5-5. 親の愛と、親愛の証
騎士や浄化士が使うテントよりやや広い聖女用テントに入った直後、目の前が真っ暗になる。
正しくはピンクなのだがあまりに近すぎて暗闇だ。
「ううぇっぼ、ぶわっ、ふぇ、うふぁあああ」
「グォオオオ!」
「ゾール! ちょっと、ゾール! ずるいわよ! 私だってシーラに抱きつきたいのに!」
「グォオオオン!」
「どきなさいってば!」
ドフンッという衝撃と共にピンク色の巨大熊の重さが消える。
直後、シーラの体は温かく柔らかなものに包まれた。
「あー、シーラだわ。もー、やだー、おっきー、シーラー、もー、おっきくなっちゃったー、シーラァァァ」
グリグリと後頭部の髪の毛がものすごい勢いでかき回される。
さっきまでの熊と同等かそれ以上の強さだ。
だがシーラも負けてはいない。
「おっかぁ~、ばかー、ばかばかばかー、急にいなくなるなー、ばかおっかー」
背が高いと思っていたおっかあは、いつの間にかシーラと同じ身長になっていた。
違う。シーラが、おっかあの背に追いついたのだ。
子供の頃、手を引かれて見上げていたおっかあの顔がすぐ近くにある。
「おっかあ……老けたね」
「うっさい」
ペチッと後頭部を叩く音がする。まったく痛くない。
その手はグシャグシャになったシーラの髪をゆっくりと優しく整える。
記憶の中と寸分違わない愛情あふれる温かな瞳が濡れている。
視線を合わせ、同時にふふっと笑いあった。
「シーラ、可愛いくなったね。美人だ」
「えー、おっかん、親ばかー」
おっかあは美人だ。歳をとって目じりに皺が増えても美人だ。
無造作に束ねた少し癖の強い髪も、スラリと伸びた足も。
なんで身長がそんなに変わらないのに足の長さが違うのか。
そこを追及したいような、してはいけないような。
「シーラはクウィーヴァにそっくりだねぇ」
のんびりとしたおっとんの声が聞こえる。
振り向けば、外でお話をしていたおっとんとクリフが入り口の幕を上げて入って来るところだった。
ミューとカオドキ、そしてクリフの精霊である鹿もその後に続く。
いや、さすがにこれは多すぎだろう。
そう思っているとおっかあがテントの端に熊のゾールを押しやり、そのお腹部分を背もたれにして座った。
おっとんもさも当たり前かのようにその隣に腰を下ろす。
つまり各々の精霊にくっついて座れということなのだろう。
「ミュー、おいで」
ミューのふわふわの毛に包まれるのが大っぴらに許されるならば異論はない。
ミューを呼び、さてどこに座ろうかときょろきょろと視線をさまよわせる。
おっかあとおっとんがそれぞれ自分の隣の地面をポンポンと叩いている。これは難題だ。
その時、カチャッカチャッとリズミカルに金属を動かす音がしてシーラの意識がそちらに吸い寄せられる。
鎧が動いた。
違う。元々動いていた。ん? 鎧は動かない。動いたら怖い。
動いたのはクリフ。そう、クリフが鎧の兜を外すところだった。聖女の前で兜をかぶったままでいるのは失礼にあたるのだろう。
銀ののっぺらぼうに近い兜の中から、人間の顔がズルリと出てくる。
表現は悪いがクリフはちゃんと人間だったのだ。
「おーい、シーラー、クリストフに見とれてないでこっちおいでー」
「み、見とれてないし!」
おっとんの声を即座に否定する。
クリフはどっちかといえば厳つい顔だ。頬骨ががっしりしてるし、眉は頑固そうに太くぎゅっとしている。
短く刈り込まれている濃い茶色の髪も柔らかさとは程遠い。
ネストルがなんかよく分かんない色気を持っているのに対して、クリフはなんというか職務にだけ人生をささげてそうな堅物っぽい雰囲気がある。
実際にそんな風に生きていそうだ。
シーラはわたわたと視線をさ迷わせて、またクリフの元に戻す。
一瞬だけ茶色の瞳と交差した視線はすぐにそらされた。
僅かに彼の左側の瘴気焼けが見える。シーラの両手にも刻まれたままの瘴気焼け。
ぎゅっと手を握り、シーラはミューを促した。
「ミュー、あっち。おっかあの隣に座るよ~」
「え!?」
「やった!」
両手を叩いて喜ぶおっかあの左隣にミューを座らせ、そのお腹にぼふっと背中を預ける。
待ってましたとばかりにカオドキがシーラの膝の上に乗り込んだ。
クリフは自分の精霊を促し、おっとんの右隣りに座る。
ぎろりとおっとんがクリフを睨んだのをシーラは見逃さない。
「いいでしょ。おっかんとは十年以上会ってなかったんだもん」
「分かってる。分かってるけどさあ」
年甲斐もなくぶすっとした顔をするおっとん。
一体こののほほんとして頼りないおっとんが、どうなったら筆頭騎士になれるのだ。
溺愛するおっかんの隣を誰にも譲りたくないという気持ちは分かる。分かっていいのか分からないけど分かる。
二人は教会史に残るぐらいの愛の逃避行──ある意味教会の不祥事──をやらかしたのだから。
「やっとシーラとちゃんと話せるー。嬉しー」
ダルダルに溶けた笑顔でおっかあが言う。
シーラもふっくらした頬を上げてにっこにこだ。
それを見たおっとんも諦めて苦笑を浮かべる。そして徐に一つ咳ばらいをして告げた。
「さて、ここにシーラを呼んだのはだな」
そうだ。わざわざシーラをここに呼んだのはおっかあと人目のないところで再会を喜ぶためではない。
あれ? 人目?
そう思ってシーラはクリフへと視線を向ける。人目を考えるのならば、クリフがここにいてはいけないんじゃ?
クリフは人である。ただの動く鎧ではない。ちゃんと中身のある動く鎧なのだ。
「シーラ? なんでクリフ見るわけ?」
おっとんが話を始めようとして突如やめる。
「あ、ちょっと気になって」
「気になる!? ねえ、なんでそんな奴が気になるの!?」
「ファーガル、シーラの良い人を”そんな奴”なんてダメじゃない。息子になるかもしれないのよ?」
「僕は認めないからね! シーラと精霊が認めてもだめだからね!」
おっとんが座ったままで跳ねる。なんとも器用なものだ。
騎士として復帰しているならば足の痛みはもうとっくになくなっているのだろうが、それにしても元気すぎないか。
だがそれよりも気になるフレーズがあった。シーラが何を認めているのかは分からないが、精霊まで関係することならば主人として知っておくべきことな気がする。
「ねえ、おっとん。精霊が認めるって? 何を?」
「え? 僕に言わせる気?」
普段はおっとりと柔らかな表情をしているおっとんは、ブスッと子供の様に頬を膨らませる。
その膝をポンポンと軽くたたき、おっかあはシーラにキラッキラに輝く瞳をシーラに向けた。
「精霊に触ってたんでしょ? 親愛の証じゃない」
おっかんの言葉にカオドキと戯れていた手が止まる。キーがちょいちょいともっと遊べとリクエストしてくるのに応えて、手をぐるぐると前後に回すのを再開する。
ちょこまかと八の字に遊びまわるカオドキが可愛い。デレデレに溶けた顔のまま言われたことに対してやっと返事をした。
「でもさ、あたし、クリフさんの精霊を触ってないよ?」
前から言われていた。他人の精霊を勝手に触ってはいけないと。
また、”触っていいか”と聞かれてもすぐに許可を出すものではないと。
シーラだってちゃんと浄化士として成長している。それくらいの基本ルールは把握しているつもりだ。
「だったらさぁ!? なんで! ミューがクリストフに抱き着いてるわけ!?」
おっとんの声が響く。
しかしそれをシーラに言われてもどうしようもない。
ミューが勝手にやったことだ。
それをそのまま伝えれば、おっとんの細く整った眉が上がる。
手入れもしていないのにあの形はずるい。シーラの眉はほおっておけば野生化してどこまでも領土を広げようとするのに。気づいたら左右の領土が繋がって一つになっている時さえあるのに。
ふと、おっとんと同時にクリフも視界に入る。こちらから見えるのは顔の右側だがクリフの眉はどちらかといえばシーラよりだ。
ググッとおっとんの筆で力を入れて、気合を入れてとりゃっと引いた線みたいだ。
「シーラ、精霊は主人の心を映す。シーラがクリフを嫌っていればミューはクリフを攻撃するだろう。それでいいんだ。ミュー、クリフに噛みついてやれ!」
ピシッと伸ばした人差し指をシーラに、厳密にはシーラがもたれかかっているミューにむけるおっとん。なんて無礼な。
シーラが野性味あふれる眉を寄せると、おっかあがぺしりと指を叩き落とした。
「ま、とりあえずシーラがクリストフのことを少なからず悪くは思っていない。っていうか、抱き着くほど好きっていうのは分かったわね」
「は?」
──抱き着くほど好き。
──抱き着くほど……好き?
「……好き?」
ミューが、ではなく、シーラが。
抱き着くほど、好き。クリフのことが。
「はいいいいい!?」
シーラの叫びが、低いテントの天井を突き抜けて響き渡った。




