパク質を作る事を突き止めた。この実験では、他の要素は変えずにONI1遺伝子のみを操作したと考えられるので、ONI1の変異がONI1のmRNAとタンパク質の生産を引き起こすのに十分であると言う因果関係があると結論づけられるのだ。

 これらを総合して、スラ情課は、ONI1の変異によって引き起こされるONI1遺伝子の機能は鬼化の維持に必要であると結論づけられた。こうしてONI1の変異と鬼化は結びついた。勿論、これは実験室の中の、培養ミニスライムの鬼化と培養ミニ鬼のスライム化に関することではある。しかし、それはシャモ平原にいる鬼をONI1の変異を元に戻す等、ONI1遺伝子が機能しないようにする事で、元のスライムに戻してから討伐するという戦略を支持するのには十分であった。何しろ、この時、人類には、他の鬼退治の具体的な戦略はなかったのだから。

 さて、実験室で成されたように、実際のシャモ平原にいる鬼化したスライムもDNAを書き換えられれば、話は早いが、そうは簡単にはいかないのだった。


「巨大な鬼のDNAを書き換えるだけの、スライムDNAエディターが合成できるとは思いません。私の実験ではマイクロ流路を使ったから高濃度のエディターをミニ鬼に浴びせる事ができたのです。ですが、他にはない、スラ情課の特別な機械を使わなければエディターは作れない。製造コストや品質管理の観点からも、その生産量は実験室での使用量を賄うので精一杯です。」


 アニエスは冷静に言う。そのスラ情課の機械というのは、おやっさんと呼ばれる凄腕のメカニックが特別に作ったものだ。すぐにその機械が作れて、またすぐに試験運転が成功するわけでもない。また、スライム遺伝子工学は、試薬のロットも小ロット生産なので限りがある。

 となると、スライムDNAエディターを使わずにONI1遺伝子の機能を阻害できるかということが問題となる。タンパク質をコードしている遺伝子の機能は、タンパク質によって担われる事が多い。なので、ONI1のタンパク質の機能を阻害する事で、ONI1遺伝子の機能を封じ込め、鬼化したスライムをスライムに戻せるかもしれない。そんな希望をエミリー達は持ち続けた。

お読みくださいまして、ありがとうございます!


次回は再度古代人についてのお話になります!


良い1日をお迎えください。

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