72.街の現状
予定よりも大分遅れてリュームスの街に到着した。
道中、魔の森に近づくにつれて魔獣の出没頻度が増していった。収納に余裕を持たせた方がいいというレオルドさんの助言に従って何度か街に寄ったのが時間が掛かった理由だ。
魔の都市・リュームスは魔の森最寄りの都市だ。
魔獣の氾濫にも対処できるように防壁も頑強で、もはや要塞だった。
「これは先に宿を取った方がいいな」
「人がいっぱいいるもんね」
「もう埋まってるかもしれないがな」
緊急クエストが発令されて各地から冒険者が集結しているのだろう、大通りを歩く人達のほとんどが武装してる。この人達が定住することはないだろう。拠点を定めることはあっても、邸宅は持たない。護衛依頼でひと月二月家を留守にすることが頻繁にあるのが冒険者だ。
職業事情を鑑みて、何件か宿屋さんを回ることも覚悟していた。
「もう開いてないよ。どこも満室だったろ?」
この街にある宿屋さんは四軒。そして私達が訪ねたのもここで四軒目。
私は外で馬の手綱を握って待っていたけど、ここまで店主の断りの声が聞こえてきていた。きっと私達以外にも訪ねてきた人が大勢いたんだろう。
「ここも駄目だ」
「どうしよう?」
どこも満室。冒険者の数に対して客室数が圧倒的に不足していた。緊急クエストで名を上げようと考えるのが冒険者、らしい。私には一生分かり合えない行動原理だ。
「仕方ないか」
「野宿?」
最終手段、野宿。そこら辺の宿屋さんに泊まるよりも快適に過ごせる。
申し訳ないけど、それだけいい家具を揃えている自負がある。
「違うぞ。値は張るが、商業ギルドで一軒家を買うんだ」
「家買うの?!」
「で、ここを発つ時に売る」
「そんなことできるんだ…。知らなかった」
「普通はしないがな。今は金にも困ってないからな」
レズリー様護衛依頼の正規報酬に追加報酬、ポーションの売却代金など、その額が額だけに未だに振り込まれてはいない。
が、冒険者での収入だけでそこそこのお金持ちになっているのだ。それだけ魔獣が増えているという証拠でもある。
つまり、他の人達も同じだけ稼げることと同義で。
「他の人達に買われちゃう前に早く行こ!」
「そうだな。…家買うような奴はそうそういないだろうが」
レオルドさんが何かを囁いた気がしたが、何も言っていなかったらしい。他の人の会話と聞き違えたのかな。
街の構造を知り尽くしている彼の案内で商業ギルドへ向かった。
無機質な石壁の建物だけど、いざ中に入ると日本の役所みたいな空気を感じた。
「A級冒険者パーティー〈アルカナ〉だ。家を買いたい」
「!…かしこまりました。こちらへどうぞ」
カウンターの男の人にレオルドさんがギルドカードを見せると少し目を見開いたものの、すぐに応接室に通してくれた。
それからお茶とお茶請けも出してもらった。
ちょっと渋みがあるけど、良い茶葉を使ってる。王城でしばらく働いていたからか、お茶に関してだけ舌が肥えてしまったようだ。お菓子はドライフルーツだった。護衛依頼の野営中に携帯食として配られることもあったからちょっとだけ残念。
「ルナ、この三軒に絞ったぞ」
私がまったりしてる間にレオルドさんが候補を絞ってくれた。任せっぱなしでちょっとだけ申し訳なく思った。反省しつつも三軒の詳細を確認すると、値段や部屋数は書かれていたけど、広さや間取りは記載がなかった。これでは決められないからと商業ギルド員のグレイブさんに内見をお願いし、馬を一時的に預けて馬車にて移動を始めた。
到着した一軒目は、それはもう豪華な屋敷だった。
何でも、一年前まで貴族の放蕩子息が住んでいたそうだ。庭も立派で建物も二人で過ごすには広すぎる上に、別邸まであった。
こんなに要らないとレオルドさんと意見が一致して次へ。
二軒目も屋敷だ。
たださっきよりもずっと小さいし、埃っぽい。置いてある家具も統一感の欠片もなく放置されていて使えそうになかった。数年前までA級冒険者パーティーがここを活動拠点にしていたが、リーダーの怪我を理由に解散となり、家具ごと手放したらしい。
掃除や家具の撤去に苦労しそうだからと最後に望みをかけることにしてまた移動を開始した。
三軒目。ここもやっぱり屋敷だった。
一軒目と二軒目の中間くらいの広々とした開放感のある邸と馬場に花壇、動き回っても十分に余裕のある中庭。
ここもA級冒険者パーティーが活動拠点にしていたらしいが、二軒目と比較して内装がそこまで劣化しておらず、少し埃は溜まっているものの掃除でどうにかなりそうなレベルだった。
「ここにするか?」
「うん。広すぎる気もするけど…」
「使用人の斡旋もしておりますので、お気軽にご相談ください」
ニコニコとしたグレイブさんと商業ギルドに戻り、契約を交わした。
購入価格は八千万リグ。
万能型状態異常回復ポーション一本でお釣りがくると考えると安い気もするし、魔道鞄八個分と考えると高く…ない?あれ…?
レオルドさんと一緒に居るようになってから適正価格でみんな買ってくれるから金銭感覚がおかしくなってる。一年前は何を売ってもそこまで高くなかったのに。
ぼったくられないって、素晴らしいね…。
パーティー口座から即金で支払いを済ませた。おかげでパーティー口座がほとんど空になったはずだから、あとで個人口座から少し移動させないと。…私の記憶では、口座にお金はあんまり残ってなかったけど。早くレズリー様たちから入金されないかな…?
とりあえず一括入金が功を奏したのか、サービスで屋敷の掃除を手配してくれるらしい。すぐに着手して今日中には終わらせてくれるとのこと。
それまでに到着報告だけでもしておこうと、冒険者ギルドにやってきた。
魔の森最前線に位置するとあって、王都支部よりも建物が立派だ。華やかさはまるでなく実用性重視といった印象を受ける。
レオルドさんが立ち止まって看板を眺めるのに合わせて私も脚を止めた。
何かを抑え込むように、ゆっくりと目を細めていて。ここでの、私の知らない過去を思い起こしているのだろう。
少しの間をおいて彼の真正面に移動して背伸びをした。
さっきと打って変わって僅かに見開かれた瞳が、私に意識を向けている。
「行こう?」
「…そうだな」
余計な緊張が解れたのか、レオルドさんはふっと笑みを零した。
脚を踏み出した彼に続いて冒険者ギルドの扉を通ると、たちまち注目が集まってくる。それが好意的な者ではないことはすぐに理解した。ひとたび耳を澄ませば少なくないレオルドさんへの誹謗が飛び交っているのだ。
レオルドさんはそれらを意に返さず、カウンターへ直行した。
「A級パーティーの〈アルカナ〉だ。王都で緊急クエストを見てきたんだが」
「そうですか。御存じかと思いますが、あちらの掲示板でクエストをお探し下さい」
「…分かった」
見渡す限りすべての職員が嘲笑を浮かべている。こちらを見下す心を隠しそうともしてない。
事前に聞いてた通り、ギルド職員も墜ちる所まで墜ちてる。
今この街にはA級パーティーが少なからず滞在しているだろう。一パーティーが抜けた所でそう大差ないと考えたとしても、この対応はない。
レオルドさんは構うことなく掲示板へ向けて歩みを進めていて、私はその後ろを大人しく付いていくだけ。本当は腸が煮えくり返ってる。でも、これらを一身に受け止める彼が何も反応しないから、私も我慢するしかなかった。
「あんた、レオルドでしょ」
垂れ耳の犬獣人っぽい女の人がレオルドさんの名を呼びながら道を阻むようにして大股で近づいてきた。
苛立ったような、怒っているような。眉間に皺が寄っていて友好的には到底思えなかった。
これ以上彼ひとりを針の筵にしたくない。この街に来たのは、私の我が儘だ。
女の人の意識が私に移るように一歩前へ踏み出した。
が、次の瞬間にはレオルドさんの左腕が肩に回されていて後ろに引き寄せられていた。トンッと背中に当たる温かみのある硬さと右肩の掴まれた掌の感覚に、憤怒の熱がじんわりと冷めていくのと引き換えに心臓が早鐘を打ち始める。
「その子を放しなさいよ!」
「ああ?何でだ?」
女の人の手が風を切って不自然な位置で制止している。何かを掴もうとしたみたいに。
その体勢が意味することに合点がいくと、心は少しずつ平静を取り戻すのだった。
「そんな小さな女の子を!恥ずかしくないわけ?!」
「勘違いしてるようだが、俺らはパーティーを組んでいる。外野にとやかく言われる筋合いはないな」
「お前が無理に従わせてるんでしょ!可哀想に…」
目線がやや上といったくらいしか私との身長差がない彼女の憐みの視線が突き刺さる。まだ少女といって差し支えない。正面切って喰ってかかるから実際より大きく見えていた。
それにしても、何が何だかさっぱり分からない。この人は何を言っているんだろう?
恥ずかしい?
何が?
無理に従わせてる?
誰を?
可哀想?
誰が?
その勝手な決めつけに若干の苛立ちを覚えていると、彼女の背後から男の人が現れた。
青みがかった短髪と切れ長の目元はよく言えば誠実っぽく、悪く言えば融通が利かなそう。20代前半くらいに見えるその人は尊大に笑んで口を挟む。
「レオルド。うちのパーティーに入ればいい。その子は俺が責任もって彼女のランクに相応しい、女性だけのパーティーに入れるから。お互いにいい話じゃないか?」
まるで自分がすべて正しいと言わんばかりの口振りだ。
私達の意思を無視した提案と決めつけが癪に障った。怒りが沸々と再熱していく。
「どこがだ。不利益でしかないんだが?」
「…あの」
「何かな?」
手を差し伸べてあげている。耳を傾けてあげている。
この人のそんな傲慢な思考が態度に出ている様だった。
「…お断りします。絶対に、パーティーは解散しません」
「そういう訳だ。諦めろ」
何様のつもりだろう?自分たちのことは自分たちで決める。レオルドさんの言う通り、外野にとやかく言われる筋合いはない。
感情に身を任せても、初対面で自分の意見を言う時は心臓をきゅっと握られるような感覚がして苦しい。
私を抱き込む腕を左手でギュッと握って、それに応えるように彼の右掌が下ろしたままの右手甲を撫でてくれた。それだけで心が落ち着きを取り戻していく。
「洗脳…?卑怯な奴!」
精一杯自分の意思を伝えたつもりだった。でも、まったく聞き入れてもらえてない。そもそも聞く耳を持つ気がないのだろう。
理解ってもらえるかも、なんていうほんの少しだけ燻っていた甘い期待はあっけなく霧散していった。
唐突に始まった口論にギルド内は水を打ったように静まり返っている。
「ギルマスを呼んでくれ!また魔獣が森から溢れて来てるぞ!」
両者が一歩も譲る気配なく睨み据える中、息を切らした冒険者が飛び込んできた。齎された情報によってフロアはにわかに騒然としていく。
「落ち着いて下さい!ギルドマスターに指示を仰ぎますので、各パーティーリーダーは二階講義室にお集まりください!」
受付嬢さんが必死になって呼びかけ続ける。
慣れているのか、階段近くに居たリーダーから移動していき、そう時間を掛けず平常を取り戻していった。
「レオルド。話は後にしよう」
「話すことは初めからないが?」
男の人は「つれないね」と溜息交じりに呟いて横を通り過ぎていった。最初から最後まで人をイラつかせないと気が済まないのだろうか?
「で、どうするんだ?」
「え?何が…?」
ジッと彼らを睨みつけていてレオルドさんの話を聞いてなかった。身体ごと振り向いて彼の顔色を窺っても特に怒ってはない。
「リーダーだ。するか?」
さっき通り過ぎていった人達が足を止めてバッ!!!という効果音が響きそうなくらい勢いよく振り返ってレオルドさんを凝視した。さっきの男の人なんてすっごくきつそうな体勢で硬直してる。
「…レオルドさんにお願いしてもいい?嫌だったら私、頑張ってみるけど…」
リーダーがどっちだとかは確かに決めてなかった。勝手に彼がやるものだと思い込んでいたのだ。
咄嗟の判断とかできないから、本当はなりたくない。でも、いつも色々とやって貰っている自覚があるから嫌なことのひとつやふたつくらい…とは思うのだ。
「ここはひとまず俺が行くか」
やらなくてもいいとなった途端、ホッとした。私にリーダーが務まるとは露ほども自惚れていない。
「…ありがとう。おねがいします」
ぺこっと軽く頭を下げた。姿勢を戻した瞬間、一拍の間をおいて俯き気味のままに小さな溜息を漏らした。
すると、肩に大きな手が乗せられた。
見なくても判る、レオルドさんだ。
「…あっちで結界張って待ってろ。あと、絡んできたこいつらは見当違いな正義感を振り翳してはいるが、善良な部類の冒険者だ。何かあれば頼れ」
彼が耳元で囁いて、奥のテーブルを示した。私がこれ以上絡まれないようにだろう。
ただ、この人達に頼りたくはない。だってレオルドさんのこと悪く言ってたから。
「…分かった。いってらっしゃい」
「行ってくる」
身を翻して階段へと向かう彼の後ろ姿を見えなくなるまで見送った。