1-3. シーラの精霊
「ああ、よっこいしょっとぉ」
十代の女性らしからぬ声を上げ、土手のてっぺんに戻ってきたシーラは腰を下ろす。
それから両手にのせたままだった精霊をそっと地面におろした。
だが精霊は不満げに一度「ヂュ」っと鳴いてシーラの膝に上ってくる。
「おお、そこがいいのか」
「ヂュ」
お腹のあたりで満足げに鳴く精霊。
ネズミに似ているが、少し違う気もする。
だが精霊はもともと生き物の形を取ってはいても色や生態は全く違う。
おっとんの心具である絵筆についた精霊は煌びやかな七色の尾を持つ鳥だし、おっかあの心具である鍬についた精霊は巨大な熊のなりをしているくせに目がチカチカするきっついピンク色だ。
彼らは皆、心具の持ち主が与える物ならば何でも食べる。
ばっちゃんの蝶は刺繍糸の屑が好きだった。おっとんの鳥はおっとんが描いた絵が好物だし、おっかあの熊は……あれは考えないほうがいい。
とりあえず、精霊は通常の生物に姿かたちは似ていても全く違う存在。
今はネズミにしか見えないシーラの精霊も、おそらくたぶんきっとちょっとはネズミとは違うところがあるはずだ。
「ヂュ!」
「とりあえず、鳴き声はネズミだぁなぁ」
がっくりと力なくシーラは呟く。
大きな力が欲しいとは思ったことはないが、ネズミにしか見えない精霊もどうか。下手したら害獣に間違われないか心配だ。
しかし、まぁ、可愛い気はする。
白いころころとしたフォルムと、体の三分の一まで伸びた緑の尻尾。
「触っていいか?」
「ヂュ」
先ほどさんざん転がしたが、しっかりと触れた感じはしない。
断りを入れてから、シーラはその白い体を指先でそっと撫でる。
「うーん、表現するならほわほわだな」
「ヂィィィ」
撫でられるのが心地良いのか、精霊はうっとりと目をつむって緑の尻尾をさわさわと揺らす。
尻尾がシーラの腕に触れてくすぐったい。自然とシーラの口元は緩やかな弧を描いた。
「可愛ええなぁ。あんた、あたしの精霊だなぁ」
「ヂィィ」
シーラの中に遅れて追いついた実感が主張しだす。
この小さな存在は、確かに自分の精霊だと。
片手のひらにすっぽりおさまる小さな精霊。おそらく力も強くない。
ばっちゃんの精霊くらいか、それよりも弱いかもしれない。
畑一枚を浄化する力もないかもしれない。
それでもシーラの中に愛しさがわいてくる。
「あたしと、これからずっと一緒だな」
「ヂュ!」
シーラの言葉に精霊が一声上げる。
そして突然シーラの腹の上から飛び降り、土手の上を走り始めた。
なんともすばしっこい。そして見事な手のひら返し。
ずっと一緒だと誓ったばかりなのに酷い裏切りだ。
「おーい! どこ行く気ぃ!?」
「チ!」
高い声を上げ、白いネズミが向かうのは──おっちゃんのいる畑。
お昼から戻ってきたらしいおっちゃんが、残りのニンジンを完璧な腰の入れ方で次々と引っこ抜いている。
「おっちゃーん!」
「おお! シーラ! 浄化は進んどるか!」
「まだまだ一。精霊が来たんよ!」
「おお!? 本当か!」
おっちゃんは腰をグイッと伸ばし、シーラへと視線を向ける。
途端、おっちゃんは顔を険しくさせた。
駆け寄ってくるシーラの足元には、白いネズミ。
おっちゃんが思わず手元の心具、つまり鎌に手を伸ばしたのをシーラは慌てて止める。
「おっちゃ! あかん! そのネズミがあたしの精霊!」
「へ!?」
「ヂュー!」
慌てる二人の前で、精霊が短い手足を精一杯伸ばし、高い声を上げて畑へとダイブした。
「うえ!?」
「ああん?」
ぼすっとネズミは畑に着地し、そのままするりと地面の中に吸い込まれていってしまう。
二人は唖然としたままネズミが消えていった地面を見つめた。
「え? ちょっと、なんさ? どうした?」
「これ、シーラの精霊が俺の畑さ浄化してんのか?」
「あ、そう、なのかな? 分かんない」
おっちゃんの推測にシーラは首を傾げる。
なんたって自分の精霊と会ったのもたった数分前。
自分の浄化の力が強くなったようにも感じないし、あのネズミが何をしたいのかも伝わってこない。
シーラはおっちゃんと一緒になって、ニンジンが引っこ抜かれてぼこぼこ穴があいた畑を凝視する。
ネズミは深く潜ってしまったのか、土の表面が動く様子もない。
「何やっとるんか?」
おっちゃんの問いかけに、シーラはぐりんっと首を曲げる。
おっちゃんも答えを期待していたわけではないのか、そのまま黙って畑を見つめ続けている。
その時、突如畑の中央付近にぼこりと穴が開いた。
「お?」
「あ」
おっちゃんとシーラは同時に声を出す。
と同時、ポーンっと空中に黒い物体が打ちあがった。
「あ、芋」
こちらに向かってくる芋に向かって両手を伸ばし、シーラは難なくそれを受け止める。
手のひらの上でころりと転がったそれは、つい先ほど見たタロ芋にそっくりだ。
眉間に皺をよせてじっくり見つめると、ウゾウゾと表面を這う瘴気が見える。
「何だぁ?」
「これは……」
──ポーン!
おっちゃんに説明をしようとした時、さらにもう一つ、黒いものが空中に投げ出された。
「うぉっとととと」
おっちゃんがややバランスを崩し、両手でお手玉しながらなんとか受け止める。
彼の手の中にはやはり同じタロ芋、もどき。
「芋? この畑には植えてねえはずだが」
「これは……」
──ポーン!
三度、空を舞うタロ芋。シーラはため息をつく。
あのネズミは後でたっぷりと叱ってやらねばなるまい。
何事も最初の教育が肝心と隣のばあ様が言っていた。あそこのじい様がばあ様に頭が上がらないのは、その教育とやらのおかげだろう。
フンっと鼻息を勢いよく出し、ついでに出てしまった鼻水をすすり、シーラは三つ目のタロ芋もどきを片手で難なくキャッチする。
「ヂュ!」
白いネズミが一声鳴き、とてとてとシーラたちのところに戻ってくる。
つまりこの三つで全部ということだ。
「おし」
シーラは軽く気合を入れ、腰にぶら下げたピーラーを手に取り、まず一つ目のタロ芋を左手で回しながら軽快にピーラーを当てていく。
途端、つるりとした白い肌っぽいものが現れる。さらには緑の尻尾と短い手足。ついでに黒い芽、じゃない、目も出た。
「やっぱり」
「ネズミ? 芋がネズミに?」
「この子ら、精霊だわ。瘴気にやられとったみたい」
「瘴気に?」
おっちゃんが押し黙る横で、シーラは残りの二つのタロ芋も手際よくピーラーで浄化する。
「「「「ヂュ!」」」」
「おー、良かったなあ」
並んで声を上げる白いネズミたち。シーラは地面にしゃがみ込み、指先で四匹のネズミをツンツンとつつく。
ヂヂヂヂと鳴きながら動き回るネズミはなんとも言えない可愛さがある。
だがそんなシーラの耳に、おっちゃんの硬い声が降ってきた。
「シーラ、おめえ、すぐに家さ戻れ」
体をこわばらせて彼を見上げるシーラ。
おっちゃんはぼさぼさの太い眉をひそめて真剣な顔で精霊たちを見つめている。
どうしたのだと尋ねる前に、おっちゃんはシーラへと視線を向けて一言告げた。
「瘴気堕ちだ」