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ピーラーでヒーラーやってます。  作者: BPUG
第一章 シーラはヒーラーである。
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1-4. 瘴気堕ちの精霊




 ビクリとシーラの体が震える。


「瘴気、堕ち?」

「ああ、そうだ」


 震えるシーラの声に、おっちゃんは真剣な声で答える。

 麦わら帽子でできた影の下で、鋭いまなざしが光った。


「シーラ、行け」


 もう一度、おっちゃんがシーラを促した。


 よたよたと、シーラは立ち上がる。

 地面に手を当て、ふらりとふらつき体を起こす。そして一歩、二歩と前へ踏み出した。


「チ「ヂ「ヂ「ヂヂ!!」」」」


 不協和音のように重なるネズミたちの鳴き声。

 全速力で駆け出したシーラの足元を追いかけるように、そして追い越すようにネズミも走る。

 もっと心に余裕があれば、可愛らしいと思えたかもしれない。

 だが、今の状況ではその鳴き声は危険を知らせる警告のようにも聞こえる。


 忘れていた。


 同じ精霊が一か所に複数体現れる時、それはその精霊の上位の存在が近くにいるということ。

 つまりはこの精霊たちの親に当たる精霊がいるのだ。そしてその精霊こそがシーラの精霊だ。


 では、なぜその精霊自身がシーラの元に姿を現さないのか?


「瘴気堕ち……」


 瘴気に侵されて動けなくなっていたネズミたち。

 それは親となる精霊も、どこかで瘴気に侵されてしまっているということに他ならない。

 小さな精霊たちであれば、シーラでも浄化できた。

 しかしこの子たちの親である精霊が高位の精霊で、もしシーラでも癒せなければ──


 ぞくりと背筋に冷たいものが走る。


 必死に手足を動かし、前に進んでいるのに、指先から凍っていくような感覚。

 吹き出る汗が一瞬で冷えていく。


 瘴気に体の奥深くまで汚され、浄化が間に合わなかった精霊の末路を一度だけ見たことがある。

 一般の人の目には見えないはずの瘴気が、真っ黒いヘドロの塊になってあふれ出ていた。

 それは森を焼き、草花を焼き、土地を焼き、人すらも焼いた。

 炎が上がるわけでもない。ただ地面を這うそれは、ぐじぐじと煙を上げ、触れたありとあらゆるものを溶かしていった。


 喉奥がぐっと狭まる。


 シーラは口を開け、新鮮な空気を肺に送るために何度も荒い呼吸を繰り返す。


「ヂヂヂヂ!」

「ヂゥイ!」


 ネズミたちがシーラの足元で高い声を上げる。

 シーラは顔を上げ、見え始めた自分の家に向けて足を動かす速度を上げる。

 ほんのわずかでも気を抜けば、足がもつれて転んでしまいそうだ。だがまだまだシーラにはすることがある。


 瘴気堕ちになっているのがシーラの精霊であれば、助けられるのはシーラしかいない。

 ここから最寄りの教会に救助を求めても、瘴気堕ちを浄化できるほどの強力なヒーラーがすぐに来れるはずもない。

 今は、シーラだけなのだ。

 シーラが失敗すれば、この村は消えてなくなってしまう。

 すべてを瘴気に侵され、何十年も人が住めない場所になってしまう。


 幼いころ、シーラはそんな土地を見た。自分たちは──シーラとおっとんは、そんな場所から逃げてきたのだ。


「おっとん!」


 玄関のドアを勢いよく開け、シーラは中に転がり込む。

 家の奥の部屋から、ガシャンと何かを落とす音が聞こえた。おっとんが()()物を落としたのだ。

 今回はシーラが悪い。でも謝っている暇すらない。


「瘴気堕ちが出た! あたしの精霊が!」


 たったそれだけで、おっとんは動いた。

 開け放たれた居間の窓から、おっとんの精霊である鮮やかな鳥が目にも止まらぬ速さで飛び立った。

 空に舞い上がった鳥はぐるりと一度大きく円を描き、次に村中に響く声で警告を発した。


『瘴気堕ち発生! 瘴気堕ち発生! 速やかに精霊を守れ!

 瘴気堕ち発生! 瘴気堕ち発生! 速やかに精霊を守れ!

 外にいる者は即刻屋内に避難せよ! 屋内に避難を!』


 シーラは空から響くおっとんの声に安堵し、その場にがくりと膝をつく。

 だがまだこれから先がある。でもひとまず大事な村の人たちに危険を知らせることができた。

 それだけで涙が目の端から一筋こぼれ落ちた。


「シーラ」


 コツンと杖を突く音がして、奥の部屋の扉が開く。

 シーラが顔を上げれば、普段笑みを絶やさないおっとんがこわばった顔で部屋から出てくるところだった。


「あたしの、精霊だって。瘴気で動けなくなったところを癒したの」

「チヂヂヂ」

「ヂュ!」

「ヂュイ!」

「ヂィ!」


 しゃがみこんだシーラの周りを白いネズミが駆け回る。

 その様子に目を細め、おっとんは小さく頷いた。

 コツコツと杖を突き、不自由な右足を引きずってシーラの元へとたどり着いたおっとん。

 シーラはぎゅっと目元を拭い、鼻をすすってその場に立ち上がった。

 おっとんはシーラと目が合うとふわりと表情を崩した。


「よく頑張った。馬を出そう。まだ、行けるな?」


 ぼんぼんっとおっとんが絵の具の匂いのする手でシーラの頭を撫でる。

 普段なら絵の具が付くだなんて笑って逃げるところだ。だが、シーラはおっとんと同じように力の抜けた笑みを浮かべた。


「ん、行ける」

「よし。支度を頼む。僕はズーをしばらく飛ばしてから行くから」

「分かった」


 おっとんの精霊のズーは今も村の中を隅々まで飛び回っている。

 畑から山まで、昼の時間で外に出ている村人は多い。誰も犠牲にならないように声を遠くまで届けなくてはならない。もし誰かが瘴気堕ちの精霊と出会ってしまったら──考えるだけで胃から酸っぱい液が込み上げてくる。

 シーラは玄関から飛び出し、家の裏に回る。

 そこにいるのは、足の悪いおっとんが村の中を移動するために飼っている駄馬。

 荷台をつけたとしても、二人が歩くよりもはるかに速く歩いてくれる。


「出番だよ、ロー」


 軽く声をかけ、手早く馬具を取り付けて荷車につなぐ。ネズミの精霊たちはシーラが何も言わずとも荷台に素早く乗り込んだ。

 シーラは馬の轡を引っ張って厩から外へと誘導する。馬のローが動き始め、がらがらと荷車が煩い音を立てた。

 厩から家の正面の道にでれば、おっとんが丁度玄関から出てきた。


「おっとん。前、乗って」

「ああ、ありがとう」


 おっとんの杖を受け取り、荷車の一番前に座るように促す。

 手綱を握った彼の横に杖を置き、シーナも荷台へと素早く乗り込んだ。


「ネズミたちはあっちの畑で見つけた」

「分かった」


 荷台からおっとんの横に身を乗り出し、シーラは奥の畑を指さす。

 瘴気堕ちの精霊を探すにも、やみくもに動いては見つからない。

 まずはシーラが最初に精霊たちに会ったおっちゃんの畑を目指す。そこから精霊の力を借りて親を探すのだ。


 最初に癒した精霊も、自分が癒えたらすぐに同じように動けなくなっている仲間を探しに走った。

 きっと自分の親の場所もわかるだろう。


「キィィィィィイ!」

「ズー! こっちへ!」


 おっとんの精霊が戻ってきて、おっとんの隣に舞い降りる。

 パタパタと忙しなく揺れる鮮やかな羽を、おっとんが指先で丁寧に撫でて労った。


「よく頑張った。ありがとう、ありがとうな」

「ズー、あたしからもありがとう。これでみんなが逃げれて安心だ」


 口々に礼を言えば、キラキラと鮮やかな虹色の尾羽が誇らしげに揺れる。

 欲を言えばズーが空から瘴気堕ちを見つけてくれれば嬉しい。だがズーの力は言葉の伝達だけで、見たものを共有することはできない。

 それは元々おっとんの心具が絵筆で、おっとんが描いた、もしくは書いたものを届ける力を増幅しているからだろう。


 ついさっきシーラが通った道を駄馬が遅くも早くもない速度で進む。

 焦る気持ちを抑え、周囲に目を配って異変がないか、残っている人はいないか、確かめることも忘れない。


「ヂヂ!」

「あと少しでさっきの畑だよ」

「ヂュ!」


 四匹のネズミがパタパタと荷台を駆け回る。緑の尻尾が揺れ、一見楽しそうにも見える。

 入れ替わり立ち替わり、荷台の端に前足をかけ、鼻をひくひくさせる。もしかしたら親の精霊を探しているのかもしれない。


 精霊と仲良くなれば、彼らが何を望んでいるのかくらいは分かるようになるらしい。

 ネズミたちの感情はまだ伝わってこないが、シーラは彼らの一挙一動を観察して変化を伺っていた。


「ヂィー!」


 一匹のネズミがひと際高い声を響かせた。

 丁度おっちゃんのニンジンが抜かれてさみしくなった畑に差し掛かったところだ。


「ここで見つけたのか?」

「うん。野菜が瘴気で汚染されてた」

「そうか」


 おっとんは周囲を見回して、すぐに迷いなく一番近い森の方向へと馬首を向けた。


「やっぱり、森?」


 おっとんの後ろからシーラは問いかける。

 躊躇なく行き先を選んだおっとん。

 精霊がどこにいるのかを把握しているかのようだ。

 おっとんは肩越しにシーラを振り返って、いつもどおりの柔らかく力の抜けた笑顔を浮かべる。

 ほど良く焼けたパンのようなこげ茶色の瞳が細まった。


「シーラはさ、お腹痛いとベッドにこもるでしょう?」

「え、うん」


 突然のおっとんの言葉に首を傾げながらシーラは頷く。

 おっとんはそれに頷き返して、視線を畑の先に見える森へと向けた。


「精霊はね、豊かな自然の中、森の中で生まれる。だから瘴気に侵されて苦しくなると、自分が一番安心するところに逃げるんだ。シーラが温かなベッドの中にこもるように、精霊も森の中で早く良くなりますようにってぎゅって縮こまって待つんだよ」


 おっとんがそう告げた瞬間、森から何十羽もの鳥が飛び立った。

 昼の鋭い太陽の光を鳥の群れが遮り、次々と黒い影を落とす。

 シーラはびくりと体を震わせる。おっとんは手綱を握ったままそれを冷静に見上げ、不思議なほどにいつもと変わらぬように呟いた。



「ああ、やっぱり、森にいるね」





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