3-8. 浄化士の限界
廊下の奥から響く大声に、シーラは止まりそうになる足を前に踏み出す。
広い石造りの建物は、ほんのわずかな音さえも拾い、どこまでも高く大きく反響させる。
穴倉の先にいる得体の知れない獣のような咆哮。
これは確かに怖い。
でも田舎では獣の奇声は、発情の季節では良くある。
言い過ぎた。良くはないかもしれない。
しかし常に家畜の声や、野生の獣の声があふれている。
秋のキツネの叫びなど一度聞いてみたら分かる。あれは心臓がぎゅっとする。
田舎に移り住んですぐのころは、不気味な音であふれかえる夜が恐ろしいと思ったものだ。
粛々と廊下を進む一団の最後尾につき、シーラは唇をぐっと引き結ぶ。
その時、ふと何か動く白い物体が視界に入った気がしてシーラはそれを目で追った。
途端、口から出そうになった叫びを慌てて咳をするふりで押しとどめた。
「ぐっ」
止まりそうになった足を叱咤して前に進める。
廊下の石のつなぎ目から顔を出して、いや、今や完全に体まで出して後ろ足で立ち、小さな小さな手を振っているのは青いリボンを付けたネズミ。そう、シーラの子精霊だ。
青いリボンということは、オーア隊の一体か。
こら、両手を振るな。可愛い。可愛い、けど。可愛いじゃないか!
シーラは腰のあたりで小さく子精霊に手を振り返す。
すると子精霊は穴の中に引っ込み、またすぐに出てきた。
違う。青いリボンだが今度は別の子だ。
その子も両足で立ち上がって尻尾も両手も激しく振った。
シーラは再度鼻と口に手を当てる。何か叫び声が出そうだ。クッソ可愛い過ぎる。
シーラはまたばれないように小さく手を振る。子精霊は小さく飛び跳ねるようにして穴の中に戻っていった。
それを見送りシーラはほっと息を吐く。
教会の至るところに出かけているのは知っているが、こんなところまで……と思っていると、また進行方向にちらりと見える白い影。
嫌な予感にシーラはぐっと顔面に力を入れる。
わずかに鼻が左右に広がったが、シーラがいるのは最後尾。誰に見られる心配もないはず。
「ヂ」
「ごほん!」
次の壁の割れ目から顔を覗かせた子精霊。
鳴き声にかぶせるようにしてシーラは咳をする。
前を歩くネストルがいぶかし気な顔で振り返った。
「少し埃っぽいみたいで」
「そうだな」
頷き、ネストルが体の向きを戻す。
このあたりは人が滅多に来ないからか確かに埃っぽい。そう、だから何とか大丈夫なはずだ。
その後も入れ替わり立ち代わり挨拶に来る子精霊にシーラは顔を引きつらせる。
まるで浄化に来た浄化士の隊列に手を振る村人のよう。
そうだ、その予行練習だと思えばいいのだ。
開き直って子精霊たちに手を振り続けていると、やっと一行が目指していた場所に到着する。
それにしても浄化院、壁に穴がありすぎる。
少なくとも四か所。この廊下だけでその数だ。
ふとシーラは子ネズミたちが穴をあけたり広げたりしていないか心配になる。
いや、きっとそんなことはしないはずだ。
畑に穴はあけても建物に穴をあけるなどしないはず。そう信じよう。
自分たちが建物の中を自由に行きかいできるように穴を開けたりなど、していないはずだ。そうだ、そうに決まっている。頼む。お願いだから誰かシーラの考えにそうだと言ってくれ。
「うおお、おおっ、おおお!」
突如、部屋の中から響いた意味をなさない声に、シーラはピクリと体を揺らす。
先頭にいた浄化士が手に持っていた鍵で扉の上下についた錠前を開け、すっと横にずれる。
ユーリカが扉を開けて入るのに三人が続く。
中はガランと広いほぼ何もない部屋だった。ベッドは壁に固定され、上掛けも何もない。
本当に、何もない。
シーラは目だけでぐるりと部屋を見回し、そして最後にこの部屋の患者に顔を向けた。
部屋の隅で膝を抱え、ゆらゆらと揺れる女性。
長く伸びたぼさぼさ髪が顔を覆い、腕や足の上を流れる。
「うあああ、おおっ、ああああ……」
頭を膝につけ、こもった声を響かせる彼女に、ユーリカが一歩近づきすぐに歩みを止めた。
「シーラ」
ユーリカが低い声でシーラの名を呼んだ。シーラは視線を女性からユーリカへと移す。
「覚えておくといい。心具もなく、精霊もそばにおらず、患者に触れることもできない浄化士は無力だ」
「え……」
ユーリカは治療院に来て初めて、痛まし気な表情で患者の女性を見つめる。
こちらを見ようともしない女性。
シーラが顔を巡らせると、キャンディスとネストルも瞳に影を落としている。
「この人に触っちゃあかんってこと?」
シーラの質問にユーリカはやるせなさを滲ませて首を振る。
「そこは浄化士の判断になる。私の隊以外の浄化士で、患者を押さえつけてでも浄化をする人もいる。ただ私はそれができないだけだ。浄化をするのが浄化士の務めなのにな。……笑うか?」
苦い笑みを浮かべたユーリカに問われ、シーラはふるふると首を振る。
瘴気に心を蝕まれた患者を無理矢理押さえつけて浄化することもできる。
研修中に発生した瘴気被害者たちへの手当てはそうやって行われた。シーラもあれは緊急事態だから特に罪悪感もなかった。
しかし治療が長期化したこの患者を押さえつけて浄化しろと言われたらどうか。
必要な処置だと理解している。でも長期化する治療で既に傷ついた患者に、これ以上の痛みを与えてどうなるのか。
「あたしも、きっとできない、から」
「……そうか」
ユーリカは精霊の特性から土地の浄化を受け持っている。
一方で、浄化院に務める浄化士たちは人の浄化に適している。それは心具であったり、精霊の特性であったり様々だ。
彼らがいるからこそ、この浄化院にいる患者をつなぎとめておくことができる。
その時ふと女性が顔を上げた。
髪の毛のまばらな隙間から見える顔は瘴気焼けで赤黒い。露わになった腕にも赤黒い模様の様に瘴気焼けが広がっていた。
虚ろな目には目の前にいるシーラたちが写っているようには見えない。生気のない顔と、だらりと開いた口から洩れる声とよだれ。
体を丁寧に拭いて、髪を整えて、そしてゆっくりとベッドで休んで欲しい。そんな願い浮かび、ぐっと手を握りしめた。
キチリと手にはめた手袋がこすれてかすかな音を立てる。
あの日、シーラが顔に瘴気焼けを負わなかったのは奇跡だ。ミューが完全に瘴気に堕ちきっておらず、濃い瘴気を撒く範囲が狭かったのもあるだろう。
両手と腕に瘴気焼けが残った今でも、シーラは幸運だったと感じる。
この女性を目の前にして、そう思ってしまう自分を一瞬恥じ、シーラは視線を下げた。
「ここは、精霊に感謝する祝詞を上げて次に行こう」
「はい」
「はい」
「は……あ?」
ユーリカの言葉にキャンディスとネストルが返事をし、シーラも続けようとして首を傾げる。
「どうした、シーラ?」
「精霊、いる」
「ん?」
「心具を当てられんし、患者に触れられんけど、精霊はおるじゃん」
「は?」
ユーリカたちがそろっていぶかし気に眉を寄せた。整った顔の三人にまっすぐな視線を向けられると緊張する。
だがシーラはぽりぽりと目の横を掻きつつ、へらりと笑う。
「えっと、その、あたしの子たち、来てるから」
そう言ってシーラは指先を、この部屋の女性がいる側とは逆の角へと向けた。
床と壁の隙間から突き出た鼻がひくひくと動くたびに、長い髭がさわさわと揺れている。
あれは、野良ネズミでない限り、シーラの子精霊だ。
「ん? 子精霊? なんであんなところに?」
「あーっと、なんで、かなぁ」
シーラは曖昧な笑みを浮かべ、その場によっこいせとしゃがみ込む。
「おいで」
「ヂ」
「ヂチッ」
シーラが呼ぶと隙間からわらわらと四匹白いネズミが出てきた。
全員青いリボンを巻いているということは、オーア隊のメンバーで間違いない。
「お、リボンの色を統一したのか?」
「え? あ、そう、そうです。気分転換に!」
「ヘー」
シーラがぎくりと体をこわばらせたのには気づかず、ユーリカはまじまじと精霊たちを見ている。
シーラは指先で子ネズミたちの額を順番にカリカリと撫でて、彼女を見上げた。
「この子たちに、患者さんのそばに行ってもらってもええ?」
「いいけど、何をするんだい?」
「この子たち自身に、瘴気を集めてくる能力があるんで」
「ちょ、そんなこと聞いてないんだけど」
「あれ? 言ってなかった?」
「浄化できるとは聞いてた。でもうちの子たちと一緒で土に潜ってするものだと」
「似てるけどちょっと違うかな。土に潜って、そこにある瘴気を体に吸い取って、それをあたしが浄化するって流れなんで」
「おー、そうかー」
ユーリカは軽い声を上げて納得し、唇を左右に引き延ばして笑っていない目をシーラに向ける。
「後で全部話しな」
「え、は、はい」
何が悪いのか良く分からないが、何かがダメだったようだ。
シーラはコクコクと首を上下に振る。
ユーリカはため息を吐き、子ネズミと患者の女性を交互に見てから一つ決心したように力強く頷いた。
「いいだろ。やってみな」
「はい」
促され、シーラは子ネズミたちの背をするりと撫でて前に押し出す。
「行ってあげて」
「ヂィ」
「ヂ!」
「ヂチッ」
「ヂ〜」
シーラの声に、子ネズミたちが軽やかに走り出す。
浄化士が四人、さらにネズミが四匹いても女性は表情を変えることなくゆらゆらと揺れては声を上げている。
時折髪の毛の間から見える虚ろな瞳。枯れてやつれた肌からは年齢を知ることができない。
そんな女性の足元や体のそばをちょろちょろとネズミたちが行きかう。
変化を見るためか、ユーリカやキャンディスたちも腰を落として様子を見守る。
「あ、見えたわ」
「俺も」
最初にキャンディスが声を上げ、ネストルも続く。ユーリカもうなずき、シーラはほっと息を吐いた。
女性の体からわずかに瘴気が引きずりだされている。
そしてそれはすぐに白いネズミの体に吸い込まれていった。
「ヂィウ」
「無理しないでおいで」
「ヂ」
少し体表がくすんだネズミが、通常より俊敏さの欠けた動きでシーラの元へやってくる。
シーラはそっと子精霊を持ち上げ、いそいそと長い上着をたくし上げてズボンのポケットに隠していたピーラーを引っ張りだす。
「あら、そんなところに」
「おい、お前」
「ふははっ、気持ちは分かるけどな!」
呆れた声を出す三人の前でシーラは心具であるピーラーをそっと子精霊に当てた。
途端、ポロポロと燃えカスの様にネズミの体表から浄化された瘴気が零れ落ちる。
「うん、浄化できた」
頷き、チャリチャリとピーラーを振って、シーラは大きな笑顔をユーリカたちに向けた。




