73.どう思うか
レオルドさんの姿が見えなくなってすぐに奥の、誰も居ないテーブルに腰かけた。結界は言われた傍から展開している。
「ねえお嬢ちゃん」
目立たないように静かに移動したのに、さっき口論になった犬獣人の女の人が話しかけてきた。レオルドさんをパーティーに勧誘してきた男の人はいないから、あの人がリーダーで間違いない。
「な、何ですか?」
私の精一杯で虚勢を張ってみた。
表情もいつもの二割増しでキリッとしているはず。
「あたしはミュラーリカっていうの!あなた名前は?」
ポメラニアンのような耳尻尾が彼女の感情を表すように忙しなく動く。
にこにこと浮かべられた笑みには私の気持ちを配慮する気配が一切なく、挨拶しないわけにも…とは思うけれど、話したくない。
「…ルナ、です」
仏頂面で露骨に拒否を示したつもり。それとなく察してくれる…。
「ルナちゃんって言うのね!」
表情を崩すことなく、パーティーメンバーらしき犬獣人の男の人と共に過剰なほど名前を褒めてくる。この人たちの辞書には“気持ちを察する”という言葉は載ってないようだ。
暫く私そっちのけで盛り上がるのを冷めた気持ちで眺めていると急に静かになり、聞き分けのない子を温かく見守るような態度に一変する。
「ねえ、ルナちゃん。レオルドのことどう思っているか、本当のことをお姉さんに教えてくれる?」
レオルドさんが悪者だと端から決めつけた言いぶりだ。
この街で嫌悪されるだけの行いをしたと、彼は言っていた。自業自得だとも。
でも、私はそんな彼を知らない。
私が知っているのは、この半年間を一緒に過ごしたレオルドさんだけ。
「とっても優しいです!」
そう、とっても優しい。
この世界でレオルドさん以上に優しくしてくれる人は、絶対に居ない。
「具体的にどこかな?」
「…私がこけそうな時に支えてくれる所とか、人混みで逸れそうになると手を引いてくれる所とか」
彼の掌がひんやり冷たい時も、ぽかぽかあったかい時も、私はどっちも好き。
「ん?…ん???」
「知らなかったこと、ちゃんと分かるまで教えてくれる所とか、調子が悪い時は逸早く気づいて気遣ってくれる所とか。…看病だって、してくれて」
呆れながらもこうなんだああなんだって教えてくれた後は、私のことも訊ねてくれる。知ろうとしてくれる。
不安に思っていたら必ず私を気遣ってくれて、欲しい言葉を掛けてくれた。
…看病のことは思い出すと、何だか色々と恥ずかしく思えてすぐさま頭の隅に追いやった。
「んんん?!?!?」
「ちょお~っと待とうか!それ誰の話?!?!」
レオルドさんのことを理解しようとしないから、私の意見を聞き入れる気が端からないから“だれ”って言葉が出てくる。
私が一緒に過ごした彼は。知っている彼は。見てきた彼は。意見を交わした彼は。
「すごいって褒めてくれて、頭も撫でてくれて。…だから、私にとってレオルドさんは、とっても大事な仲間です」
自分の言いたいこと、最後までちゃんと言えた。初対面で偏見を持った人に。
心臓が全力疾走した後みたいに暴れまわっている。それだけ緊張していたらしい。
「だから誰それ?!?!」
「本当に誰よ!?」
大事にして貰えて、私も心の底から大事に思えて。
自分は今、とても幸せなのだ。
垂れた眦が。赤らんだ頬が。緩く上がった口角が。なにより、声なくして雄弁に語るルナの瞳が。
「あれレオルドよね?え?!人違い?人違いなのねえルナちゃん!?」
「オレらが見たのはレオルドじゃなかった…?…他人の空似…???」
彼女たちを混沌の渦へと突き落としていた。
一方その頃。
不躾な視線が突き刺さる。
その殆どが嘲笑だ。あとは警戒。片腕を取り戻してこいつら全員見返してやると息巻いていた頃が懐かしいな。
「お久しぶりです」
「ああ。久しぶりだな」
声を掛けてきたのは茶髪茶眼の、依然とガキ臭いジェイクだった。
皮肉なことに俺と関わった時間が短い奴の方がまだ友好的だ。サイラス達は例外中の例外で、そいつは今も隣で無駄に勧誘をしてきている。
だが、俺が腕を失ってからしかジェイクは知らない。落ちぶれてた、俺しか。
とはいえ、あの頃を知っていてかつこの状況でよく話かけられるなと感心はする。
「いきなり居なくなってビックリしました。奴隷になったと聞きましたが、元気そうで何よりです」
…こいつ、配慮というか遠慮が足りないな、相変わらず。
ま、今はそれが有難いまであるが。他の奴らに無駄に絡まれなくて済む。
「まあな。運よくいい主人に買われてな」
その当人は今頃あいつらに絡まれて困り果てるか悔しがっているだろう。
それがすべて俺故にだと思うと、不謹慎だが戻るのが楽しみだ。
「それは良かったです。非道な人も大勢いると聞いていたので、心配してました」
「そりゃどうも」
俺の足背を踏み付けるがためにわざわざ近くまで歩み寄ってくる阿呆がいた。いちいち反応してやるのも馬鹿らしく、サッと避けて無視してやれば勝手にイラついて去っていく。
何とも呑気なもんだな。
「…雰囲気、変わりました?」
「そうか?」
「はい。もっと怖かったです」
あの頃は俺を嗤った奴ら全員を後悔させてやることしか頭になかった。余裕があったとは口が裂けても言えない心境だったのも事実だ。
それがここまで地に足付けられているのは、偏にルナのおかげだろうな。
「そんな風には見えなかったがな」
「そうですか?本気でビビってましたよ」
真面目腐った顔でジェイクは言った。その表情がこの場に不釣り合いでなんとも可笑しい。
「静粛に!現状報告をする!」
ギルマスが登壇し、声を張り上げて説明を始めた。
約一年前を最後にめっきり聞く機会を失ったギルマスの野太く不愉快な声質。少しでさえ耳にするとストレスが溜まる声だが、それが今では懐かしささえ感じた。俺を買ったのがルナでなければここに戻ってくることは一生なかったはずだ。
そして、こんなにも平静にこの雑音を聞き流すことも出来なかっただろう。
「今もその主人さんと一緒ですか?」
「そうだぞ」
ジェイクもギルマスの話をまともに聞く気がないらしい。ここら一帯の魔獣の生息形態を把握している奴らにとっては大した情報を得られない、只々無駄な時間であるから理解はできる。
「レオルド。それって…」
「自分で考えろ」
適当に突き放してやればサイラスが黙り込んで、多少煩わしさが軽減した。
「オレ、未だにソロでやってるんで。その主人さんが良かったらなんですけど、臨時でパーティー組んでもらえません?」
ジェイクが問いかけた。
一瞥した先では眉尻を下げて俺に祈るポーズを取ったそいつが居て、ルナを害さない事が窺える。
「了承したらな」
「ありがとうございます、助かります。最近妙に魔獣の襲撃が多くて、ソロではちょっと限界を感じてて」
そいつは安堵して笑った。
魔の森最前線のこの街で一年以上生き残っているにもかかわらず、どういう事か。
「あんたならそこそこ誘いがあんだろ?」
「あるにはあるんですけど、稽古つけてくれてる人がいて。その人のパーティーに加入したいんです」
「そうか。まあ、頑張れよ」
人には相性がある。相手と気が合わなければ俺みたく裏切られるか、解散か。
そういう意味では、ルナと俺が離れることはないな。
「ありがとうございます。…やっぱり、変わりましたね。レオルドクンは」
「その呼び方やめろ」
こう呼ばれる度に無性にイラっとした。今でこそ思わなくなったが、当時は拒否すると毎度の如く心底理解できないと言わんばかりの表情がこれまた苛立ちを助長させていた。
苛つかなくなったとはいえ、不愉快なことに変わりはないが。
「何故ですか?故郷では尊敬の意を込めて使われてました」
「どこだよその国」
「ずっとずっと遠くです」
真面目腐ったその表情にはほんの少しの、哀愁が滲んでいた。
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