64.三澄君のお願い
炎天に晒されて日影が涼しかったはずなのに、解散時にはすっかり曇天が空を覆って肌寒さを感じるまでになっていた。挨拶もそこそこに王城へ走ったが、途中で雨に降られてしまった。
あと少しの距離だからと不精せずコートを羽織っていれば良かった。
髪や靴はもちろん肩や腕といった、水気を吸って肌に張り付いた生地がどんどん体温を奪っていく。
「乾かしちゃうね」
張り付いた髪を邪魔そうに掻き上げるレオルドさんを見遣る。
代謝か体温の差なのか、寒そうには見えない。
彼の腕を取って魔術を発動し、次に自分へ。
雨で湿度が高くともこの魔術では肌も乾燥してしまうから使いたくなかった。
「お風呂入ろう…」
冷えた身体もすぐには温まってくれない。
温かいシャワーを浴びていち早く温もりたい願望が浴室へ急かす。
「それまで被っとけ」
その一言と共にふわっと頭から掛けられたのはタオルケットだった。
気づかれたのか気遣われたのか分からないけれど、震えそうな冷たさはどこかにいってしまった。
お風呂から出てレオルドさんとまた合流し、ここ数日滞っていたポーション製作を始めた。
窓に打ち付ける雨は勢いを増し、さらに灰色を濃くする。
足早に通り過ぎた街並みでは何事もないかのように呼び込む商人達とお客さん、楽しそうにダンスを踊る人達も居た。屋内で雨宿りをしようとする人はほとんどいなかった。
激しい夕立が景色を隠している今も、変わらず祭りを満喫しているんだろうか。
「進捗はどうだ?」
魔道鞄から空のポーション瓶を取り出すレオルドさんが問いかけた。
「レベルは上がったけど。でも…」
「まだ製法も不明のままだしな」
状態異常回復ポーションを作っているうちにいつの間にかlv.8になっていた。
でも、足りるかは微妙なところ。
レシピの一端すら掴めていない今、最上級ポーションの製作は絶望的といっていい。
「どうしよう?」
「…」
何か言いたげに言い淀むレオルドさんが珍しく作業の手を止めた。
打開策があるのなら、やってみたいと思う。
縋るような気持ちでレオルドさんに向き直って見つめる。
「どうしてもって言うんなら」
一番知りたい言葉を遮って扉のノック音が鳴った。
わざとかと文句を付けたくなるほど完璧なタイミングだった。突然の訪問者にレオルドさんは口を完全に閉ざしてしまう。
「…今開けます」
渋々と返事をして開扉すると、仕事中のはずのエマさんが立っていた。
「どうかしたんですか?」
「セイクリッド勇王国のマコト宰相閣下がルナちゃんを訪ねてきています。会いますか?」
「…分かりました。すぐ向かいます」
「お願いしますね」
レオルドさんの話も気になって少し返答に迷ったけれど、逢うことにした。急用があるのかもしれないからだ。
器具を片付けて二人で伴って応接室へ足を運んだ。
ダウンしたと聞いていたが、レズリー様と談笑しているのを見る限り三澄君も補佐官君も顔色が良い。
「お待たせ致しました、三澄宰相閣下。御体調はいかがでしょうか?」
「うん。鈴木さんの他人行儀さにぶり返しそうだよ」
「そうですか。でしたら、自室に戻ってお休みになる事をお勧めします」
「同郷だっていうのに冷たいなぁ」
言葉とは裏腹に声には喜色が乗っている。
「…それで、何の御用でしょうか?」
「契約魔術の報酬。貰いに来たよ?」
「ちょっと待て」
レオルドさんが待ったをかけた。三澄君の視線が私から隣へ移っていく。
「何かな?」
「あんたに報酬は必要か?」
「記載があるよね。なら、貰う権利があると思うけど?」
「…何を望む」
魔獣素材でできた契約書を二枚、三澄君はこちらを煽るように弄ぶ。私からは表情は見えないけれど、レオルドさんの声に苦渋が滲んでいた。
「鈴木さんに聞きたい事があってね」
「何でしょう?」
「【天眼】について教えて欲しいんだよね。あと、結界魔術についても」
「どっちか一方だけだ」
レオルドさんが即答した。
「そう来るかぁ」
うーんうーんと悩む素振りを見せる三澄君。それがとても嘘くさい。
「【天眼】にしようかな」
「…何が知りたいんですか」
「どうやっても【天眼】の情報処理に脳が追い付かなくて困っていてね。鈴木さんがどうして平然としているのかが知りたいな」
何を聞かれるのか無意識に肩に力が入っていたのだろう。はっきり言って拍子抜けだった。
「スキルのおかげです。『並列操作』って知ってますか?」
「確か徹が持ってたはず」
「魔術の同時発動に必要なスキルです。回復魔術や聖魔術で身体を癒すのも気休め程度ですけど、効果がありますから。あと、このスキルは魔力操作だけではなく、魔術使用による思考力も高めてくれるのだと思われます」
これも嘘とは言い切れない。実際、スキルを獲得してからは限界発動時間が体感伸びたし。
「…それは【天眼】発動しながらってこと?鈴木さんそんなことしてたの」
「はい。初めは難しいですけど、慣れればやってやれないことはないですよ」
「…参考にならないけど、参考に出来るように頑張るよ」
「はい。頑張って下さい」
「でも、それだけじゃないよね?」
緊張を解いていた肩がビクッと跳ねた。心臓が主張するように心拍数を上げていく。
「…どういう意味ですか?」
「僕は【天眼】について教えて欲しいって言ったんだよ?他にも隠してること、あるよね?」
「もうないぞ」
若干返答に遅れた私に代わってレオルドさんが応対をした。見上げた先は目配せで任せろと訴えている。
「そんな訳ないでしょ。それとも反故にする?」
「したことにはならないだろ」
「こちらにはもう一枚契約書があるよ。どう?」
三澄君の掌へ補佐官君が腰から取り出した契約書を置いた。持っていた二枚の契約書の内の一枚は『幻術』で作り出された偽物だったらしい。いつの間にか彼の手元には一枚しかなかった。
報酬の文言が色褪せた契約書と、かたや魔力を帯びていて。
レオルドさんは隠すこともなく舌打ちをして、私は自分の確認の甘さに奥歯を噛み締める。
「何を言えば納得すんだよ。何を言ってもどうせしないんだろ?」
「僕は鈴木さんのステータスを見ないようにしてるんだよ?」
レオルドさんの問いかけに詰まることなく三澄君は脅しに来た。いつでも視れるんだぞ、と。
とはいえ、【天眼】でもステータスに表示されたスキルの使用方法まで教えてくれる訳じゃない。それでも知られたくはない。
「冒険者においてスキルの詮索はご法度であるぞ。今は我の従者だ。弁えよ」
堪らずといった様子のレズリー様が口を挟み、対して三澄君は眉間に皺を寄せて考え込むようにして俯きがちになりながらも、諦めたようには到底思えなかった。
どうすれば納得してもらえるのか、思考を巡らせれば巡らせるほど私ではどうにもならない結論に至る。
これまでもほとんどの交渉をレオルドさんに任せっきりだった。克服しなければと思いつつも今回は丸投げした方がいい。最悪、秘密を知られ自分たちを危険に曝すことに繋がる。
「…今回、僕は自分の力不足を実感したんだ。脅すような言い方をしたことは謝る、ごめんなさい。でもだからこそ【天眼】ついて教えて欲しい。…お願いします」
三澄君が真剣な眼付きで私を見上げた後、深々と腰を折った。補佐官君も彼に遅れながらもそれに倣う。
唐突な彼らの方向転換にレオルドさんと顔を見合わせる。
「どうしたらいい…?」
「もう話すことはないんだ。本当に、何もな」
レオルドさんは【天眼】の秘密を隠し通す気らしいのだが、それで彼らが納得することはなく、頑なに頭を下げられ、何度も頼み込まれる。これでは堂々巡りだ。
「…三澄君。ホントに、もう」
「鈴木さん、お願い」
真正面から真摯に頼み込まれるとどうしても断りづらい。日本人としての性なのだろうか。
ただ、バカ正直にすべてを明かすことはできない。今の私はもう一人ではないから。
とはいえ、何を言えば彼らは満足するんだろう…。
「…スキルには互いに影響を与え合うもんがある事は、知ってるな?」
「それは、まあ…」
レオルドさんの問いかけに頭を上げた彼は胡乱げに彼を覗き込んだ。
補佐官君は彼の言いたいことに思い至ったようで目を見開いている。私も少し遅れて彼の意図に気づいてなるほどと得心した。
「それは固有スキルにも当て嵌まる。これ以上はもう言えない」
「【天眼】と、つうじょウグッ!?」
三澄君の口元が補佐官君の手によって塞がれた。
相当拘束が強いのか三澄君が藻掻いても少しも解ける様子がない。
「ありがとうございました。私共がこれで失礼致します」
「え、っと…うん」
予想外の行動に驚いている間に彼は上司であるはずの三澄君を雑に引き摺って挨拶もそこそこに退室していった。
「どうしていきなりあんな…」
訳が分からない行動ではあったが、三澄君の追及を逃れられたのはありがたい。まだ納得がいっていないことは顔を見れば火を見るよりも明らかであり、それでも彼は言葉を反故にすることはしなかった。
「何故であろうな?」
「さあな」
疑問を呈したふたりに視線を向けると訳知り顔で笑っていた。
一体、何があったんだろう?
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!!!
作者、ミスる。
『並列操作』を『並列思考』だと若干勘違いしてた…!【天眼】の副作用はどうにもならないって記述した気もするけど…「気休め」だから、ギリセーフ?
2025.8.3
後半部分を大幅加筆修正しました。