2-11. プライベート空間
夜、シーラは机の前に座り、今日の午後にバンバ爺から教えてもらったチンチラというネズミの習性を書き留めたメモを読み返す。
バンバ爺はこれはあくまで一般生物の特徴で、精霊である存在とは異なる部分も多いと言った。
それでも自分の精霊をよく理解する助けにはなると告げたバンバ爺。精霊研究の権威らしい、自信にあふれた姿だった。
だが! ミューのふかふかのお腹を見て羨ましそうにしていたが、決して触らせたりはしない。
バンバ爺に精霊を触らせなどしたら、シーラが精霊たちの信頼を失ってしまいそうな気がする。それは断固避けたい。
「さてと、クリフさんに手紙を書いて今日は寝ようかな」
シーラが精霊と出会って二年半。その間に見てきた精霊たちの行動と今日知ったチンチラの習性は大きく離れていない。
暗がりが好きだったり、思ったより行動的だったりするところはチンチラそのものだ。
ミューだけはちょっと運動が控えめだが、それは親精霊だからということにしておく。いつも寝てさぼっているわけではないはずだ。
「……そうだよね?」
「ドゥゥゥ〜、ドゥゥゥ〜」
鼻息なのかいびきなのか分からない音を立てて寝るミューに、ちらりと視線を向ける。
ちょっと残念度が高いのは、瘴気堕ちの影響が残っているためだと思おう。きっと、そのはず。
シーラだって手を動かしすぎると力が入りにくかったり、火傷の痕が濃くなったりすることがある。
瘴気堕ちになりかけていたミューに影響が残っていないわけがないのだ。たぶん。自信はあまりないけれど。
「さって、クリフ様っと」
濃厚な一週間だった。書きたい事はいっぱいある。朝食メンバーのユーリカたち、研修先のアーゲル隊、直接の指導をしてくれるルクマン、裁縫室の婦人たちや今日会ったバンバ爺。皆、一様に優しい人たちばかりだった。
まだ教会の怖さなど見ていない。いつかは、外から来た浄化士と仲が良くないという治癒士たちとも対面する時が来るだろう。
その時までに浄化士として自信を積み重ねていけたら良い。まずは一歩ずつ確実にだ。
両手のリハビリの時から自分に言い聞かせ続けている言葉を呟く。
「よし、できた」
滑らかにペンを走らせ、シーラは手紙を完成させる。
クルリと振り向けば、気持ちよさそうに寝るミューの横でカーア、オーア、ドーリ、キーが期待するように後ろ足で立ち上がってシーラを見ていた。
「あーっと、前はキーだったから、キー以外で」
「ぢぃ」
悲しそうな声を上げてキーがストンッと前足を下ろす。残りの三匹が相談するように鼻を突き合わせる。髭がさわさわと触れ合って可愛らしい。
「ヂィ!」
「じゃ、今回はオーアね」
「ヂヂ!」
青いリボンを付けたオーアがシーラの足元まで元気よく駆けてくる。
そして後ろ足で立ち上がったオーアの首からリボンを外し、シーラはその中に丸めた手紙を押し込んだ。
「これを、クリフさんのところに届けてね。分かる?」
「チッ!」
オーアが鼻先を小さな手でこすり上げる。まるでやんちゃなガキンチョみたいな仕草にシーラは微笑んだ。
そっとお腹と頭を撫でから、シーラは立ち上がって窓を薄く開ける。
夜の空気がすうっと入ってきたのと入れ替わりにオーアが勢いよく外へと飛び出していった。
「気を付けて」
小さく呟き、シーラはくるりと踵を返す。シーラを見つめる三対のくりくりした黒い瞳にニカッと笑いかけ、シーラは彼らの元に走った。
そしてふかふかのミューのお腹に飛び込む直前、足を止めた。
チンチラは好奇心旺盛だが、憶病な性格のものも多い。そうバンバ爺が言っていた。
ストレスにも弱く、神経性のショックにより死亡することさえあるのだとか。
「驚かしちゃだめだね」
「ヂ?」
「ヂ」
カオドキ、いや、今はオーアがいないからカドキの三匹と頷きあい、そっと近づいてシーラはミューのお腹に寄り添う。
ピクリとミューの体が動き、短い手足がシーラとカドキを抱き込んだ。
──野生のチンチラは群れで生活するけど個体間は距離を保ってるらしい。精霊だと違いそうだね。
バンバ爺がカオドキと一緒に穏やかに過ごすミューを見て目を細めたのを思い出す。
ミューは優しい。シーラにもカオドキにも、いつも外で浄化を頑張ってくれる他の子たちにも。
わずかに開けてある窓から爽やかな風が入り込む。もうしばらくしたらオーアや他の子たちがここに来るだろう。
そうしたらこの穏やかな時間も終わってにぎやかになる。シーラはふかふかに囲まれてつかの間の微睡みに身を任せた。
一方その頃、クリストフはとてもプライベートな空間にいた。
全身鎧を脱ぎ、さらにはその中に着込んだ服も脱ぎ捨て、鍛えられた体を上から降り注ぐ水でまんべんなく濡らしていた。
そう、クリストフはシャワーを浴びていた。
頭から湯を浴び、短く刈り込まれた髪を乱暴に洗ってため息を吐く。
季節は春から夏に変わる。その前に巡業へ旅立つ浄化士たちの編制がされ、それに合わせて同行する兵士たちの隊も決まる。
聖女の護衛であるクリストフに大きな影響はないのだが、それでも周囲がピリつく季節だ。否応なしにストレスがたまる。
つい先ほども教会に残る兵の数や配置の確認の会議が延々と続いた。
何とか終わったのはピンクの熊にまたがった聖女が文字通り乗り込んできて、「自分の護衛がいないから出かけられない」と言ったからだ。
会議の場にまで乗り込んできて護衛が必要なのか、という疑問がその場にいた全員の頭に浮かんだ。誰もそれを口にすることはなかったが。
しかし、結論が出きっている会議を終わらせることができたのは良かった。
「ふう」
ぷるぷると頭を振り、濡れた顔を雑に拭う。
次は体を洗おうとスポンジに手を伸ばそうとして、そこに客が来ていることに気付いてクリストフは太い眉を寄せた。
「また、君たちか」
「ヂィ!」
小さな白いネズミが挨拶をするように鼻の頭をこする。
シーラが教会に来た日から、毎日一回、必ずどこかで白いネズミを見るようになった。
ひょっこり壁の割れ目から顔を出してクリストフを見ては去っていくネズミの精霊たち。
一様にリボンを首に巻いているのだから間違いようがない。
最初は迷惑そうにしていたクリストフの精霊、鹿のロッソもネズミが来たのに気づいても反応すら見せなくなった。
クリストフは伸ばした手を蛇口へと移動させ、シャワーの湯を止める。
いい加減に手を振って水を払うと、水滴が飛んだのかネズミがブルリと顔を振った。
「ヂィ」
普段なら顔見せの挨拶程度で去っていくネズミは、リボンの結び目を器用に後ろに回し、トントンっとリボンを両手で叩いた。
「……手紙か?」
「ヂ!」
まさかと思って出した問いに肯定の声が返ってくる。
漏れ出そうなため息を噛み殺し、クリストフはネズミの首に結ばれた青いリボンを慎重な手つきで外す。
その際に髭が乱れたのか、ネズミが両手でくしゃくしゃくしゃくしゃと顔と髭をこすりだした。
くるくると動く顔と指先がなんとも言えない。
濡らさないように慎重にリボンを開き、中からさらに繊細な丸まった紙を取り出す。
そっと広げてみれば、そこにはもう見慣れた文字が並んでいた。
──クリフ様
研しゅう半分終わりました。ミューはチンチラと知りました。たくさん浄化士と知り合いました。楽しいです。シーラ
手紙から視線をネズミに移すと、チンチラという種のネズミは誇らしげに髭を揺らした。
「返事は……」
「ヂ!」
「少し待て」
「ヂィ」
手紙を戻し、そっとリボンをネズミの首にかける。その時にふわふわとした毛並みがクリストフの指先をくすぐった。
クリストフは目を細めて、指先でネズミの頭をぐりぐりとこする。それが嬉しいのかネズミはうっとりとした顔になった。
シーラは気づいているのだろうか。いや、まったく気づいていないからこうやって手紙を送ってくるのだろう。
「触ってることは言うなよ」
「ヂヂィ」
分かっていると共犯者は応える。
シーラは気づいていない。こうして無防備に自分の精霊を託す相手は何と呼ばれる存在なのか。
いずれ、教会にいれば周りに揉まれてそのことを知るのだろう。そうなれば、ネズミをクリストフの元に送ることもなくなるのだろうか。
それを少しだけ寂しく思うのは多分間違いだ。
クリストフは指先でトンっとネズミの頭を突っつき、告げる。
「シャワーの後、部屋に戻る」
「ヂィ!」
それだけでネズミは理解してクルリと踵を返し、シャワーの配管を伝って壁の隙間から消えていった。
先にクリフの部屋に行ってクリストフが戻るのを待つつもりなのだ。
完全に、クリストフの行動範囲を把握されている。
主人であるシーラがそれを知ることはないのだろうが、ネズミたちは完璧に覚えていそうだ。
それをどう捉えるべきか考えるより先に、クリストフはスポンジを手に取り蛇口をひねった。
やや温度の下がった湯が出てきて体をブルリと震わせる。
それからシーラに書く手紙の内容を考え始めた。
ーーシーラ殿
研修が終わってから本番だ。気は抜かないように。
それからチンチラを自由にさせるのは良いが、教会内には立ち入り禁止区域もある。
凶暴な精霊が配置されているので、気配を感じたら逃げるようにチンチラたちに教えておくように。クリフ
手紙を受け取ったシーラは慌ててミューと子精霊全員を集め、クリフから教わったことを言い聞かせたのだった。
今更ですが、クリフ=クリストフです。
シーラ視点の時は地の文でも「クリフ」、クリストフや他者視点の場合は彼の本名である「クリストフ」の表記となっています。
統一感がないように見えますが、同じ人物を指しています。




