5-6. 記憶との再会
目と鼻と口を限界まで広げてシーラは驚愕を顔いっぱいに表す。
おっかあがその顔を見て「まー、シーラ、おっもしろい顔!」とケラケラと笑う。
膝をぱちぱちと叩いているのに不作法に見えないのはずるい。
自分の顔面の筋肉を意識して元の場所に戻す。
ぐぎぎぎぎと動きの悪い頬肉を、泥団子を作るかのように顔を色々な角度から揉む。
ついでに最近肩こりが酷い首の筋も伸ばしておくとする。
「シーラ、シーラ? シーラの可愛い顔を面白くするのはそれくらいにしておこうか」
「あ、うん、うん……そうだね」
ぱたりと両手を下ろす。
心臓の鼓動はいまだに不可思議な踊りをドコドコズンバッバと踊り狂っている。
努めてそれを顔に出さないようにして、シーラはおっとんと目を合わせた。
少しでも視線をずらしたらクリフが視界に入ってしまう。
もしそっちを見たら、落ち着き始めた心臓がまた踊りだしてしまう気がする。それは良くない。
「それで、だ。本題に戻ろうか」
さすがおっとん。
ビシッとする時にはビシッと決める。
「クリストフ騎士、シーラ浄化士が可愛いとはいえ、野営地の風紀を乱すような行為は慎みたまえ」
「へ?」
「はっ」
おっとんの発言に、シーラは首を傾げる。
一方で、クリフは両膝に手をついて深く頭を下げた。一体何なのだ。
「今回のところは罰則はないが、二度目は無いと思え」
「はっ、感謝いたします」
「へい?」
「良かったわねえ、シーラ。今度からは見つからないようにね」
「ちっがーう! クウィーヴァ、変なことを教えない!」
おっとんの叫びを聞きながら、シーラは下げられたクリフの頭を見つめる。
だが直後、その頭が上げられて視線がばっちり合う。
グイッと強くひかれた眉根が僅かによっている。あれはなんとなく困っている感じがする。
困っているのはシーラも同じだけど。
ふうっとため息を吐いて、シーラは手の中でカオドキをコロコロと転がしながら呟いた。ふわふわの毛がケバケバに毛羽立った心を撫でてくれる。
「おっとん、あんまり鬱陶しいと嫌われちゃうよ」
「え? 誰に?」
「んー、例えば可愛い娘とか」
「そ、それは嫌だな! そうだね、話はここくらいに……」
「ファーガル、本題にまだ入ってないでしょ」
バシリッと強い力でおっかあがおっとんの太ももを叩く。なぜにそこでデレるのだ、おっとんよ。
久々に両親がそろっているところを見たが、相変わらずすぎないか。悲しいくらいに相変わらずすぎて、感動が遠い山の向こうに旅立っていった。すぐに「やっほーい」とコダマが返って来そうで、やっぱり感動はない。
こほんっとわざとらしい咳ばらいの後、おっとんが任務中の騎士の顔になる。
これほどに真面目な顔をしたおっとんは別人だと思わないと、シーラの精神がやられる。
シーラのおっとんはデレデレの崩れ切った顔が基本で、ぴしっとまともな顔をしたおっとんはおっとんじゃないのだ。
「ルヴァリーの瘴気を調査したところ、定期的に浄化を繰り返していけばあと五年ほどで人の通行が可能な濃度に達すると思われる。もっとも水源も枯れているので、人が住めるようになるにはさらに時間は必要だろうが、今のようにルヴァリー地区を迂回する手間はなくなりそうだ」
ルヴァリーは瘴気汚染が起こる前は大都市ではないが、おっとんとおっかんが浄化士として駐在する程度には重要な場所だった。
そのルヴァリーに人が戻る。それはとても良い知らせ。
ほっと息を吐いたシーラに、おっかあは優し気に目を細める。
それからそのままの表情で柔らかな声で尋ねた。
「シーラは、ルヴァリーに住んでいたころの事、どれくらい覚えてる?」
数秒、おっかあの顔を見つめてから、シーラは視線を下げる。
右手の人差し指にしがみついていたオーアをむぎゅっと掴んで、ぺしゃっともこもこな毛をつぶす。
どこまでも沈み込む感触に、たどり着けない記憶の扉を探す。
「ばあちゃんの、美味しいパン。精霊の蝶は覚えてる」
「うん。ばあちゃんのパンは最高だったね」
「歳とって上手く捏ねれない時は、シーラたちが手伝ってたんだぞ」
「うん……」
シーラ”たち”。そう、シーラだけじゃない。他にいた。
二人の視線はシーラをせかしたりしない。
もっきゅもっきゅとオーアの次にドーリをぺしゃんこにして、シーラは開きかけた扉の奥を覗く。
「じゃがいもの皮むきを失敗したら、手当てしてくれた。……あれは、ねえちゃん?」
「うん、そうだね。たぶん、エーファだわ」
「あの子はいつもシーラが怪我したら手当してたからね」
「エーファ、ねえちゃん」
そう、そうだ。そんな名前だった。
エーファ。シーラよりも色の薄い金に近い茶色の髪の毛をして、おっかあによく似た大きな目をしていた。
明るくて、優しくて、大好きな、シーラの姉ちゃん。
「ね、ちゃ……」
パタパタとシーラの両目から雫が落ちる。
ゆっくりと開き始めた記憶の扉の奥を覗き込む強さはまだない。
でも優しい記憶が隙間からあふれ出て、シーラを温かく包み込む。
もう我慢しなくていいのだと、励ましてくれる。
ふわりと、記憶の仲とは違う腕がシーラを包んだ。おっかんだ。
シーラの癖の強い自由奔放な髪を、一定のリズムで撫でる。
「良かった、思い出せて。あの子のことが思い出せればそれで充分よ」
体は細いのに柔らかな胸元にシーラを抱き寄せて、おっかあは語る。
瘴気発生で町が混乱する中、シーラも強くはないが瘴気を浴びてしまったこと。
意識不明の状態が続き、目が覚めた時には記憶が混濁してしまっていたこと。
町には戻れない。クウィーヴァも、不在になってしまった聖女の席を埋めるために教会に戻らなくてはいけない。
しかしファーガルも怪我を負い、教会には戻れない状態だった。
「ファーガルに、あなたを連れてどこか安全な場所で療養をして欲しいと頼んだの。シーラの記憶が戻ったら、また会おうって約束して」
「……あたしの、記憶が戻らなかったから、ずっと会えなかった?」
「そういうわけじゃないんだけどね」
むにっと掴みがいのあるシーラの両頬をおっかあは摘まむ。「あら、柔らかい」と言ってムニムニとそのまま何度も揉む。
嬉しくないけれど振り払うのもできなくてシーラはされるがままだ。
「聖女代理として入って、私も色々大変だったのよ。聖女が瘴気堕ちするのも前代未聞だし、その代理として入った私も、まあ、前代未聞な事を過去にやらかしてるし。それに関して後悔は全くしていないけど」
「当然の事だからな」
ふんっとおっとんが自慢げに両腕を組んで言う。
聖女候補を連れて逃げ出した騎士としての汚名は、おっとんにとっては最大の名誉らしい。
それに関してはシーラも異論はない。だって二人がその決断をしなければシーラはここにいないだろうから。
「それに、もう一人。私たちが待っていた人がいるの」
おっかあの手が止まる。そして顔が別の方向へ向けられた。
シーラもおっかあの胸元から顔を上げ、おっかあの視線を追う。
その先には──深く頭を下げるクリフの姿があった。




