5-2. シーラの役目
ポタポタと赤いしずくが左人差し指から落ちる。
「あ」
「あー! シーラ! また!? またなの!?」
シーラが声を出す前に、横に誰かが立った。
ふわりと香るのは優しい花の香り。きっとまた花を買って生けていたのだろう。
「ちょっと、口に入れないの」
「んー、美味しくない」
「そりゃそうでしょう」
血の味と、さっきまで剥いていたジャガイモの皮の味がして、しかめ面でベッと舌を出す。
右手に持っていたナイフはいつの間にか取り上げられ、左手の人差し指をそっと清潔な布巾で拭かれた。
薄皮一枚だけの小さな切り傷。頭上から落ちてきた安堵のため息がシーラの前髪を揺らした。
「だいじょーぶ。怪我すんの、上手くなったっしょ」
「そういう問題じゃないの」
もっと前はざっくり深く切ってしまっていたのに、最近は爪の先っぽがちょっと削れたり、皮がベロリとはがれるくらいで済んでいる。
これは成長の証と言っていいんじゃない?
そう胸を張るシーラの頭に軽く握られた拳が当てられる。まったく痛くないけど、シーラはそっとその場所を押さえた。
「私がやるからいいって言ってるのに」
「だって、最近教会にも通いだして忙しいって。前に疲れたって言ってたじゃん? あたし、暇だし」
「教会に通うのはお仕事だから、疲れるのは仕方がないの。お母さんもお父さんもそうでしょ」
「そんだったら、やっぱりあたしが一番暇じゃん」
「シーラはやりたいことをやればいいの。友達と遊ばないの?」
「……いい」
ブスッと頬を膨らませて洗った手をぴっぴっと払うシーラ。
軽やかな笑い声が聞こえる。
「また喧嘩したの?」
「してないもん」
「したんだ?」
「してない、もん」
口を尖らせるシーラの頭の上に柔らかな重みが落ちる。
元気な小麦色のシーラの髪よりも、麦穂の様に煌めく淡い髪。
常に優しさがあふれる大きな瞳。
シーラの大好きな──
「グルゥウオオオオオ、オオオウ、ウオゥ、クゥウヲオオオ」
ゴリゴリゴリゴリ。
前に進もうとするシーラのお腹に頭をぶつけ、グリグリと動かすピンク色の熊。
デカイ熊の顔はシーラの腹というよりほぼ胸元。突き上げられるようなその動きに、シーラの視界がグワングワンと忙しなくぶれる。
「ドゥ! ドッゥ!」
「ヂヂヂヂヂヂ!」
パタパタパタパタパタ
カリカリカリカリ
さらには対抗するように後ろからシーラの体に乗り上げてくるミュー。
足元ではカオドキたちが広がったズボンの裾を引っかいてくる。
「ぐえっほ、おっふ、ぐお。やめ……やめえええええええええい!」
「グルゥ」
「ドゥ」
「ヂ」
セイセイセイッと掛け声とともにまとわりつく精霊たちを地面に転がし、ぼさぼさの髪の毛のままシーラは突き進む。
この野営地に着いて二日目。この状況からシーラを救い出してくれる人はいない。
一番頼りにしていたユーリカは、三体の大ミミズ──アレハンドロ、ベルナルド、フェデリコ──と一緒になって暴れまわっている。
最初はドン引きしていた聖女付きの騎士たちや側仕えの人たちも、一日経って多少地響きがしても気にしなくなった。
周囲の土地の浄化が進むのなら喜ばしいことだと思っているようだ。同感だが、なんとなく「それでいいのか!?」と思ってしまう。初日どころか、顔を合わせてすぐに慣れたシーラのことは忘れて置こう。
キャンディスも枯れはててしまったという周囲の水源の確認と、水がまだ残っている場所の確認及び浄化に忙しい。
ネイソフは……ネイソフだ。鉄壁のようなカミスキの守りを引きずり、もちゃもちゃと髪の毛を食まれながら、騎士たちの連れてきた馬が瘴気の影響を受けていないか見て回っている。
そして残されたシーラといえば、ここに来た最大の目的のため、今から活動を開始する。
「クルゥ」
「ドゥオ?」
「ヂー」
「はいはい。ゾールも、ミューも、カオドキも、今はちょっとどいて」
「キュィィィ」
「……ズーもね」
進もうとするシーラの周りに集まってくる精霊を蹴散ら……すことはできないので、何とか押しやり、シーラは目的地を目指す。
そう、シーラには重要な使命がある。この場所にユーリカ隊が呼ばれた目的を果たさねば。
「野菜、剥きにきましたー!」
「シーラ様、よろしくお願いいたします」
聖女隊付きの使用人頭がシーラに向けて頭を下げる。
ルヴァリー近郊に到着してひと騒動あった後、シーラの浄化の特性に関してユーリカを通して聖女や筆頭騎士に報告された。
強い嘔吐以外は副作用もなく、浄化した野菜の使用量によってその反動も抑えられることを伝えたら、今日から薄めのスープを作ることが決まった。
午後過ぎにはユーリカたちや護衛も戻ってくる。
そうしたら聖女隊所属の騎士たちにスープを振舞うという流れだ。
緊張するが、今まで通りシーラはピーラーの力を信じるだけだ。
心具を信頼して、自分の力を信じる。
そうすれば浄化の力を最大限に発揮できると自分に言い聞かせる。
「頑張るぞー」
「ドゥッフ」
足元でミューも体を揺らす。カオドキも野菜の皮を狙ってやる気満々の様子。
ここ最近馬車の中でのパーティーの頻度が多くなっているが、体に影響はないのか。
立ち止まり、シーラはじっと精霊たちを見つめる。
そして徐に彼らの前に腰を落とし、そっと前足を持ち上げた。
ぴょーんと縦長に伸びる体。もっふりとした毛の中に指を入れてみる。
指はどこまでも吸い込まれていく。ツンッと体に突き当たり、カリカリとくすぐれば「ヂィヂヂヂヂヂ」と笑い声が返ってきた。
最後にむぎゅむぎゅと奥にある本体を揉んで、そこに変化がないのを確かめる。
「特に太っとらんか?」
「ヂィ!」
肥満な精霊は見たことはないが、食べすぎもよろしくない気はする。
ただの取り越し苦労であれば良いが、と口をすぼめてムムッと真面目な顔を作る。
あと、シーラはあくまで健康体で肥満ではない。
それに旅の間は都市部と違って周囲に誘惑もないし、動き回っているおかげで心なしか腰回りがすっきりした気がする。
誰も何も言ってくれないけど、多分気のせいではないと思う。
それにしてもあれだけパーティーをぶち上げて全く変化がないとは、精霊とはなんと羨ましいボディを持っている。
「……太らんといてよ?」
「ヂ」
「シーラ様、こちらが今日の食材となります」
「あ、ありがとう!」
キーの両手を持ってぶんぶん揺らしていたシーラに後ろから声がかかり、シーラは顔を上げる。
幾つかの籠に積まれているのは綺麗に洗われた芋や瓜類。今日はニンジンはないらしい。
「火の通りをよくするだけなので、多少皮が残っていても大丈夫です」
「分かりました。じゃ、こっちで作業してますね」
「はい、よろしくお願いいたします」
使用人たちが働いている場所から数メートル離れた位置に設けられた作業テーブルで、シーラは早速野菜を手に取る。
これらの食料は別の村から購入して運搬されてきているのだとか。
一つの村から食料を調達しすぎれば彼らの生活に支障が出るため、商人に依頼して遠くからも運んできていると聞いた。
ミューのお腹近くにドスンと腰を下ろし、フスフスと野菜が入ったバケツの中に顔を突っ込んで匂いを嗅ぐカオドキを手でどける。
使用人たちからギョッと驚きの眼差しを向けられた。
何に驚いているのだろう。シーラが地面に腰を下ろしたことか、ネズミっぽい生物が食べ物の周りをうろついていることか、
はたまたミューの可愛さか。よし、ミューが可愛いということにしておこう。存分に驚いて良いよ。
表面がデコボコな芋を手に取り、左右の手を軽快に動かして皮をむく。
歪な形の皮はシーラの膝上に落ちる前に、ドーリが器用にキャッチした。
「持てる?」
「ヂッヂ!」
ニンジンの皮のように一本に長くない細切れの皮を咥え、ドーリは馬車のほうへと走り去る。
あの先には子精霊全員が集まっている。
旅の間、交代で外に出たり、夜には周囲を探検してまわったりしているみたいだけれど、窮屈な思いをしないか心配していたシーラの気など知らず自由なものだ。
元気でいてくれればそれでよいとも思う。
「んー、ピーラーはピーラーで、もっといっぱい浄化するにはどうすっぺ」
「ドゥ」
「表面を剥くのがピーラーじゃん? んで、浄化はもっと深くからでしょ? スープもいいけど、浄化士としてはやっぱり直接人を癒したいじゃん? ほら、ピーラーでヒーラーっぽいっしょ?」
「ドゥゥゥゥ」
「ヂ」
ポロポロと落ちる皮を今度はオーアが数枚まとめて持って行った。
交代で馬車から戻ってきた緑色リボンは……ドーリ隊の一匹だ。ドーリ隊長ではない。
ニヤリと笑っているように後ろ足で立ち上がって前足を上げるドーリもどき。シーラは指先をちょんちょんとその頭に当てて「分かってるぞ」と伝える。
フーンフーンととりとめもなくでたらめな歌を口ずさみつつ、皮剥き作業を続ける。
足元をチョロチョロとカオドキ時折モドキが走り回り、もらったクズ入れは空っぽなまま。
数時間移動した先にルヴァリーがあることを除けば、流れる時間は穏やかで心地よい。
「だーからー、こう、もっとシュバババっと、ピーラーで浄化をするのはどうするかな? 芽をえぐるみたいにしてもあかんよね? あかんかな? あかんだろうなぁ」
独り言と鼻歌を交互に交えながらシーラは野菜の山を踏破する。
今日の作業はシーラの実力を見るためのものなので、量は少ない。あっという間に終わってしまった。
さて、これを運ぶ人を呼ばなくては。シーラが勝手に運んだら使用人が恐縮してしまう。
ちょっとめんどくさいけど、野菜の下処理と言う使用人の仕事をすでに取ってしまっている自覚はあるため、あまり勝手に動き回らないようにしなくては。
そう思って周囲に顔を巡らせると、存在感たっぷりな全身鎧と目が──いや、目は見えないのでなんとなくだが──合った。
銀ギラ全身鎧はほんの一瞬足を止めた後、シーラの元へ鎧の重さを全く感じさせない足取りでやってきた。
シーラは手に持っていたピーラーをその場に置き、ピンっと勢いよく立ち上がった。




