2-4. そのまんま
翌日の朝、シーラはご機嫌だった。
理由はいくつかある。昨日の夜にシーラの元を訪れたネズミたちはそれぞれ少しずつ薄汚れていた。
それはつまりこの都市に入ってからたった半日で瘴気を回収できたということだ。これから毎日続ければ瘴気をどんどん浄化できるだろう。
全カオドキ部隊を浄化した後に思う存分モミモミしてあげた。シーラも幸せ、精霊も幸せ。丸っとハッピーだ。
もう一つの理由はクリフからの返信。今までは手紙を受け取るのに一週間、二週間待たなくてはいけなかったが今回は一時間以内に返ってきた。
すぐに次の手紙を書きたくなる気持ちを抑えて、とりあえず研修が終わるまでは我慢しようと思っている。
「ムヒヒッ」
鼻の穴を広げてシーラは笑う。だがすぐに慌てて手を口元に添える。
幸いなことに誰もシーラを見ていなかった。ふうっと息を吐き、シーラは目の前に並んだ朝食に視線を落とす。
シーラがご機嫌な理由の最後の一つは、この朝食。
教会だから質素倹約を突き進んでいるのかと思ったが、朝食を見る限りそうではなさそうだ。
「うふん」
鼻から抜けるように満足げな息が漏れる。
こんがりと焼かれた良い香りのするパン、豆の煮もの、刻んだ野菜が入ったスープにはどうやら肉のかけらが入っているのが見える。
切り分けられたフルーツに牛乳までついている。ばっちゃんが生きていた頃以来のバランスの良い豪華な朝食だ。
おっとんの目の色をしたパンから、芋づる式にばっちゃんが焼いたパンを思い出し少ししんみりする。
スンッと鼻をすすったところで誰かが目の前に立った。
「あんた、今年の浄化士見習い?」
見上げると、体も服も髪も手も爪まで泥だらけになった女性がいた。顔にも土がいっぱいついているが、いい加減に手で拭ったのか目鼻立ちはちゃんと見える。
「はい。今日から研修に入ります、シーラと言います」
「そ。ここ、いい?」
「どうぞ」
口調は雑だが、見習いだからと下に見て勝手に座ろうとしないところは丁寧だ。
しかし、彼女が座るためにやや体を倒した時、上からパラパラと砂粒がテーブルに落ちてきて、シーラはとっさにパンとスープの上に手をかざす。
「あ、ごめん。入った?」
「多分大丈夫です」
「悪いね。いっつも泥だらけだから、この端っこの席にしか座らないようにしてんだ」
「なるほど」
シーラが今座っているのは入り口にほど近い末席だ。
特に選んだわけではないが丁度空いていたからここにした。多分空いていた理由は彼女がいつも使っているからなのだろう。
「場所、取っちゃいました?」
「気にすんな。六人掛けだし、あとここに来るのは二人だけだし」
「それは良かったです」
シーラが笑うと、女性は頷いてずるりと長いひもをズボンのポケットから取り出した。そしてその端を口に咥え、泥のついた赤みがかった髪の毛を後ろでねじって団子にしてぐるぐると紐で縛る。豪快だ。
ついでにその時、彼女の後ろに座っていた男性がやや体を離したのがシーラの側から見えた。彼女の髪についた土が飛んだのだろう。少し同情する。
「私はユーリカ、浄化士。よろしく」
ユーリカはそう言うと、周りを見回してすぐにフォークを取って食べ始めた。
何か挨拶があってから食事が始まるのかと思っていたシーラはきょとんとする。
「あんたも食べな。聖女様がいらっしゃる日はかしこまった挨拶があるけど、今日は違うから。ほら、冷めるよ」
「あ、ありがとうございます」
気づけば他のテーブルではすでに食べ終わって片づけを始めている人もいる。
食堂の場所や食器の受け取り方は分かっても、細かなルールは実地で覚えていかないといけないようだ。
「ん、うんめ」
パンを口に入れてシーラは思わず呟く。少し冷めてしまったが味は損なっていない。
次にスープの底を掻きまわしてゴロゴロと野菜が載ったスプーンを口に入れる。これも薄味だがちゃんと美味い。
「んめ」
食べ物が美味しいだけで幸せになれる。シーラは満足げにスプーンを口に入れたままにんまりと微笑んだ。
すると目の前のユーリカがぷくくっと声を殺して笑う。
「あんた、いいね。すました顔の治癒士たちよりか、いい顔してる。見た瞬間浄化士だろうと思ったけど、そのものだ」
ユーリカの言い方にシーラは豆の煮ものにスプーンをつけながら首を傾げる。浄化士と治癒士には何か明確な違いがあるらしい。
「浄化士と治癒士は見た目でも分かるんですか?」
「ま、大雑把には。てか、あんた、シーラ、それ、やめな」
「それ?」
何か悪いことでもしたのかとシーラは食事の手を止める。
ユーリカは厚めの唇を少しとがらせ、突然シナっと体をくねらせた。シーラはぎょっと目を大きく広げる。
「わたくし、ちゃんとしたお言葉を使われない方とはお話しできないんですの。人間に分かる言葉を使ってくださらない? っとか言ってくる奴がいるんだわ。治癒士で。もぞもぞするから、普通にしゃべれ。さっき、地が出てたろ」
「あ、はい。えっと、んじゃ、遠慮なく」
とは言ってもすぐにしゃべり方を戻せるはずもない。だが今の会話でユーリカが嫌っている治癒士がいるというのは分かった。
シーラはおっとんとしゃべる時の口調を思い出しながら浮かんだ質問を口に出す。
「えーっと、治癒士は嫌いなん?」
「治癒士が嫌いなんじゃなくって、そいつが嫌いなの。ま、治癒士は教会育ちで石像みたいな顔の奴らが多いからすぐに分かる。浄化士は、なんてったらいいかねぇ」
ユーリカはパンを噛みちぎり、スープの器を掴んでそのまま汁をすする。だが音を立てないのはやはり気遣いができる人なのだと思う。でも気遣いの度合いがややずれているかもしれない。
もぐもぐと口を動かし、ユーリカは自分の両手を目の前に突き出した。朝から農作業でもしてきたのか、爪の隙間まで黒くなってる。
「浄化士はさ、瘴気を払うだろ?」
「うん」
「あたしはね、瘴気を払うには心が大事だと思ってんだ」
「心」
ユーリカが胸元をドンっと叩く。モワッと土埃が舞い、ユーリカのプレートにもパラパラと土が落ちたが彼女は気にした様子はない。
シーラは自分の胸元を見て、もう一度視線を上げた。
「人間の体は医者でも治せる。薬師もだな。でも浄化は浄化士しか出来ねえんだ。自然や精霊を治すには、自然の状態でいられる人間が必要だ。シーラ、教会で何を言われても自然でいな。瘴気は歪みから生まれる。人間の歪みが精霊や自然を壊すんだ。だから、歪むなよ、シーラ」
ユーリカの言葉に、シーラは瞼を伏せて森の中にいた自分の精霊ミューを思う。
おっとんは、精霊たちにとって森や自然はシーラの大好きなベッドのように、安全で温かな場所なのだと言った。彼らの故郷にも等しい。それはユーリカが言う自然なのだろう。
自然を治す浄化士は自然でいろ。
もう一度頭の中で彼女のセリフを再生し、シーラは力強く頷く。
「はい、歪まずに、自然で、浄化士を頑張ります」
自然とまた丁寧な口調になったが、ここは先輩浄化士への尊敬を込めてだ。
ユーリカも問題ないと思ったのかニカリと笑った。
「ん、今日は朝からいいね。土の状態も良かったし、誰か、新しい浄化士が土の浄化でもしてくれたんかねえ」
「ぐっふ」
ユーリカのとぼけたセリフに、シーラは危うく牛乳を吹き出しそうになる。ミューの鳴き声のような変な音が喉から出た。
「あんたの精霊は土が好きかい?」
「大好きで、よく潜ってるよ」
「お、いいねぇ。私の精霊と仲良くできそうだ。研修中に会えなかったら今度紹介するから」
「あたしの精霊にも会ってくれる?」
「もちろん」
ユーリカは牛乳をごくごくと飲みほし、おっさんのように「くはあ!」っと声を上げる。
二人の食事がそろそろ終わるという頃、ユーリカは顔を上げて入り口に向けて手を振った。
「あ、ほかの奴らも来たぞ。あいつらに比べたら私は普通だからな。そこ、忘れんな」
「え?」
シーラが顔を上げた瞬間、周囲のテーブルからガタガタッと椅子を引く音が立て続けに響く。さらに次々と人が立って移動を始めた。
一気に食堂の人口密度が下がる。
シーラが視線で彼らが出ていく扉を追うと、ちょうど入れ替わりに男女二人が姿を現した。
入口の扉から食堂へと初夏の風が吹いてくる。
その風に乗って懐かしいにおいがシーラの元へと運ばれてきた。
「おお、田舎の香水だぁ」
ぶふっとユーリカが激しく噴き出す音が響いた。