2-13. 浄化士として
5月7日10時に間違えて1話飛ばして投稿していました。
修正をかけましたが、もしこの話を読んでいる方は、一話戻ってお確かめください。
5月7日に2話上げたことになり、5月8日の投稿はお休みとさせていただきます。大変申し訳ありません。
朝、ユーリカから配属先について何か聞けるかと期待していたのに彼女は朝食の場に姿を現さなかった。
少し残念に思うが、研修も残りあと四日。それが終われば配属先で二年間、一人前の浄化士を目指すのみだ。
「よっし、頑張るで!」
「ゴッフ」
「ヂ」
シーラがポンポンと頭を撫でると、ミューは鼻を高く上げて小さな歯を見せる。
まるで笑っているような顔に、シーラの顔もでろんっと溶けた。
「おい、そこの研修生。とっとと来い!」
「あ! おはようございます! 今行きます! 先輩!」
畑の中からルクマンの呼ぶ声がしてシーラは慌てて立ち上がる。
配属先も気になるが、今は研修をしっかり最後まで終わらせることが大事だ。
まだまだ浄化士としてはひよっ子の自覚がある。学ばなくてはいけないことは多い。
主に地理とか都市名とか浄化周期とか……記憶領域案件ばかりだが。
「朝からすっぱい顔してんなよ」
「これが私の顔です。今日は人が少ないんですね」
「ああ。歩きながら説明する」
周りを見渡し、畑にいつもおしゃべりをしながら作業をしている人たちがいないことに気付く。
ルクマンはシーラがその場にたどり着くとすぐに反対方向に向けて歩き出した。
その横に並び、シーラは緊張感漂う彼の顔をちらっと見上げる。
「教会に瘴気被害の村の人たちが運びこまれた。早朝から浄化士と治癒士が集められてる。ペーペーの俺たちがどこまで手を出せるか分からねえが、やり方とかは勉強しに行くぞ」
「は、はい」
その後も足早に移動を続けながら、ルクマンから知っている情報を教えてもらう。
現地の浄化にはすでに部隊が派遣されている。
動かすことができる被災者は瘴気が濃いその場に留まるより、多くの浄化士がいる教会に送られるようだ。
ルクマンの案内で普段は入らない治療院のあるエリアに入ると、あたりの空気がガラッと変わる。
長閑な畑や果樹園の気配は消え去り、磨きこまれた石の廊下には天井だけでなく壁にまで優美な彫刻が延々と続いている。
「うわぁ、教会っぽい」
「教会なんだよ」
シーラの口から洩れた当たり前すぎる感想に、ルクマンから笑いを含んだ声が返ってくる。
廊下の端を精霊、中央寄りを浄化士が進む。この辺りは教会関係者しか入らない区域なのか、ひっそりとしている。
だが廊下の終端に近づくにつれて、その先の喧騒が響いてきた。
うめき声、鳴き声、何かを狂ったように叫ぶ声、引き留める声、怒声、誰かを呼ぶ声――
シーラの視界にもう十年以上も前に見た光景が映った。
赤く燃える建物の間を這いずり回る黒い影。逃げ惑う人々の悲鳴。その先にあった絶望と、別れ。
「シーラ、おい! シーラ!」
大きな声で呼ばれる自分の名に、シーラははっと顔を上げる。
数歩先で立ち止まったルクマンがシーラに気づかわし気な視線を向けていた。
「悪りぃ。お前も瘴気被害に遭ってたのを忘れてた。辛いなら行くの、やめるか?」
いつの間にか固く握りしめていたシーラの両手に、ルクマンの視線が落とされる。
怪我から二年半が経った今も常にはめている指先があいた手袋。あの日負った瘴気焼けが残る肌。
でもこれは怖いものではない。だってこれはシーラの勲章。
怖いのは、瘴気ではない。瘴気がもたらす変化だ。
瘴気が人と大地を破壊し、大切なものを連れ去っていく。
でも今日は違う。被害に遭ったのはシーラの全く知らない村の人たちだ。
だから、こう言うのはおかしいが、シーラには直接影響のない人たちなのだ。
「だい、じょうぶ。大丈夫です。行けます」
「……辛くなったらすぐに言えよ? 無理してぶっ倒れても介抱する手なんてねえだろうからな」
「はい。分かりました」
言外に余計な面倒は増やすなよと言われ、シーラはぐっと奥歯をかみしめて頷く。
問題ない。こちとら、二度、死地を超えてきた。大根より太いど根性を持ってる。何なら自然薯よりも手ごわい根を張ってる。
「うし、行くぞ」
「はい!」
シーラの覚悟が決まった表情を見て、ルクマンが再び前を進みだす。
その後ろに続くシーラにそっとミューが寄り添う。
ふわりと指先に触れたミューのほわほわした毛皮に、シーラはこわばった頬を緩めた。
「ありがと」
「ドッフ」
短い会話は、廊下の先から響き渡る声にかき消された。
二十人ほどの瘴気被害に遭った人たちがそこには集められていた。
だが、シーラが眉をひそめたのは彼らの状態ではない。その場にいる浄化士と治癒士の対応の仕方だ。
「なるほど。教会の闇ってわけ」
「しっ」
そこかしこから飛び交う大声に、シーラの声は隣のルクマンだけが拾って注意をする。
だがルクマンの顔も苦々しいもので、この状況をよく思っていないのは明らかだ。
治療院の広間に集められた被災者は大きく二つのグループに分けられていた。
比較的症状が落ち着いているグループと、瘴気に侵されて正気を失いかけているグループ。
瘴気に長く充てられると体表だけでなく精神も傷ついてしまう。それを癒すことは難しい。
瘴気を浄化することはできても、瘴気焼けを治すのはそれこそ年単位の時間がかかる。
だがその間にも弱くなった精神はどんどん病んでいってしまう。ここにいる人たちはあと何年苦しまなくてはいけないのか。
そして苦しみからの解放は決して快癒などではなく、安らかな眠り――死だけだ。
「んで、その責任は外の浄化士ってわけ?」
「……ああ」
丁寧な言葉遣いなど吹っ飛ばしてシーラが鼻を鳴らして吐いた言葉に、ルクマンが喉奥を震わせる。
そう、症状が落ち着いているグループに、さも自分たちが聖人かのような微笑みを浮かべて対応しているのはお綺麗な服を着た人たち。
一方で心を病み、今も体の内側を焼く瘴気と戦って暴れる人たちを抑え込んでいるのは、動きやすい服装の浄化士たちだ。
彼らは皆顔や腕に引っかき傷を作りながら、被災者たちを癒そうと必死になっている。
「先輩、行こう。人を押さえるくらい手伝えるよ」
「大丈夫か?」
「問題ない。畑で鍛えた腕があるし、ミューが上に乗っかれば動けないでしょ」
「いや、それはどうかと思うぞ?」
呆れた顔で言いながらも、ルクマンはすぐに歩き出す。
向かう先は彼が所属するアーゲル隊のメンバーがいる場所だ。
ルクマンだってもっと早く仲間を助けに行きたかったに違いない。だが研修生の指導役としてシーラのそばに残ることを選んだ。
「先輩は、私の先輩の前に浄化士だから、私なんて放っておいていいんですよ」
丁寧な言葉遣いに戻してシーラはニカリと笑う。
ルクマンは口の端をにやりとまげて、フンっと鼻を鳴らした。
「後輩がもっとしっかりしてりゃあな。来い、見習い。目だけは守れよ」
「はい!」
無茶苦茶に振り回される手足に吹き飛ばされる浄化士を見て、シーラはぐっと腹に力を籠める。
「アーゲル隊長!」
ルクマンの呼びかけに、被災者のそばに膝をついていたアーゲルの顔が上がる。
シーラと視線がぶつかり、シーラは彼を安心させるようにしっかり頷く。
アーゲルは同様に頷きを返して、すぐに二人に指示を飛ばした。
「ルクマンは奥へ! シーラ、こっち来い!」
「はい!」
シーラの肩を叩き、ルクマンがその場から勢いよく離れる。
シーラはアーゲルが診ている人の反対側に膝をつき、アーゲルへと顔を向ける。
二人の間に横たわる患者の口には詰め物がされ、舌を噛まないように処置がされている。
目が泳ぎ、手足がもがくようにガクガクと揺れている。
「足だ。心具を当てろ」
「はい」
短く飛んできた指示に、シーラは腰にぶら下げたピーラーを取り出し、不規則に動く足に当てた。
もぞり、とシーラがその存在を視認する前に瘴気が沸き上がる。
「ぐうううううう!」
詰め物の奥からうめき声が上がる。
体の奥に染み込んで精神まで影響を及ぼした瘴気が、消える前に最後のあがきの様に暴れる。
「はっがれろ!」
ピーラーを患者の太ももから足先に向けて動かす。イメージは芽が出始めたジャガイモの皮むき。
緑に変色し始めた皮は、ニンジンよりももっと分厚く剥かないと厄介なやつだ。
「シーラ、ミューで押さえろ! 子精霊を呼べ!」
「ミュー! カオドキ!」
「ドゥッフ!」
「「「「ヂヂヂ!」」」」
ミューの顔がドスンっと患者の腹の上に乗っかる。その頭を伝ってわらわらと子精霊たちが患者の手足の上を駆け回った。
それだけでシュワリと瘴気が浮き上がる。
これで患者を押さえるのに精いっぱいだったアーゲルの手が使えるようになった。
「おっし。ゼラ! 来い!」
続けてアーゲルが自分の精霊を呼ぶ。途端、彼の襟元からチョロチョロと舌を出しながらトカゲが這い出てきて、患者の顔の上にぺちょっと着地した。
「こら、鼻はふさぐなよ」
トカゲがクルリと方向転換をして患者の額の上でペロリと自分の顔を舐める。
思わずトカゲをまじまじと見つめてしまったシーラに、アーゲルがくいっと顎で集中しろと示す。
シーラは頷き、自分のピーラーを握りしめて体を前に倒す。
精霊が体に触れているせいか、患者の周りに黒い靄が漂い始めているのが見える。
その靄が絡みつく場所を目指して、シーラはピーラーを持った手をぐんっと前に伸ばした。
「んっしょお! あたしの、ピーラーは、すっごいんだぞお!」
心具は心。心が負ければ瘴気に付け込まれてしまう。
さぁ、笑え。シーラ。
不敵な笑みを浮かべて、自分は強いんだと信じろ。
おっかんもおっとんもいないこの場所で、信じられるのは自分と心具と精霊だ。
信じろ。瘴気に負けない心を持て。
「ふっんっせっ!」
気合十分。シーラのピーラーが患者の太ももから足先へと体の表面を撫でるように走る。
瘴気はいらない。いらないものは引きはがしてしまえ。
シーラのピーラーで、全部、ぺりぺりっと引っぺがしてしまえ!
「っっしゃ!」
蒸かした芋の皮がするっとむけるように、患者の体から黒い瘴気がずるりと剥がれる。
その行方をシーラが目で追おうとした瞬間、アーゲルが取り出した物にぎょっとする。
「いいぞ、シーラ。これで、全部、追い出すぞ!」
「うっへぇ!?」
アーゲルの手に握られているのは厳ついノミだ。木を削ったり溝を掘ったりするやつだ。
両手に持って高く掲げられたノミが、患者の心臓に向かって振り下ろされる。
患者の腹の上に顔を置いたミューがぎゅっと目を強く瞑った。ピンッと張った髭の先まで緊張している。
「さぁ、還れ!」
ドスっとノミが重い音を立てて患者の胸を叩く。
同時に患者の全身からブワッと黒い瘴気が立ち上った。
シーラの視界を黒煙が覆う。
患者の体が大きく跳ねあがり、それからぴたりと動かなくなった。
まさか心臓にノミを突き立てたのかとシーラはこわごわと心臓のあたりへと視線を向ける。
だがそこには心配したような凄惨な状況は広がっていなかった。
アーゲルの右手はノミの柄を握り、左手は先端を守るように覆っている。
左手の拳で心臓を叩いたのかと安心した。
「治癒士! こっちだ! 浄化済み! 確認して移動」
シーラが安堵している間にも、アーゲルが膝立ちになって治癒士を呼ぶ。
数人の治癒士がお互い譲り合うようにまごつく。その態度にシーラがイラっとする前に、アーゲルの怒声が飛んだ。
「早くしろ!」
ビクっと震えた一人が慌てて走り寄ってくる。まだ年若い治癒士のようだ。
患者の手前で立ち尽くした彼女に自分の場所を明け渡し、アーゲルは立ち上がる。
そして彼女の作業を見ることなくシーラを呼んだ。
「シーラ、次に行くぞ!」
その言葉に引っ張られるように素早く立ち上がり、すでに動き出したアーゲルの後を追う。
その日、シーラは自分が教会の浄化士として初めて他人を浄化したことに気付かないまま、アーゲルの指示に従って浄化をし続けた。




