3-9. 新しく始まる
ユーリカはシーラの手の中にいる真っ白に戻った子精霊をじっと見て、深く長い息を吐き出した。
「そうだな。浄化は完璧だ。偉いぞ」
ユーリカに褒められ、シーラは笑顔を深める。
だがその後に続いた彼女の言葉に眉をひそめた。
「でも今日の浄化はそこまでだ」
シーラの周りに集まった残りの三匹を見回し、ユーリカは複雑な笑顔を浮かべる。
「まだほかに患者がいる。それに、今まで重症患者への浄化に積極的じゃなかった私たちの隊が浄化を一気にすると、まあ、あんまりよくない事態が起こりそうだ」
「あー、はい。えっと、はい。分かりました」
ユーリカの言いたいことを察し、シーラは手の中の子精霊を床に降ろしてその場にとどまるように告げる。
それから残りの三匹の浄化を終わらせ、よっこらせっと立ち上がった。
「んっと、他の人たちも徐々に浄化していくのがいい?」
「そうだな。悪いな、シーラ」
「ううん。あたしだって、変に注目されたくないし」
教会内の組織のことは詳しく知らない。でもここでシーラが目立ちすぎるのをユーリカは歓迎しないのだろう。
シーラも子精霊が二十体いることを隠している身なので、止めてくれて良かったと思う。
今後も浄化院に足を運ぶ機会はある。もし何だったら子精霊たちに浄化院に積極的に通うように頼んでもいい。
幸いというべきか、精霊たちが浄化院に入り込む隙間はたくさんありそうだ。本当に、ありすぎるほどに。
「ん、じゃ、次の患者さんでも同じようにすればいい?」
「ああ。でももしシーラの負担になるんだったらほどほどでいい」
「これくらいなら問題ないよ」
「シーラちゃん、無理しないでね」
「ありがと、キャンちゃん」
先輩たちの優しい言葉にシーラはもっちりした顔を綻ばせる。
自然と視線は何も言葉を発していないネストルに向くが、彼はどこかのお偉い様のように腕を組んで一度頷いただけだった。残念な人に期待したのが馬鹿だったようだ。
シーラが残りの三匹の浄化を終わらせると、ユーリカは女性へと視線を向け、手で地を撫でるように動かし胸に当てる。
キャンディスとネストル、シーラも同様に挨拶をした。
女性は最後まで浄化士たちと視線を合わせることなく、声を上げ、ゆらゆらと揺れていた。
その姿を見て、シーラはそっと目を伏せた。
その後、重症患者の部屋をすべて回り、シーラは四匹の子精霊に一度ずつ浄化をしてもらう。
最後に訪れた病室では、患者に少し近づいただけで子精霊たちは一気に黒く染まり、危うくまたタロ芋化するところだった。
それを見たユーリカは患者が危険な状況に陥っているというのを察し、強行で患者を押さえて浄化を施した。
ボロボロな姿になって部屋から出てきた四人に案内役の浄化士は驚いていた。
治癒士の治療を受けることを勧められたが、四人はそこまでではないと断って治療院を後にした。
「あー、いててて。せっかく綺麗に整えてたのに」
「ネストルよりもシーラちゃんのほうが力が強かったわね」
「筋肉だけじゃなくって体重かけるのがコツだから」
「……それは負ける」
ぽつりとこぼされたネストルの呟きにシーラはキッと鋭いまなざしを向ける。
石造りの治療院を出て、外の庭が見える渡り廊下に四人は出ると自然とふっと息が漏れた。
相変わらずしとしとと降り注ぐ雨。空気に混ざった土と水の匂いが肺を満たす。
「土が潤ったな」
「池に新しい水が流れ込んでそうだわ」
「カミスキを走らせないと」
「早く畑に出たいな」
それぞれ、外を眺めて呟く。人を直接浄化するのは浄化士として当然の役目だ。
シーラがまだヒーラーだと思っていた時、ばしばし瘴気で苦しんでいる人を癒したいと思っていた。
今もその願いはある。でもずっと向き合っていられるほど自分は強くはないのかもしれない。
「治療院付きの浄化士さんはすごい」
ため息とともに吐き出すと、キャンディスが目を柔らかく細める。
「でも、シーラにも院勤めになれる資質はあるわね」
「渡さないぞ。シーラはうちの隊員だからな」
「ユーリカ隊が合ってるので」
キリッとした顔で答える。まだ三か月ほどだがユーリカ隊はとても心地よい。
研修させてもらったアーゲル隊も良いところだった。指導してくれた先輩のルクマンも。
でも新人のシーラが言うことではないが、選べるんだったらユーリカ隊が良い。
伸びやかで自然体なこの場所が良い。
「さ、これでシーラも浄化士の仕事はほとんど覚えたな。巡業に出たら土地の浄化に加えて、少しずつ食べ物から体に取り入れてしまった瘴気を浄化する役目もある。軽症の患者よりももっと症状が軽いから、問題ないだろう」
「瘴気のせいじゃなくて、年齢のせいで動けない方たちの浄化には一軒ずつ回るのよ」
シーラは村を訪れた浄化士たちもそうしていたことを思い出す。時に暇なご老人の話し相手にさせられていた浄化士もいた。
そういえば、たいていは偉そうな浄化士は村の中心から動かず、各家を回るのは若手だった気もする。
「任せといて。じっちゃんばっちゃんと話すの、あたし、大得意だから」
「頼もしいわね」
体力もあるし、家を回るのは問題ないと胸を張るシーラに、三人はそれぞれ頷いたり微笑んだりしてみせる。
キャンディスの話ではネストルは女性に大人気、キャンディスは男性に大人気。
ユーリカは精霊の姿のせいで子供たちにギャン泣きされるのが常で、母親連中に無理矢理突進していくのだとか。
カオスな状況が予想されるが、同行する教会の騎士や役人のおかげで混乱はないという。
シーラは初めてなので、列からあぶれた人たちや各家で待っているご老人たちをのんびりと浄化していけばよさそうだ。
「雨が上がったら、畑を確認して、その後は巡業だ。忙しくなるぞ」
「旅も楽しいわよ」
「ね、ネストルはなんでそんなに嫌そうな顔してるん?」
執務室へ戻る途中で、早くも髪の毛を崩し始めたネストルをちらりと見てシーラは尋ねる。
ボサボサになった髪のおかげで、多少素のネストルが混じったが、まだまだだ。こう、残念臭が出きっていない感じがする。
「……カミスキが不機嫌になる」
「あーっと、浄化で他の人に近づくから?」
「そう。頭齧られるし、髪の毛齧られるし、終始べったりになる」
ネストルの返しに、シーラは頷きかけて首を傾げる。
「それはいつもじゃん?」
「いつもより激しくなる」
「あれ以上?」
「あれ以上」
彼の精霊カミスキの日頃の激しい愛情表現を思い浮かべ、シーラはスンっと表情を消す。
あれだけ毎日ネストルをべったべたに唾液まみれにしているのに、さらに激しくなるとは。どこまでも嫉妬深い精霊だ。
「あー、頑張れ?」
「心こもってねえ」
「こもってるこもってる。たっぷり」
シーラの返しに、ユーリカとキャンディスが小さく声を上げて笑う。ネストルもフンっと鼻息を飛ばしてボタンを数個開けて息を吐いた。
きっちりした浄化士の正装を着て背筋を伸ばすと、一人前の浄化士としての自覚をシーラにもたらした。でも少しばかり息苦しい気もある。
教会の外では浄化士として常に気を張っていなくてはいけない場面ばかりだろう。
そうだとしても、シーラはこの狭い場所を出て、人々に直接会い、大地を浄化する巡業の旅へ期待を高めていた。
クリストフは日々の鍛錬のため、練習場に足を踏み入れ、普段と違った雰囲気に兜の奥で眉を寄せる。
互いに顔を突き合わせ、浮足立った雰囲気の騎士たちや兵士たち。
クリストフが入ってきた時、期待していた人物ではなかったと落胆した空気が漂った。
自分の精霊であるロッソを壁際の待機場所に誘導し、クリストフは訓練用の剣が並ぶ場所へと足を進める。
剣が打ち合わさる甲高い音の合間に、休憩中の兵士たちが兜を脱いで話をする声が聞こえてきた。
「……聖じ………巡礼…………」
「元……騎士? 怪我…………?」
「……精持ちの……」
話の内容が聖女に関わることだと想像ができ、クリストフは少し前に聖女からそれとなく聞かされていたことを思い出す。
巡業への出発が近づき、そろそろ言い出すだろうと予想はしていたが、それが今日だったのだろう。
二年前、シーラの精霊が瘴気堕ち寸前に陥ってから進められていた計画が、ついに実行されただけのこと。
クリストフは兜の奥で唇をゆがめる。
それから数時間後、ほぼ全員の騎士が集まる場に入ってきた一行に、騎士たちは訓練の手を止めてその場で礼を取る。
先頭にはこの教会支部の頂点である司教、そして実質のトップである聖女、そして――浄化士の装いをした男性。
礼を取って頭を下げている騎士たちの中で、この男性のことを知る者たちはわずかに体をこわばらせた。今頃、こう思っているだろう――悪夢の再来だ、と。
「楽にして良い」
司教の言葉にその場にいる者たちは体をまっすぐに起こし、正面に並ぶ三人に向き直る。
視線は司教を見ているが、意識は皆、見慣れぬ三人目の人物に集中している。
「近々控えている聖女の巡業に、この度、以前中央教会で聖騎士として仕えていた浄化士が随行することが決まった。怪我によりしばらく任務からは離れていたが、復帰して聖女クウィーヴァ付きの騎士として行動することになる。――ファーガル、良ければ君からも挨拶を」
名を呼ばれ、ファーガルは右手を上にあげ、続けてその手を自分の左肩付近に当てる。
騎士に向けた挨拶。一斉に、その場にいた騎士も同様の礼を取る。ガシャンっと金属の鎧が同時に音を立てた。
それを満足げに見まわした後、彼はおもむろに左腕を肩の高さまで上げた。
聖女の精霊であるピンクの熊の背に乗った七色の鳥が両翼を広げ、その上に降り立つ。
そしてくちばしを広げて奇怪な声で告げた。
『騎士ファーガル、この度怪我より復帰。聖女直属となる』
ザワリと空気が動く。
彼を知っている者は相変わらずだという笑いを浮かべ、初めて知る者たちは顔をしかめる。
その時、相変わらずのタイトなパンツとシャツ姿の聖女が自分の精霊の背を撫でながら告げた。
「ファーガルは現在騎乗型の精霊を有していないため、厳密には騎士の資格を満たしていない。しかし私の精霊との意思疎通が可能であることと、普段は馬での移動が許可されたため騎士として復職することとなった。ここにいる以前の彼を知る者も、懐かしくて涙が出るほどだろう。巡業までに旧交を温めるがいい」
口の端をわずかに上げ、聖女が心底楽しそうに笑う。
どこかと言えば嘲笑、あるいは獰猛な笑み。
騎士の中で年齢が高い者たちは背に氷を当てられたようにブルリと体を震わせた。
十年以上も前、厳密には十三年前にファーガルが現場から退くまで鍛えられていた者たちだ。
『しばらくは剣技のさび落としに付き合ってもらう。お手柔らかに頼む』
鎧を着こんでいないファーガルはほっそりとしていて、顔つきも穏やかだ。
自分の精霊に代わりに喋らせるという奇妙な点はあるが、ずば抜けた力を持っているようには見えない。
だがすぐにすべての者は知るだろう。
かつて、聖人候補の女性を手にするため、迫る騎士を全て叩き伏せた聖騎士のことを。
前例のない、二体の異なる精霊に愛された存在。
彼自身を聖人の座につかせようとした動きもあった。
しかしそれらすべての嘆願を一笑に付し、権力と立場を投げ捨てて聖女と逃亡した男――二精持ちの寵児ファーガル。
ふうっとクリストフは息を吐く。その音が聞こえたとは思えないが、ファーガルの視線がクリストフに向き、ゆったりと目が細められた。
獰猛な猛禽類に狙いをつけられたかのように、クリストフの体が固まる。
聖女が巡業に出るまで、そして出てからの日々も心身ともに疲れそうだと覚悟を決めた。
その夜、シーラからの定期便で正式な浄化士の衣装を着た喜びに満ちた手紙を受け取る。
「……君の主の両親のこと、いつか言うべきなのか?」
「ヂィ?」
クリストフからもらったお駄賃のドライフルーツを小さな両手で持って頬張っていたオーアは首を傾げる。
その背を柔らかく指先で撫でながら、クリストフは盛大なため息を吐いた。
間もなく、巡業の旅が始まる。
新人浄化士シーラと、代理聖女クウィーヴァと、復帰した騎士ファーガル。
教会の中でこの一家がそろったことを知っている者は、クウィーヴァとファーガルを除けばクリストフのみ。
「しばらく会えなくなるが、元気でいろよ」
「ヂ!」
トントンっと指先で子ネズミの頭をつついてクリストフは微笑む。
オーアの大きな耳が左右にべしょっと広がり、鼻を上げてひくひくと動く。
クリストフはふっと息を吐き出してもう一度笑った。
間もなく、巡業の旅が始まる。
今年の巡業はいつも通りにはいかなさそうだと、クリストフは指先でぐりぐりとオーアのお腹をくすぐりながらオーアと同時に目をゆったりと細めた。
チンチラのモフモフを堪能中のクリフさん。でもちょっと苦労性。
おっとんとおっかあの話はまた後日!
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読んでくださる皆さんのおかげです。ありがとうございます。
色々忙しく動き回っていますが、「ヒーラーでピーラー」もゆっくりと進めていきます。引き続き応援よろしくお願いいたします。




