1-2. ピーラーで浄化
「ふんふんふふふふーん」
畑の土手に腰かけ、シーラは鼻歌を歌いながらピーラーを軽快に動かす。
ニンジンの皮をむくのではなく、その表面にまとわりついた瘴気をはがすのが今のピーラーの使命だ。
ボロボロと零れ落ちて消えていく瘴気を目で追う。
今は瘴気に汚染された野菜を浄化しているだけだが、ヒーラーとして力がつけば瘴気そのものを消滅させられるようになる。
精霊がそばに来て、一緒に浄化を手伝ってくれるようになったら畑もあっという間に浄化できただろう。
それは今後に期待するとして、今は一つ一つのニンジンと向き合うだけだ。
「ふんへっへほー、ほほほへっへーい、はっはらはらはー」
積み上げられたニンジンの山は大きい。畑一枚分なのだから仕方がない。
瘴気が広がった場所は早く浄化しないと土の中まで汚染されてしまう。だからこれが正しい処理なのだ。
「しょっしょしょーしょ、しょーきのばっかやろー」
自然とシーラの口から本音が漏れる。
汚れた気──瘴気はどこからともなく現れ、人や動物、畑を汚染してしまう。
汚染された畑からとれた作物は瘴気を含み、それを食べ続けると人間も瘴気に侵されてしまう。体力を失って動けなくなくなる人もいれば、気力を失ったり暴力的になったりと精神を病んでしまう人もいる。
そんな百害あって一利なしの瘴気を浄化する力を授かったのは嬉しいが、瘴気が無くなったらもっと人は自由に生きられるのにと心底思う。
「あー、疲れた」
優に百本を超えるニンジンを浄化し終え、シーラはぱたりと土手に寝転がった。
空の雲が流れるのを見ていると、赤いニンジンばかり見ていた目が癒される。
ニンジンの山はまだまだ大きい。今日だけで終らせるのは難しそうだ。
おっとんにも連絡を入れないと……そんなことを考えながらシーラはうとうとと微睡む。
心具で使う力は無尽蔵ではない。気力や体力を知らない間に消耗させる。
優しい風が疲れ切ったシーラの麦わら色の髪と、土手の草花を撫でて過ぎていった。
「あー、寝ちゃいそう。どうしよっかな。お昼食べてから昼寝にしようかな」
睡眠欲と食欲、どっちを取るか。やや睡眠欲のほうが優勢である。
意識がずぶずぶと地面に沈み込みそうになる。
その時、大の字に転がったシーラの手にコロコロと何かが転がり落ちてきた。
「ん?」
首だけを起こし、シーラは自分の左手を見る。
そこにはシーラの手のひらにすっぽりと収まる茶色い物体があった。
「タロ芋?」
手をさわさわと動かし、シーラはその物体の正体を当てずっぽうでつぶやく。
寝転がったままの自分の顔の上にそれを持ってくると、ぱらぱらと土が顔にかかった。
茶色い短い毛が生えたゴツゴツした感触の物体。これに似たものでシーラの記憶に引っかかるのはタロ芋くらいだ。
「ぶへっ、おっちゃーん、おっちゃんって、タロ芋も育てとるの!?」
そのままの体勢で大声を上げる。だが返事はない。どうやらおっちゃんもお昼休憩に入ってしまったらしい。
シーラはむくりと起き上がり、手の中のタロ芋らしきものをまじまじと見つめる。
直後、もぞりと黒いもやが動いた。
「む!?」
反射的にシーラはピーラーをひっつかむ。
「そりゃい!」
左手でくるくるとタロ芋を回しながら、シャシャシャっと素早くピーラーをその表面ぎりぎりに当てて動かす。
小ぶりな芋はあっという間にシーラの手の中で一周した。
「ふう、これにて一件落着」
ふと浮かんだフレーズを呟き、シーラは額の汗を拭う。
それから芋を見つめ、首を傾げた。
「白い?」
ピーラーでそぎ落としたのは瘴気だけで、タロ芋の見た目は著しく変わらないはずだ。
だが今シーラの手の中の芋は白く、まるでタロ芋の皮をむいた時のようにつるんとしている。
「あれー、皮、剥いた感じはなかったんだけどなぁ」
地面を見てもタロ芋の皮は落ちていない。
首を傾げ、むむっと眉間に皺を寄せる。ついでに目が寄って鼻も開いて口が尖って顎に饅頭ができた。
「あんれえ?」
何度見ても、芋は白い。
シーラはこれでもかと首を横に倒して、芋を凝視する。
直後、白い芋がフルフルと動いた。
「ひえ!?」
「ヂュ!」
驚いたシーラはとっさに手を振る。
ポトリと落ちた芋がころころと土手を転がった。
ついでに何か声も聞こえた気がする。
「ヂュー! ヂュー!」
芋が高い叫び声をあげる。
「ひいいい!?」
何が起こっているのか良く分からない。でもあのまま芋を転がしておくのはあんまり、なんか、とっても、すごく、良くない気がする!
シーラは芋を追っかけた。
斜面をころころ芋が転がる。
その度に、芋から「ヂュー!」という声が出る。
いや、これはもう明らかに芋ではない。
「おーい、こらー! 止まれー!」
自分で放り投げたくせに、シーラはそれを忘れて転がる芋に向かって叫ぶ。
「ヂュ!?」
「あ!」
そんなに長くはない土手。芋もどきは平らな場所に到達すると、最後にポンっと跳ねて止まった。
どたどたと農作業で鍛えられた足を動かし、シーラもその元にたどり着く。
「よっいせ」
膝に手を当てて、若者らしからぬセリフと共にシーラは芋もどきを拾い上げる。
コロンとした白い物体はどこを見ても芋、のはず。
「んん?」
上下左右からまじまじと見ていると、モゾと芋もどきが動いた。
そしてシーラの目の前で、端っこからひょっこりと緑色の物体を出した。
「うんこか?」
乙女らしからぬ呟き。だが今度はシーラが見つめている場所とは真逆の端っこがもぞもぞと動く。
シーラは芋もどきをしっかりと握り、縦向きに持って反対側を覗く。
するとそこに黒い点が二つあった。
それはどう見ても芽、ではなくて目。
「え? 目?」
「ヂュウ」
ぱちぱちと黒い粒が動く。
瞬きをしている。明らかに芋ではない。
「なんじゃ、これ」
「ヂュウウウ」
シーラの呟きに、芋もどきがぱたぱたと暴れる。
シーラはその場に胡坐をかき、両手を広げて芋もどきを見つめる。
すると足すらないと思っていた芋もどきから足が生えた。
にょっきにょき。そんな音がぴったりな生え方。
「おおお、足……足か。足だなぁ」
「ヂュ」
シーラの呟きに芋もどきが誇らしげに鳴く。
白い体。先ほどうんこだと思った緑の物体はどうやら尻尾らしい。
最初は爪の先ほどしかなかったそれは、足が生えると同時にシーラの小指ほどの長さになってふさふさと揺れている。
よくよく見れば、尻尾は先ほどまでシーラが延々と見つめていたニンジンの葉っぱに似ている、気がする。
「うーん……」
シーラは眉間に皺をよせ、目を寄せ、鼻を広げて、口をとがらせ、顎に饅頭を作って考える。
これはどう見ても、普通の芋ではない。
そう、芋ではないのは明らかだが、普通の動物でもなさそうだ。
だって普通の芋は動かないし鳴かない。足も生えなければ芽、じゃなくて目も出ない。
ピーラーで浄化して動き出したとなれば、瘴気に影響を受けて動けなくなっていた可能性がある。
むむむむっとさらに口を尖らせてシーラは考える。
シーラの地頭は悪くない。だがなかなか結論が出せない。
なぜならその結論はシーラの精神を削りそうだからだ。
そんな風に無駄なあがきをするシーラを、芋もどきはクリンクリンの黒い目で見つめる。
さわっと緑の尻尾が揺れた。
仕方なくシーラは深いため息をつき、力を入れすぎた目をぱちぱちと動かしてから恐る恐る芋もどきに声をかけた。
「お前さん、もしかしてあたしの精霊?」
「ヂュ!」
シーラの問いかけに、手の中の芋もどき、もとい精霊は元気な声で返事をする。
反対にシーラはがっくりと両肩を落としたのだった。
タロ芋とは……里芋と同類……サト芋!?
ギリギリまで里芋にするか迷った作者がここにいます。