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ピーラーでヒーラーやってます。  作者: BPUG
第一章 シーラはヒーラーである。
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1-7. 笑え、シーラ




 肩に顔をこすりつけ、シーラは流れる涙をぬぐう。

 左右の手と両指はすでにがっちりと固まって離れない。離そうにも痛みが強く、もし離れたとしても今度はピーラーを握れる気がしなかった。

 今はお奇麗なしぐさで涙をぬぐうよりも、少しでも長くピーラーを振るうのが優先だ。


「大丈夫、大丈夫」


 自分に言い聞かせる。

 心を強くしなくてはいけない。

 大丈夫だ。シーラはもうずっと前に地獄を見た。


 あの日、あの闇の塊のような瘴気がシーラの大切なものをたくさん奪っていった時に比べれば、今は全然怖くもなんともない。


「大丈夫。あんたも、すぐに、大丈夫になるから」

「ブ」


 シーラが声をかけると、精霊がそれを理解しているかのように返事をする。

 さらに頷くようにどんっと大きなタロ芋は体を揺らした。

 その姿にシーラは頬を緩ませる。精霊もシーラが頑張りを応援してくれている気がした。


「チヂヂ!」

「ヂュ!」

「ヂー!」

「ヂィ、ヂィ!」


 さらには周囲にいた子ネズミたちの声もシーラに届く。緑のしっぽが激しく揺れるのが視界の端に映った。

 そう、戦っているのはシーラだけではない。

 親精霊も、子精霊も、みんな戦っているのだ。


「うん。まだ、やれる」


 固まって動かない両手に力を入れる。

 顔を上げ、シーラは口の端を上げる。

 おっかあが言っていた。ピンクの熊に乗ったおっかあ。

 あたしの、自慢の、誰よりもかっこいい、おっとんよりもかっこいいおっかあ。



 ──笑いな、シーラ。あんたの笑顔は力をくれる。あんたが笑えば力になる。



「笑え、シーラ、笑え。ヒーラーは笑って癒すもんだ」


 おっかあの言葉を繰り返す。

 絶望の中でも笑っていたおっかあ。

 大丈夫、おっかあ、シーラは笑えている。


「さあ、行くよ!」

「ブ」

「ヂィ!」


 駆け出したシーラに向かい、親精霊がシーラを助けるように頭を下げる。

 すれ違いざま、その頭から体の横、後ろまでピーラーを滑らせる。

 燃えカスのようにはがれる瘴気。ぼろぼろと崩れ落ちて消えていく。

 何度も繰り返すうちに、少しずつ精霊を覆う瘴気の層が薄くなった。


 肩で荒い息を繰り返し、シーラは顔を上げる。

 その時、瘴気の隙間から精霊の顔が見えた。

 シーラを見つめるクリっと丸い黒い二つの瞳。

 シーラの頬に瘦せ我慢や強がりではない、本物の笑みが浮かぶ。


「あんた、可愛い顔してんね」

「ブッフ」

「ははっ、声まで可愛くなってんの?」

「クッフ」


 シーラの笑い声に、精霊がフルリと体を揺らす。一緒になって笑っているのかもしれない。


「可愛い、可愛いなぁ」


 シーラの頬をとめどなく涙が流れる。

 動きすぎて火照った体からあふれた雫は、熱を吸い取ってすぐに生温くなった。

 笑っているのに、泣くなんて変だ。

 ああ、でもおっかあもそうだった。

 笑いながら泣いていたおっかあ。今ならおっかあの気持ちが分かる。

 自分の無力感と、大切な存在への愛情と、どうしようもない状況なのに諦めきれない気持ち。

 ごちゃまぜな心は、色とりどりの絵の具が絞り出されたおっとんのパレットのよう。

 シーラは震える足で何度も精霊の周りを駆け回った。

 二度、三度──両手と両足の指を合わせても足りないほど。

 だがその足がついに止まる。


「ぐえっほ」


 喉奥の不快感に、シーラはこみ上げたものを地面に吐き出す。


「あーあ」


 口の中に残る酸っぱさと鉄臭さにシーラの眉が寄る。

 仕方がない。とっくに体は限界だ。

 足はがくがくだし、顔もぐちゃぐちゃだし、さんざんだ。


 空を見上げ、ほうっと息を吐く。

 ケホケホっと咳を繰り返してから、再度ぺっと口の中にたまったものを外に出した。


「ちょっとだけ、待ってね」

「ブフッ」


 あと少し、あと少しだ。

 瘴気堕ちからだいぶ回復してきている。


 あともうちょっと頑張れば、精霊は元に戻るまでではなくとも、教会からの正式なヒーラーが到着するまで持ちこたえられるはずだ。


 そうすれば、精霊は生きられる。


 それなのに──


 どさりとシーラの体が崩れ落ちる。


「ブブ」

「チヂヂ!」


 精霊たちの声が響く。

 親の鳴き声が「ブ」で子供が「ヂ」ってなんか変じゃないか。

 この場で全く関係ない考えがシーラの頭に浮かぶ。

 顔を地面につけ、荒い息を繰り返す。

 目の前にある茶色の枯葉がシーラの息でふわりと舞った。土の匂いがする。

 ケホッコホッと息の合間に咳が続く。

 喉奥が焼けるように痛い。瘴気が体の奥を渦巻いている。

 ぐるぐると回る熱が苦しくて、温かな布団にもぐって丸まって寝てしまいたい。


 ああ、精霊もこんな気分だったのか。

 この自然あふれる森の中で、土にもぐって大地に抱かれて体を休めたい。

 そう思ってここに来たのか。


 ちょっとだけ待ってて。

 声に出せない代わりに、視線を精霊に当てて目を細める。


「プッフゥ」


 精霊がシーラのそばで小さく鳴く。その姿にシーラの心は温かくなった。

 可愛らしい。愛おしい。シーラの精霊。

 ちょっと鳴き声は情けないけど。

 もしかしたら全部浄化されたら鳴き声もまた変わるのかもしれない。どんな声だろうか。

 もうちょっと力のある親精霊として威厳のある鳴き声だと嬉しい。

 今のままだとおっとんがすかしっ屁に失敗した時みたいだ。ちょっと嫌だ。


「ブゥ」


 ああ、さらに酷くなった。

 ふふっとシーラは喉奥で笑う。途端激痛が四肢を駆け抜けて眉を寄せる。


 ちょっとだけ、休憩だ。ほんの少しだけ。

 そうしたらまた立ち上がれる。ピーラーで治してあげる。

 ほうっとシーラは息を吐き、泥濘のように沈む意識に引っ張られるままそっと目を閉じた。






 炎だ。


 赤く燃える炎が瞼の裏で揺れる。

 不思議と森を焼かない火。


 明かりに引かれるように、シーラは瞼を開いた。

 ぼうっとした意識のまま煌めく火を視線で追う。


 ──ガシャン!


 突如響いた高い金属音に、シーラの体がピクリと揺れる。

 さらに続くカシャカシャという足音。シーラの意識がそちらに吸い寄せられた。

 そして両目を大きく見開く。

 鎧──頭から足まで全身を金属の鎧で覆った人がそこにいた。

 銀色のプレートが赤い炎を反射して光る。

 だがシーラをさらに驚かせたのは、その手に握られた長剣。

 スラリと抜かれたその長剣にシーラの目が釘付けになる。

 炎が剣の表面でちらつく。赤い光を反射しても冷たく輝くそれ。


 嫌な予感がした。


 シーラは動かない体を揺らす。

 立ち上がらなければ。あの子を守らなければ。

 地面を這い、必死に顔を上げる。


 そのシーラの目の前で、鎧を着た人が剣先を動かす。

 上にではなく、下に向けて。

 両手で剣を握り、切っ先を足元に、精霊へと向けている。


「だ、め」


 焼けた喉から弱弱しい声が漏れる。

 ちらっと鎧の奥にある瞳が動いた。シーラと目が合う。

 だがすぐにそれは逸れ、精霊へと戻される。


「いや」

「プ」


 もぞりと精霊が体を揺らす。丸く黒い瞳が鎧の人物を見つめる。

 そう、精霊には理性が戻っている。もう大丈夫なんだ。

 これから一緒にいるんだ。

 一緒にごろ寝して遊んで、シーラとおっとんと子ネズミと……


「いや」

「プ」


 シーラの両目からとめどない涙があふれる。

 切っ先が赤い炎を受けてギラリと光った。


「いやーーーー!」


 鈍い、何かが倒れる音が森に響く。

 シーラの意識はそこでついに途絶えた。



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