4-2. 温かいスープはいかが?
ピーラーをでこぼこしたジャガイモの表面に押し当てる。
左手はくるくると軽快にジャガイモを回し、右手はピーラーを上下に滑らせる。
刃の間からジャガイモの皮がするりと抜けて、足元に置いたバケツに落ちる……前に赤いリボンを巻いた白ネズミが奪い去っていった。
「おー、早い」
薄い皮をピロピロとなびかせて、ネズミはそのまま馬車の中へと消えていく。
さっきから交代で何匹か出たり入ったりしているのが見えている。
はたから見れば区別がつかないが、出てくるたびに違う子なのはシーラにはお見通しだ。分からなければ主人と言えないだろう。
ムフッとミューのように鼻息を飛ばし、心の中で誰にともなく胸を張る。
今頃は馬車の中でパーティーでも開いているかもしれない。ごみを残さないように後で注意しておかなくては。
「とても器用ね」
「ありがと。んでも、普通のナイフだったら皮をむくたびに指切り落としてる」
「あら、そんなに違うの?」
「そう、そんなに違うの」
興味津々でシーラの手元を覗き込んでいたキャンディスは驚きの声を上げる。
ピーラーがすごいのであって、シーラは皮むきが上手いわけではないのだ。
フンフンっと鼻歌を奏でながら作業を続ける。
ジャガイモもニンジンもつるつるなお肌で輝いている。
蒸して食べるだけなら皮むきはいらないが、スープに入れるには皮がないほうが口当たりが良い。
使用人の人数が限られている巡業中は手間を省くのは仕方がないこと。
逆に、それだからシーラが手を出せる状況だとも言える。
全ての野菜を剥き終わり、膝にかけていた手拭いでいい加減に両手を拭いてシーラは立ち上がる。
「じゃ、これ、あっちに持ってく」
「呼んで取りに来てもらった方がいいんじゃない?」
「えー? 呼びに行ってまた戻るのめんどい」
「仕方がないわね」
「行ってらー」
のんびりとしたユーリカとキャンディスに見送られ、シーラは剥き終わった野菜が入ったバケツとほぼ空っぽの剥いた屑が入ったバケツを持って歩き出す。
馬車の日陰では、ミューとカオドキたちが後ろ足で立ち、一心不乱に野菜の皮を齧っている。
「……可愛いけど、ちょっと怖い」
食べなくても生きていける精霊とはいえ、好物はある。
大抵は精霊たちの主が心具を使って作り出した物を好む。
心具をピーラーとしてしばらく使っていなかったのだから、ミューたちにとっては久しぶりのおやつか。
小さな手でがっちりと皮を握りしめ、大きな目は虚空を見つめ、口はせわしなく動き続けている。
集中すると変顔になるシーラが言えた義理ではないが、そんな顔しなくても良いのではないか。
「浄化士様!」
「あ、野菜剥き終わったので一」
「ありがとうございます! お手を煩わせて申し訳ありません!」
「いいのいいの。うちの子たちも喜んでるし。また剥かせてくれると嬉しいな」
「そうですか。それではまたよろしくお願いします」
「うん。こっちこそありがとう。それじゃお仕事邪魔しちゃいけないから行くね」
ミューたちを見て一瞬ぎょっとした男性は、シーラの手からバケツ二つを受け取り深々と頭を下げる。
シーラも大切な思い出の詰まったピーラーを使って皮むきができたし、ミューたちもおやつが食べれて嬉しいし、美味しい食事のお手伝いにもなるし、全方位ハッピーだ。
そんな感じでシーラが浮かれていた中、事件は起こった。
スープの調理をしていた女性が突然苦しみだした。
何度も激しい咳をし、体を激しく痙攣させる。
彼女が落としたお玉がガシャンッと地面で跳ねた。
両手を喉元にあて、何か喉に詰まったものを吐き出すかのように大きく口を開け、舌を長く伸ばす。
「ぐえぇっほ、ぐえええっ、げえっ」
数秒、何が起こったのかと棒立ちになった使用人たちが、女性の体を支えた。
旅の一行全員の目が緊張感と共に見つめる中、それが彼女の口から飛び出た。
「げえっほ、ぐえええっ、ごぼっ」
──ビチャツ、ジュワッ!
女性の口からドロリと黒いものが零れ落ち、地面に叩きつけられた瞬間、蒸発して消え去る。
「は!?」
「あら?」
「……おい」
「へっ!?」
ガタリと音を立てて立ち上がる四人。
目撃した光景に両目を見開く。
即座に動いたのは隊長のユーリカ。慌てて三人もその後に続く。
四人がその女性の元にたどり着くころには、女性は咳き込むのをやめ、喉のあたりを押さえて不思議そうな顔をしていた。
そして強張った顔で近づく四人の浄化士に気付いて慌てて頭を下げる。
周囲の人たちも同様にしようとして、ユーリカがそれを止めた。
「気にするな。それより彼女を椅子に座らせよう」
ユーリカの言葉に、周囲が慌ただしく動き出す。
女性だけを座らせて浄化士を立たせておくことはできなかったのか、すぐに五脚の椅子がその場に集められた。
緊張感の漂う空気の中に、あと少しで仕上がる料理の匂いが漂い、シーラは突然自己主張を始めたお腹をそっと押さえる。
「それで、今の気分は?」
ユーリカが尋ねると、女性は恐縮して肩をすぼめさせつつ答えた。
「お騒がせして申し訳ありません。今は全く問題ありません」
「そうか。どこか痛むところなどは?」
その問いに、女性は胸元を押さえて首を傾げる。
「あの、ずっと胸にあった痛みが消えています」
「痛みが酷いわけではなく、消えた?」
「はい。深く息をすると胸が痛んだり咳が出たりしていたのが、無いように思えます」
「なるほど」
ユーリカは椅子に座ったまま両ひざの上に肘を立て、顎を組んだ手の上に乗せて考え込む。
女性は居心地悪そうに少し体を揺らした。
火にかけられたままの鍋からぐつぐつと美味しそうな匂いが漂ってくる。
シーラはひくひくと鼻を動かし、ふと聞きたいことができて遠慮がちに手を上げた。
「あの、咳き込む直前は、料理してた?」
「ええ、スープの確認をしていました」
「スープの……」
そういえばお玉を地面に落としていたなと視線を巡らせるが、すでに誰かが回収したのかそこにはない。
スープはいい匂いだ。ああ、早く食べたい。燃料ももったいない。
そう、決してお腹が空いているわけでは……まあ、空いているのだが。
「味は? 何か変な味はしたか?」
「いえ、問題は無かったように思います」
「そうか」
頷き、ユーリカは鍋へと厳しい視線を向ける。
そんな突き刺すような目で見たら鍋が可哀そうだ。
ほら、照れたように湯気を上げてカタカタ揺れている。
シーラのさまよいつつある思考など知る由もないユーリカはサッと立ち上がり、湯気と共に食欲をそそる香りを振りまいているスープの前に立った。
「何もないように見える、が……」
そして突如、そばに置いてあったスプーンに手を伸ばした。
それを慌てて護衛が止める。
「浄化士様!? おやめください! もし毒が入っていたら!」
「毒?」
護衛兵士の声に、ざわついていた空気が凍る。
誰もが目を合わせないように、動かないように、疑われないように──そんな見えない感情が凍った場を染める。
「毒……ではないかもしれない。どちらかと言えば、浄化されたような」
ユーリカは鍋を上から覗き込む。
教会にいる彼女の姿だったら、土がばらばらとスープに降り注いでいただろう。
とんでもないスパイスだ。だが今の彼女は浄化士のリーダーにふさわしい装い。
その姿で彼女は考えを告げる。
「徐々に体に取り入れて溜まって彼女を蝕んでいた瘴気が、一気に浄化されたと私は考える。あの時の瘴気の出方は私にはそう見えた」
「しかし、浄化士様がそれを確認する必要は無いはず。おい、そこの」
兵士が使用人の中の一人を呼びつける。
目が合って体を震わせたのは四十代ほどの男性。
彼は顔を蒼白にして目をさまよわせた後、唇を引き結んで一歩一歩前に進み出た。
「浄化士様は毒ではないと言っているから安心しろ。一口だけでいいからスープを飲め」
「は、はい……」
別の使用人が小皿にほんの僅かなスープを注ぐ。
それを両手で恭しく受け取り、男性は目をつぶってぐいっと煽った。
全員が固唾をのんで見守る中、男性の喉が動いてスープを飲みこむ。
ゴクリという、普段なら聞こえもしない音が聞こえた気がした。
一秒、二秒、三秒──何も起こらない。
ユーリカは顎に手を当てて男性の様子を見守る。
目に見えて瘴気が体から出て来ているわけでもない。
ただ少し何かが揺らいだ気がした。
「そこの、彼女」
「はい!」
「味見はスープだけだったか?」
「あ……いえ、火の通りを見るために野菜をいくつか」
「食べた?」
「はい」
女性が頷く。
ユーリカの眼差しが鍋のそばに立つ二人の使用人に向けられた。
使用人はいくつかの野菜をスープから取り出し、小皿に乗せる。
シーラのいる場所からでもそれが見えた。
ジャガイモ、ニンジン、名前の知らない根菜。
心臓がどくりと跳ねた。
まさかという思い。
いや、そんなはずはないだろうという願い。
シーラが戸惑っている間にも、小皿は使用人の手から男性の手に渡る。
野菜を取るための木串を受け取り、男性は最初にジャガイモにそれを突き刺した。
「あ」
小さな声がシーラの口から洩れる。
それはユーリカの元に届いていないはずなのに、彼女は一瞬だけシーラに視線を向けてすぐに男性へと戻す。
──なんか知んないけど、やばい気がする!
シーラの背中にたらりと汗が伝う。
男性の口が開き、火が通ってホカホカのジャガイモが吸い込まれていく。
二、三度、男性はジャガイモを噛み、そしてそれを飲み下した。
同時にシーラの喉もゴクリと動く。
一秒、二秒、三秒──先ほどと同じように時間が流れる。
何も、起きない?
シーラが体の力を抜いたその時、男性が小さく咳をした。
「けほっ、こほっ」
シーラはぎくりと体を凍らせた。




