62.ケンタウロス族の価値
静かに齎されたレズリーの言葉がゾウラを俯かせ、思い悩ませる。下唇を撫で混迷する様は、人間臭く。
勝手知らぬ人間社会に参戦せざるを得ない状況に陥れられた彼らと一族の今後を一身に背負った彼に、もはや怒りなどない。
しかし、現状においては咎めもなくという訳にもいかない。
余程の価値を提示できない限り。
場の停滞が時間の流れすらも遅延させていく。誰もが先の一手を望んでいた。
「…お前らに何が分かる。世界を破壊するしか能のない人族風情に!」
ゾウラの声、ではなかった。一段低く、されど重厚感はない。
これまで黙っていたケンタウロス族男衆のひとりが人間と変わりない下肢を唐突に変化させていく。履いていたゆるりとしたズボンは裂けることなく、ケンタウロス本来の露わになった彼の筋肉質な肉体に沿う。
どこからか取り出した短槍を手に構え、親の仇を睨むが如くレズリーを射抜く。
彼の怒りや正義感が目に見えない刃となって今にも首刈ろうとしていた。
護衛として剣に手を掛けるには十分だった。
「お前ら三人以外の人間は相手にもならない。それでもやるのか」
傍に控える男共も姿こそ変質させずとも参戦はするようだ。
肌を焦がす覇気が目の前の男よりも苛烈で凄惨。
「それが俺の仕事だからな」
「ハ!選択仕損じた者の運命だな」
たったひとり、俺だけが対峙する。
彼等の相手取れるのは俺とジュリア、そして護衛対象のレズリーだけ。レズリーが前に出ることも、護衛を放棄していい理由にもならない。
余裕綽々、傲慢不遜にも顎をしゃくり見下して勝ちを確信している。制止するゾウラの言を聞き届ける者は一人も居やしない。
壮絶さを増す闘気は地面をも轟かせる。
目の当たりにした戦力差にまともな戦闘意欲を保ち続ける者はそう多くない。
「かかってこい」
青年が挑発に乗るのは優位を信じて疑わないからか、自信があるからか。
前傾姿勢の体重の乗った踏み込みの勢いそのままに短槍が突き出される。
初動にして洗練された一突き。
だが、本能的な回避に身を任せて躱せてしまう程度には緩慢だった。
そして、一つの球体を投げ込むアクションも出来てしまうほどに互いの実力差があった。
「…!意味のない事を」
白い煙が球体から広がり、それを風魔術で補助し舞い上がらせる。
が、足元の視界を多少邪魔する以外には特に支障がない。ケンタウロス族の男衆から失笑が上がる。
「その内理解できるさ」
自分から白煙の中に飛び込んでいき、剣を抜くフェイントをもって欺き鳩尾に蹴りをお見舞いした。
「ぐぶッ……」
ルナが作製した『打撃』が付与されたブーツから繰り出された一発だ。まともに食らうだけでも大の大人が蹲って呻かずには居られない威力があった。
「き、さま…!」
敵が一人やられたことで全ての意識が俺に向く。余裕の笑みがみるみるうちに警戒と怒りに染まっていった。油断も何もありはしない。
総ては俺の狙い通りに。
お遊びではないと真剣に構えた男衆全員を一人で迎え撃つには無理がある。しかし、時間を稼ぐのは難しくない。
意図して範囲内に留まらせるにしても、だ。
幅を取る槍は室内での取回しが難しい。それも、仲間が居れば尚の事。
数瞬の躊躇いが俺に付け入る隙を増やしていた。
視認しづらい下肢を狙っては転ばせてやる。倒れた相手に追撃をする演出も織り交ぜながら、こちらの仕込みを悟らせない。
地面に膝を付いてからの立ち上がり。徐々に軽くなる短槍の衝撃。回避の遅さ。
徐々に、だが確実に。男共の動きが精彩を欠いていった。
「…何、を…した!」
戦況の異常さに漸く気づいたようだ。もう遅いが。
男共は目立った傷も見当たらないのに覚束ない足取りで短槍を杖代わりにして立っているのがやっとの状態。対して俺は掠り傷が多少ある以外はまだまだ戦える。
たった一人に倒された、では説明が付かない。
「何故なのか。説明してやったらどうなのだ、レオルド?」
レズリーの楽し気な声が背後で響く。いい余興になったようだ。
「あんたらが馬鹿にしたこの白煙はA級魔獣にも効果を発揮する、麻痺ポーションだ」
ルナ手製の麻痺ポーション。
瓶詰される液体ポーションの枠に捉われない、新型ポーション。しかも、白煙は囮で麻痺成分は白煙の上層に滞留する性質を持ち、無色無臭。
初見でこれを見抜くのは至難の業だろう。
「それではそなたにだけ効いてない理由にならんだろう?」
「俺が風魔術を使ったのが分からなかったか?」
「つまり自分を囮にした、と」
レズリーが補足するように分かり切った疑問を投げかけて、謎を解き明かしていく。
顔を見てはいないが、きっと喜色を浮かべている事だろう。
「、卑怯、だぞ…!」
「魔獣にも同じ台詞を言うがいい。負け犬が」
突っかかってきた青年は二の句を告げず、押し黙った。
そして、全身に麻痺毒が回ったのか手から武器が滑り落ち、完全に地面へ沈んだ。
とはいえ、自分も意識を逸らすために多少吸い込まざるを得なかった。
麻痺が回り始める前にと魔道鞄から特化型解毒ポーションを取り出し、煽る。青臭い味が口に広がり、鼻を抜けていく。嗅覚の鋭い獣人にはキツイ匂いだった。
「貴様、なかなかの手際。見事であったぞ」
「どうも」
ゾウラは男共を心配しているようだ。チラチラと仲間に目線が持って行かれている。
「A級にも効くと言うが、これは勝手に抜けるのか?」
「知らんな。俺はこれの製作者ではないんでな。ただし、作った奴からはもし吸い込んだらすぐに万能型状態異常回復ポーションか、特化型の解毒ポーションを服用するように言い含められたがな」
ゾウラの顔から血の気が引いていく。
A級という冒険者ギルド内でのランクはケンタウロス族にも周知されているらしい。
「…貰うことは、出来るだろうか…?」
「だ、そうだが?」
自身の今の雇い主を振り返る。きっと今の俺はいい顔をしているんだろう。
その雇い主も、意地悪く笑んでいた。
投与許可を得てケンタウロス族達にポーションを服用させる。
さすがルナという所か。劇的な変化を齎し、数分後には全員が支障なく行動していた。
最初に突っかかってきた青年は背後からの襲撃を企んでいたようだが、ゾウラに抑え込まれていた。族長には頭が上がらないらしい。
隅のブタは男共の気迫に耐えきれず早々に失神したらしく、騎士達に引き摺られて退室した。
「一つ聞いておきたいのだけど」
「…何だ?」
「何のために、呪詛をばら撒いたのかな?」
「ばら撒く?あれにではなく?」
第二王子の問いに対して指差された扉は既に固く閉じられていた。
「ええ。我が国の者や各国の代表まで、様々な者が被害に遭っていますよ」
「全く知らんが…。貴様、何をした?」
本当に心当たりがないのか、ゾウラの鋭利な瞳がゼータを射抜く。
秘密を打ち明ける少年のように瞳を爛々とする時の呪術士達はろくでもないと、この短時間で嫌というほど思い知った。それにまた付き合わねばならないと思うと、軽い頭痛がしてくる。
「貴方に貰ったワインや素材を材料に少々実験を!」
瞬時に見開かれたゾウラの眼に全てを悟った。
差し入れていた品や贈答品は全て、言葉の額面通りの意味しか持たなかった。そこに信用を得るためという意味もなくはないが、親愛の証としてというのは何の間違いもなかった。
【天眼】の鑑定結果が優秀であれど、完璧ではないことの証明だった。
「我が贈った酒をか!?あれは貴重なレグの実から作った酒だぞ!何を考えている?!」
「「レグの実だと!?!?」」
レグの実。
幻の果実として古文書に記載された、絶滅種。
その実は適度な甘みと酸味が調和し、芳醇な香りが数多の王侯貴族を魅了したという。
皮と種に実だけでなく、葉と幹、枝、根に至るまでありとあらゆる部位に薬効成分を含む、薬材としても優秀な落葉樹。
誰も味わう事の叶わない、過去と夢と空想の中にだけ存在したはずの果実。
こともあろうに、それらを贅沢に使用した酒がこの世に存在しているのだ。
レズリーと共に声を揃えて驚愕を露わにしたのも、必然といえよう。
一国の代表であることも、一護衛であることも、奇跡の酒の前では些事でしかない。
「そ、その酒はまだあるか?!」
「あるぞ」
「「本当か!?」」
在庫の存在を知った今、些事が無価値になった。
氷よりも冷めた視線が突き刺さろうとも。刃を彷彿とさせる怒りが自分達に向いていようとも!
「我に幾らか売ってもらえぬか!」
「俺も買いたいんだが!」
「構わんが…」
上体を仰け反らせて足も半歩後ろに引いたゾウラ。
それに気づくことも、周囲の眼も気にすることなく腰の横で拳を握って喜びを噛み締めたのだった。
突如発覚したレグの実の存在と今後についての話し合いが急遽行われている。
ケンタウロス族の言うレグの実が記述と相違ない代物であれば、彼らの罪状は恩を売りたい者達によって都合よく改変されるだろう。そこに一枚噛みたい各国の代表達が我先にとゾウラに群がっていた。
俺は護衛としてレズリーの背後に侍っているだけでいい。
「お疲れ。大丈夫?」
セイメイがマコトに近づき、金獅子の優れた聴力がその会話を拾う。
「………大丈夫に、見える?」
一瞥した先では目を疑う光景があった。不気味に微笑んでいたリヒトとマコトの姿が歪んで現れたのは、膝をつき肩で息をするリヒトと肘掛けを枕に一人掛けのソファーに沈むマコトだった。
両者ともここから顔を拝むことは出来ないが、良いようには思えない。
「全然。【天眼】ってホントにデメリットが大きすぎるよねぇ」
「…これで。平然と振舞える鈴木さんは、…バケモノだよ」
夜会でエスコートしたから知っている。
ルナは平然としている風に見られる努力をしていた。
本当は掌に爪跡が刻まれるほどに拳を握りしめて、奥歯を噛み締めて。
それでも、口角を無理矢理上げていた。
だが、ここまで身体に負担を強いるとは想像だにしていなかった。
「今頃気づいた?」
「どうやったら、ああなるのか。……どいつもこいつも」
「アハハ!ルナちゃんに秘訣を聞いてみなよ。教えてくれないだろうけど!」
「…解ってるなら、言うなよ」
「…でも。契約報酬として、望むのはアリなんじゃない?」
逡巡するマコト。ルナに今までその負担を押し付けておいてよく言う。
交渉関係は俺の担当だ。貧乏籤を引きはしない。
「じゃ!お大事に!」
「…晴明」
「うん?」
革を擦る音が微かにした。
「君も充分、バケモノだ」
「…ホント?さいっこうの誉め言葉だよ!」
今のは何を意味するのか。マコトから見たセイメイはルナと同類、もしくはケンタウロス族の関与に似た、不確実さを持った何かがあるのだろうか。
答えの出ない問いが思考の渦に勢いを増す。
一応の黒幕さん。
苦労して色々と策略を練って動いていたのに全部裏目に出るというか、事態をややこしく引っ掻き回しておきながら無駄に終わる感じ。作者は群を抜くポンコツタイプにしたかった。もっとダメダメ感を出したかったのに、難しいね…。
ソーレンさんの筋書き:呪術使い達を焚きつける(こっそり服用させるだけならバレないと忠告)→使用人を買収しておく(手伝わせる)→王族が外交の場で失態を演じる→失脚する(開拓の主導者が不在となり、白紙へ)
そして!
レズリーもレオルドも一度口にしています。呪詛に掛かった時のワイン……。
ザンニがラッパ飲みしていたワインもレグの実で作られたお酒です。そりゃ美味しいよ!勿体ない!