76.…夢を見ている、のかもしれない
商業ギルドから情報を得てレオルドが購入したという邸に到着した。
「「…デケェ」」
ジスと同時に思わず声を漏らしていた。
中庭を含めると俺たちの拠点より倍以上広いだろう。これだけの規模の拠点を購入したからにはこの街に定住するはずで、今度こそ他冒険者との軋轢を生むことなく活動してもらうべく訪ねたのだ。
昨日共にいた少女について気になる事もある。
デカさに圧倒されつつも意を決してノッカーを三回叩くと、そう間を置かずに備え付けられた魔道具から声が発せられる。
『誰だ?』
気だるげな、記憶にあるレオルドと何一つ遜色ない声だった。
「〈ジャスティス・ウォーリアー〉のサイラスだ」
『…あんたか。こんな朝っぱらから何しに来たんだ?』
「話をしようと言っただろう?」
『話すことはないが?』
「いいじゃないか。開けてくれ」
レオルドの盛大な溜息の後、甲高く金属が擦れる音が響き門戸が独りでに開いていく。
『入ってこいよ。もてなしなんぞ出来んがな』
「ありがとう!」
開かれた門下を抜けるとまっすぐに伸びた石畳が目に入った。左右は訓練出来るように芝生が敷かれていて、塀沿いには木々が点在する。その整い具合に目線をあちこちに巡らせつつ進んでいく。
石畳に導かれて到着したエントランス前、そこには既に扉に背を預けて待つレオルドがいた。
「ルナちゃんはどこかしら!」
「まだ寝てる」
「信じられないわ!もう昼前よ!」
リカが非難の色濃く睨みつけるが、対してレオルドは呆れ返っていた。
「はぁ…人より多く睡眠が必要な体質なんだ」
「どうだか!」
「昨日のあれを見ておいてよく言う…」
小さく鼻を鳴らして胸を張るリカとは裏腹に、俺はレオルドの言う通り昨日のあの光景を見てはそうとは思えなかった。
少女が生み出す氷の槍によって無慈悲に繰り返された殺戮。息絶えたはずの死体が力なく宙を浮く光景。
そして、戦闘後のレオルドに向けられた笑み。
到底脅されて嫌々従わされている様には思えなかった。魔力の過剰消費で眠りが深くなるケースも何度か聞いた事もある。
…奴隷の主人かと言われれば、間違いなく否と答えるが。
俺の感想を裏付けるかのようにゆったりとした服装に身を包むレオルドの首元に奴隷紋は見当たらない。
リカ自身も早とちりだったのではないかとうすうす気づいても、過去のレオルドの振る舞いが頭から離れてくれないのだろう。
「はあ…とっと入れ。あと、これ以上騒ぐようなら放り出すぞ」
そう言い終えたレオルドがさっさと邸内へ戻っていくのを俺達は慌てて追いかけるのだった。
案内された部屋は想像の更に上を行く豪奢さだった。
レオルドと俺達五人が座ってもまだ余裕あるソファは自重で沈み込み、されどしっかりと支えてくれる。調度品は部屋の広さの割に数少なく一見殺風景だが、ひとつひとつが洗練された一品ばかり。
ゆったりくつろげる空間は存外重要だ。今後仲間を増やしていく方針を既に固めているのだろう。そう考えるとこの屋敷の広さにも納得がいく。
「お茶くらい出せないのかしら!」
リカがまたもやレオルドに噛みついた。
しかも完全な当てつけである。レオルドが連絡もなしに押しかけて来た奴らに茶を振舞う義理などなく、そもそも茶を淹れられるわけもない。
「…不味くても知らんぞ」
…………………は?
驚愕で硬直している間にレオルドは部屋を出て行ってしまった。
我に返ってみんなと目配せをし、慌てて足音を辿った先には本当にキッチンで準備を進めるレオルドの姿があった。
ポットを火にかける間にティーセットを用意していて、その手付きは粗暴な言動を繰り返していた過去の姿とはかけ離れていた。
「あんたらそこで何してんだ」
茶缶から茶葉を移す手を止めることもこちらを振り返ることもなくレオルドが問うてきた。
「…いや。本当に淹れるんだ…と思って」
「お前さん、そんなこと出来たんか」
ドワーフらしく厳つい風貌のガルが妙に感心した様子で目を見張っている。こう見えて俺たちのパーティーでお茶の準備をするのは専らガルだ。その彼が止めに入りもせず観察しているという事は茶葉の量も間違えていない。
「ど、毒入れたりしないわよね!?」
「するか!あんたら俺を何だと思ってやがる」
散々な言い様だとは思う。しかし、それだけ信じられない光景だったのだ。
「傲慢不遜のいけ好かない奴よ!」
「…間違ってはないが、ルナには言ってくれるなよ」
「やっぱり騙してるのね!」
「……もう何でもいいか」
言葉にせずとも表情にて「面倒くさい」と雄弁に語るレオルドが腕を組んで瞼を閉じ、シンクに腰を預けた。
もう構う気はないというその姿勢に以前の姿が重なってなんだか不思議な懐かしさを覚える。
あのレオルドが俺たちを客としてもてなすためキッチンに立ち、茶の準備をする。
やっぱり何度この目で確かめてもにわかには信じがたい光景だった。
湯が沸騰してからも特にもたつくこともなく、紅茶は淹れられた。
俺たちの中でのレオルド像をぶち壊しにするように上品なティーカップとソーサーが人数分用意され、湯気と共に立ち上る香りが鼻腔を擽り、静かに揺らめく水面が窓辺から差し込む光を受けて淡い琥珀色を湛えている。
「「「…」」」
紅茶ですら“これは現実か?”と自身の目を疑っているというのに、テーブルの真ん中にはクッキーが並んでいる。
魔獣が活発になり始めて久しく、穀物や布地など遥か昔から必要な物資の大半を近郊都市の供給網に頼っているリュームス。現状、この街には嗜好品とされる物の殆どが魔獣増加で姿を消している。冒険者が嗜む酒さえも手に入りにくいほどにだ。
甘味なんてもうずっと口にしていない。最後に食べたのはいつだったか。ドライフルーツであったことだけは覚えている。
「…これ、食べていい…?」
シアがレオルドの顔色を窺いつつ訊ねた。
が、その目線はクッキーに吸い寄せられており、口元からは涎が溢れて今にも垂れ落ちそうになっている。
「出しておいて食うなとは言う訳ないだろ」
その甘味への異常とも謂える執念に頬を引き攣らせたレオルドが言い終わるが早いか、皿上のクッキーが三枚減った。
サクサクとした軽やかな咀嚼音に、手には左右それぞれ一枚ずつ摘ままれている。
「…幸せ」
「そりゃ良かったな。ルナに感謝しろよ」
「ん!」
緩み切った頬に上がり切った口角。甘味に飢えているとはいえ、こんなシアを見るのは本当に何年振りだろう。
「「「…」」」
一方の俺たちはというと、きっちりと誂えられたティーセットの高級感と今やただの嗜好品とは言えなくなったクッキーを眼前に異様な緊張感に包まれていた。
(サイラスが先に飲みな?リーダーだし?)
(そうよ!)
(いやぁ…)
(旨そうではあるが…)
(ならガル行きなよ)
(…頼む)
三人に圧されてカップに手を添えた。戦々恐々、そっと口を付けた瞬間、どことなく柑橘を思わせる爽やかな香りと、甘さはないに等しいにもかかわらず刺々しさのない柔らかな渋みが広がった。クセになりそうな風味と奥深いコクが複雑に調和している。
「う、旨い…」
「……マジ?」
「ああ…」
ジスの問いかけに呆然と返し、更に一口を運ぶとやっぱり旨い。
貴族や豪商の邸で振舞われた洗練された紅茶には劣るが、いい茶葉が使われていることと丁寧に淹れられた紅茶だということだけははっきりと理解できた。
安全だと判断したのか、はたまた半信半疑なのか。三人共慎重に紅茶を口に含んでいく。
「…ふ、普通ね」
言葉で見栄を張るリカだが、適当に淹れてないことくらいすぐに分かったはずだ。本心ではこれ以上ないほど驚いているからか、口調にキレがなくなっている。
「不味くないだけマシだろ」
俺には何も信じられそうにない。
記憶にいるレオルドは「ありがたく思えよ」くらいは平然と言う。尊大で横柄な態度で。
「そう、ね…。の、飲めない物が出てくると、思ってたわ!」
「そうかよ」
それがどうだ。心なしかカップを運ぶ仕草さえ上品なものに見えて来た。
夢だというのなら、今すぐにでも誰か叩き起こしてくれ。
初投稿から1年で20万PV!本当にありがとうございます!!!
…PC買い替えないといけなくなったので、次の投稿は未定です。申し訳ございません…。




