3-6. 浄化をしよう
※現代医療と概念や倫理観が異なります。あらかじめご了承ください。
外見だけは一人前の浄化士となったシーラに、ユーリカは幾つか浄化院に行く前に注意点や覚えるべきことを教えてくれた。
まず、浄化院を担当する隊がある。つまり浄化院は彼らの領域であり、浄化の手伝いをするとはいえ、何かあった時には担当部隊の指示に従うこと。
「あんただって、毎日世話してる畑にずかずかと誰かが入ってきたら嫌だろ? そんな感じと思いな」
「はい」
そして次に、浄化院に入院している患者は症状の程度によって部屋が分けられていること。
比較的軽症で動くことも可能な患者は相部屋、重症な患者は一人部屋となる。
その中でも特に重症な患者は特別な処置がされているという。
「見て驚いたりしないように先に言っておく。重症者は精神を病んでいる。暴れて自分や浄化士を傷つけることがある。だから暴れないように手や指、口、足が自由に動かせないようにしてある」
そう言いながら、ユーリカは自分の口元を左右の指で四角く切り取ってみせる。
シーラは少し考えてその意味を悟って目を大きく見開く。
「縛っているってこと?」
「仕方がない。歩き回って壁に頭をぶつけてかち割ったり、浄化士の首に噛みついて重傷を負わせたり。本人と周りの安全を考えると、そうするしかないっていう結論になった。瘴気で精神を破壊されるってのはそういうことだ。私たちが毎日様子を見ているわけじゃないのに、顔をしかめたり可哀そうだと思うな。それは本人にも担当浄化士にも失礼だ」
「分かりました」
文句を言うことも同情することもたやすい。
でも最初にユーリカが言った。浄化院は担当部隊の場だ。そこで働く人たちの安全が守られるべきだろう。
同情ができないというのであれば、少しでも健やかになれるように浄化士としての務めを果たすべきだ。
一つ、シーラの頭の中にある考えが浮かんだ。だがそれはあとにして、今は浄化院ですべきことを考えよう。
「他には、何かあったか?」
ユーリカがネストルとキャンディスに顔を向けて尋ねる。シーラは極力ネストルを視界に入れないようにして彼らの言葉を待った。
ネストルのあの顔はよろしくない。普段を知っているのにどうにもそわそわする。
「精霊のことくらいかしら」
「ああ、そうだな。精霊は連れて入れない。浄化の力を一番引き出すには精霊が一緒にいるのがいいんだが、あの場所では担当浄化士の精霊が優先される。万一精霊同士が喧嘩したりしないように、臨時の浄化士の精霊は外で待機だ。ま、そもそも私の子たちは出禁くらってるけど」
肩をすくめるユーリカ。シーラも浄化院に出入りする大ミミズを想像し、続いて慌てふためく浄化士や患者を想像してクフっと笑う。
ユーリカには申し訳ないが出禁の理由に納得できる。だが、シーラのカオドキならばどうだろうか。
「子精霊も?」
「うーん、最初は連れて行かないのが最善だね」
「分かりました」
下っ端がごねるのも良くないだろう。シーラは理解したと頷いた。
執務室があるエリアから浄化院へと移動する。
今もしとしとと降り続ける雨は、思い出したように強く吹く風によって渡り廊下を濡らしていた。
元々人通りの多くないエリアは雨が音を吸い込みひっそりとしている。
雨音だけが、おしゃべりだ。
「本日の浄化に参った。ユーリカ隊、以下四名。よろしく頼む」
「ご苦労様。いつも通り、軽症者から回っていって」
「承知した」
シーラにとって緊張感のあるやり取り。ユーリカは凛々しい顔をピクリとも動かすことなく、担当浄化士の前からすぐに患者のいる場所へと 移動を始めた。
「まずはやりやすい人からだな。シーラ、おいで」
「はい」
六つのベッドが並ぶ大部屋。
その入り口に立ったユーリカの隣にシーラは並んで中をみまわす。
三人は奥で何か札のゲームをしており、一人は窓辺で読書、二人はベッドで休んでいる。
読書をしている男性以外、顔を上げて訪れた浄化士たちに視線を向けた。
「本日浄化の務めに参ったユーリカ隊だ。こちら、新しい浄化士であるシーラ。子精霊を何体ももつ優秀な浄化士だ。安心して彼女に浄化を任せて欲しい」
「浄化士のシーラです。よろしくお願いします」
シーラは手で地を撫でるように動かし、最後に胸に当てる。教会所属の浄化士の挨拶だ。
患者の幾人かが頷きなのかお辞儀なのか判断が付きかねる動きで肩や頭を動かす。
とりあえず追い出されるような雰囲気ではない。
「じゃ、シーラ、私と一緒にこちらへ。ネストルとキャンディスも二人で組んで進めてくれ」
「はい」
口々に返事をし、二組に分かれて浄化を始める。
研修中に起こった瘴気被害もそうだったが、基本的に浄化は二人で行う。
体の内部に入り込んだ瘴気を浄化する際、時に患者が痛みや苦しみから暴れることがあるからだ。
「今日の気分はどうだ?」
ユーリカが最初に声をかけたのはベッドで休んでいた男性。
何か道具を使う仕事についていたのか 上掛けから出ている手には大きなたこがいくつもある。
彼は無気力な視線をユーリカに向け、そしてすぐに逸らした。
その時、シーラはふとユーリカの心具が枕であることを思い出す。
ドロドロで使い込まれた枕だ。だが今日はそれを持ってきてはいない。
基本、心具で芽生えた力は心具がないと発揮できないはずだ。
どうやってユーリカは浄化をするつもりなのか、とシーラは真剣な眼差しでユーリカの動きを見つめる。
ユーリカはおもむろに優雅な仕草でベッドの空いた場所に半分腰を下ろした。
整った容姿で美しい浄化士の彼女のそんな仕草は、ある種の崇敬の念を覚えさせる。
ユーリカは片方の手を伸ばし、男性の顔、厳密には目を覆った。
ユーリカの口からゆっくり、深く長い息が吐きだされる。
シーラはその次を待った。待って、待って、待って……そしてゆったりとした呼吸が聞こえてきて目を瞬かせる。
──え?
思わず出そうになった声をごくりと飲み込み、ユーリカの様子を観察する。
シーラはここでは平然としていないといけない。
たとえ、上司が突然こくりこくりと船を漕ぎ始めても、それは何か意味があるのだと、これは普通のことなのだという顔をしないといけない。
「くうぅぅ……ふすうぅぅぅぅ……」
とても気持ちよさそうな寝息が聞こえる。
そう、寝息だ。
幸せそうな、安らかな寝息。
力の抜けたユーリカの腕がぱたりとベッドに落ち、患者の男性の顔が露わになる。
男性は……寝ていた。
ユーリカと同じく、ゆらゆらと微睡みの中で揺れている。
ふと、シーラは彼の体からうっすらと立ち上る影に気付いた。
眉間に皺をよせ、目を寄せ、鼻を開き、口をむぎゅっと尖らせ、顎に饅頭を作ってその行方を見つめる。
瘴気と断定するほどに濃くはない。どこかカスのような影。
沸騰した鍋からボコボコと沸き上がる湯気より、温めた牛乳からふわりと漂う湯気のような薄さ。
それはシーラの目の前で空気に溶けこんで儚く消える。
──浄化だ。
驚くべきことに、男性の中にたまっていた瘴気が浄化されている。
その後もゆらゆらとカゲロウのように瘴気の残りカスが男性の体から浮かんでは消えていく。
ユーリカは寝たまま彼を浄化している。
シーラが驚いている間に、ユーリカの寝息が途絶えた。目が覚めたのだ。
それから彼女は今の今まで寝ていたことなどおくびにも見せず、優雅にベッドからスルリと立ち上がる。
患者の男性は浄化が終わったことにも気づいていないようで、眠ったままだ。
「さ、次に行こうか」
「はい」
顰めた声で告げたユーリカに頷き、シーラはその後に従う。
二、三歩進んで振り返る。
男性は幸せそうな顔でぐおお、ぐおおと大きないびきを上げていた。




