3-4. 同じ部屋の人
満足のいく夕食を堪能して、シーラはほんのちょっぴり食べ過ぎた腹をさすりながら自室へと向かう。
「食べ過ぎたのはトウモロコシだから問題ない。問題ない。だいじょーぶ」
多少の食べ過ぎでも罪悪感はない。何たる幸せ。
石が敷かれた教会の廊下はひんやりしている。冬は冬で石が熱を抱き込んで温かいと言うが本当だろうか。
純粋かつ無垢なシーラをだまそうとしているのではないか。
ま、季節が変われば先輩浄化士ルクマンの言った言葉が真実かどうかは分かる。
これがアーゲルの発言だったら心から信用できるのだが……やはり人間性というものは大切だ。
「ミュー、カオドキー、部屋に帰るよ」
「ゴッフ」
「ディ!?」
「ヂヂヂ!」
食堂から出た先、涼し気な木陰で微睡んでいたミューが体を起こしてプルプルと震える。
途端にお腹や背中に乗っていたカオドキがポロポロと転がり落ちた。ひっくり返って短い足やふさふさの尾っぽをバタつかせている様子は可哀そうで可愛らしい。
「ぷふっ」
「ヂュウ」
鼻からフスっと息を吐いたシーラに、赤いリボンを付けたカーアが不満げに鳴く。
しゃがみこんでカーアの顎下をくすぐると、残りのオーア、ドーリ、キーもわらわらと集まってくる。
ドスンッと最後にシーラの背中に乗ったのはミューの顔。
シーラはムギャっと声を上げてべちょっと地面に頽れた。
「ちょ、ミュ、ミュー」
「ドゥフー」
首筋にさわさわと触れる髭とミューの鼻息がくすぐったい。
うひゃひゃと声をあげ、腕を頭の後ろに回す。
そのまま柔らかな毛をわしゃわしゃとかき混ぜれば、さらに満足そうな「ムフー」が返ってきた。
「ヂィー」
「チッチッ」
「あ、ちょ、まっ、待って」
ミューだけをかまうなとばかりにカオドキが群がる。
幸せすぎる悲鳴が止まらない。ふわふわモフモフ地獄だ。いや、ここは天国。素晴らしすぎる。
「シーラさん?」
その時、名前を呼ばれてシーラは顔を上げる。
相変わらず首筋をさわさわとミューの髭がくすぐっていて顔は笑み崩れたままだ。
「あ、マイ、ま、ま、ちょっと、ミュー、少し待って。マイヤさん。お疲れ様ですぅー」
地面にうずくまり、体の前後に精霊を張り付かせてヘラヘラと不気味な笑みを浮かべるシーラ。
声をかけた側であるマイヤはそれを見てわずかに体を後ろに下げ、困ったように微笑んだ。
「シーラさん、ここはみんなが通るところだから、そんな恰好でいるのは良くないと思うよ」
「うん。分かって、分かってる、ちょ、ほんと、分かってるけど。ちょっとー、うがー!」
収集が付かなくなり、勢いをつけて立ち上がるとミューとカオドキがコロンと地面に転がった。
「デュー」
「ヂヂ!」
「ふはははは。我の勝ち!」
いったいいつの間に勝負になったのか、勝敗はこれでいいのか分からないが、結果は出たようだ。
自分の服に着いた土を乱暴に払い、続いてシーラはミューたちを丁寧に撫でて毛に引っかかった草を指で落とす。
「マイヤさんも今日は終わりですか?」
「うん。ゆっくりできそう」
「良かったですね」
シーラの言葉に、マイヤははにかんでコクリと頷く。なんとも可愛らしい。
平均身長で健康的で麦のようにピンっと跳ねた髪のシーラとは対照的に、マイヤはシーラの頭半分は小さく、そして全体的に華奢だ。
顎下で切りそろえた髪は川辺の濡れた砂地のような淡い茶色をしている。
「部屋に戻るけど、シーラさんも?」
「はい。一緒に行きましょう」
シーラとミューたちが横に並ぶのを待って、マイヤは歩き出す。
「治癒院、今日はどうでした?」
「長期の方たちばかりだから、落ち着いてる」
「そうでしたね」
マイヤは治癒士であり、教会に併設された”治癒士の”治療院ーー通称”治癒院”で働いている。
これは治癒士が担当する治療院と、浄化士が担当する治療院ーー通称”浄化院”があるからだ。
治癒院では外から訪れる怪我人や病人の治療をする場合もあれば、入院している人たちの世話をすることもある。
仕事の内容は所属する隊や交代制で決まり、今年は入院患者を診ているとのこと。
春に数人患者が増え、その後に看病が必要な人数は変化していないらしい。
治癒院で長期化する患者は、治癒の力を持っても治すことができない重篤患者でゆっくりと最後の時間を過ごす人がほとんどだ。
浄化院にいる長期入院患者のほとんどは瘴気被害者だ。というか、瘴気被害者しかいない。
瘴気によって体だけでなく精神も蝕まれた患者が元の生活に復帰するのは難しい。状態が落ち着いたら家族の元に戻すこともあると言うが、受け入れることができる余力のある家は少ない。
どうしても長期入院患者が増えてしまうのだ。
シーラは息を吸い込み、大きな笑みを浮かべて話題を変えた。
「あ、そうだ。今日、美味しそうな葉っぱを外で見つけましたよ。艶々してたので持ってきました」
「まあ! 綺麗ね! 嬉しい! ありがとう、シーラさん! 部屋に戻ったら早速あげないと」
シーラがポケットから取り出したしっかりとした厚みのある葉っぱを見て、マイヤは顔を綻ばせる。そして首から下げた小さな虫籠にそっと触れた。
マイヤの精霊は仕事中はその籠の中に入っているのだ。
シーラが現在生活をしているのは教会の敷地内にある宿舎である。
研修中は一人部屋だったが、正式な配属の後は相部屋になった。
その同室の住人が治癒士であるマイヤ。
通常、治癒士と浄化士が同室になることはあまりない。
両者ともに長く教会に所属している場合、同年代や同格の人数が減って同室になることはあるが、シーラはまだ一年目。一方のマイヤは五年目。
それでもマイヤが同室になったのには訳がある。それは、彼女の精霊だ。
「ローゼリア! シーラさんが葉っぱくれたよ、嬉しいね」
部屋に入った瞬間、マイヤは虫籠の蓋を開け、精霊が出やすいように籠を傾ける。
中から現れたのは美しいコバルトブルーと黒い斑点のカミキリムシ。
触角がとても長く、ゆらゆらと揺らす様は眠りこけた釣り人の釣り竿のようだ。
ローゼリアという名前は美麗で青く輝く精霊によく似合っている。
「ベッドに並べておくからね」
マイヤが告げると、精霊はゆったりと触角を揺らす。
シーラには分からないが、マイヤにはローゼリアが喜んでいると分かったようでニコニコと満面の笑みで精霊の背を撫ぜた。
マイヤには長く同室の治癒士がいなかった。
その原因は彼女の精霊が虫だったことにある。
シーラから見ればローゼリアはなんとも美しく優雅な精霊だ。
田畑に出れば、いかにも虫ですと主張するウネウネカサカサゴソゴソ系はいっぱいいる。浄化士にとってはなんともない。
だが教会の中で温く育った治癒士たちからすれば、長い触覚も、突然勢いよく宙を飛ぶ姿も、時折出すキイキィという音も我慢ならないそうだ。
なんとも心の狭いこと。
精霊好きのファシア女史もなんとかマイヤと同室になれそうな治癒士とかけあったが、どうも周囲の目もあってマイヤの同室になろうという人物はいなかった。
周囲の目、というところで治癒士の陰湿さを感じる。だがそれをシーラが言ってもどうにもならない。
同室で一緒に生活を始めて二週間が経ってやっと精霊をシーラに紹介してくれたマイヤ。
シーラが悲鳴を上げることもなく「綺麗!」と言った瞬間、彼女は涙を流した。受け入れてもらえたことがそれほどに嬉しいことだったのだ。
「んー、綺麗。やっぱり寝床にいい葉っぱがあるとローゼリアの色が映えますね」
「シーラさん、ありがとう」
「いえいえ。外に行く機会は多いですから。いつでも言ってください。あ、そういえばそのうち遠征も入るそうです。紅葉してる葉っぱも好きですか?」
「もちろん。ローゼリアは青いから、赤と並ぶとかっこいいのよ」
「綺麗でかっこいいって素敵ですね」
「でしょう!」
ローゼリアの寝床を覗き込んでいる後ろで、カオドキが忙しなく走り回る。ミューは早速シーラのベッド横に敷かれた絨毯の上に寝ころんだ。
今日は朝からミューも畑で頑張ってくれたからあとでいっぱい撫で撫でしよう。カオドキとそれぞれの場所で頑張っている子精霊たちもだ。
「そういえば、外から帰ってきたときにルヴィエラさんに会いましたよ」
「ルヴィエラ様よ。外では気を付けて」
「あ、はーい」
マイヤに注意されてシーラは素直に返事をする。
ルヴィエラは隊長の職には立っていないが、教会内では司教に匹敵する地位がある、らしい。
隊長でもなければ司教でもないのになぜか。それは彼女がやんごとなき血をひいているからだとかなんとか。
シーラにとってはそれが何か? という感じだが、教会内では彼女の顔色をうかがう者は多い。
「もうすぐ騎士様たちが遠征に出られるから、ご挨拶に伺っていたんでしょうね」
「遠征に?」
シーラが首を傾げると、マイヤはきょとんとした顔をしてから今気づいたというように慌てて言葉を付け加えた。
「そっか。シーラさんは教会内の行事をまだ全部把握していなかったわね。数年に一回、夏から秋にかけて聖女様が騎士様たちを連れて遠征に行かれるのよ。今年がその年なの」
「聖女様が。遠征はどこまで?」
「今いらっしゃる代理様は騎乗型の精霊なので、遠くに出られるんじゃないかしら。活発なお方とも聞くし。そうなると一か月は留守にされるわね」
「そうなんですね。私の隊も遠征に出ちゃうし、人が一気に減って教会の中が寂しくなりそうです」
「毎年のことだから、慣れてるわ」
細い肩をわずかにすくめるマイヤ。
子供の頃から教会にいて知識が豊富な彼女は、年齢はシーラの一つ下。
だがシーラの浄化士としての経験、マイヤの立場を考え、シーラは彼女に対して丁寧語で話すようにしている。
隊長であるユーリカは自然体を望むが、人間関係の複雑な教会ではある程度の規範に従わなければいけないことはユーリカもシーラも理解している。
自分らしくあることと、一人前の浄化士になること。
その二つのバランスを取りつつ、シーラはゆっくりと進む日々の中で成長を重ねていた。




