2-3. ネズミ便
簡単な手続きの後に案内された部屋は思った以上に広く、相部屋でもなくて一人部屋だった。
一人部屋の理由は精霊の個性と相性があるため、配属部署が決まるまでの研修期間中は個室が使えるらしい。
相性は人基準ではなく精霊基準。教会は面白い場所だなと改めて感じる。
「ミュー、ここがあたしの部屋だって。って言っても、二週間後にはまた移動らしいけど」
「ゴッフ」
「ヂヂ」
ミューの頭をなで、そのまま四匹の白ネズミたちと指で戯れる。
不安定なミューの背中でシーラの指を追っかける姿は可愛らしい。
「あ、クリフさんに無事着きましたって連絡しようかな」
ポンポンっとネズミたちを順番に優しく叩いてシーラは小さな荷物へと向かう。
二週間後には移動だから荷物は広げすぎないようにと案内してくれた女性は言いかけ、シーラの荷物の少なさに驚いていた。
後で送られてくるのかとも聞かれたが、今のところその予定はない。
教会で仕事を始めたら、支給される制服を着ることになる。
研修中も研修生用のものが与えられるというのだから、私服はそんなに必要ない。
日用品も教会にはそろっている。そうなれば要る物は限られてくる。
「まずは、これだね」
書き物机を見つけて、その奥にシーラは手のひらより大きい絵を立てかけた。
ばっちゃんと、おっかんと、おっとんとシーラが描かれている大切な一枚。
その隣に一枚、小さな絵を伏せて置く。その古びた額の裏側を指先でそっと撫でる。
最後はシーラがミューに抱き着いている絵。
自分がモデルの絵はちょっと恥ずかしいが、おっとんが描いてくれた絵なのだから大切に飾る。
鞄の中を覗き込んで他に出しておかなくてはいけないものはないのを確かめてから、シーラは机の前に座る。
この日のために準備しておいた便せんを机に置いて、シーラはペンを手に取る。
ペンには筆記を補助する金具がつけられている。これは村のおっちゃんがシーラのために作ってくれたものだ。
まだ握力が不安定なシーラにとって、なくてはならない補助具。
他にも靴の紐をベルトに変えてくれたり、服のリボンやボタンを結ぶものではなくて飾りに変えてくれた。
それは村のみんなからシーラへ、村を守ったことへのお礼だ。
「――クリフさまへ」
口元に笑みを浮かべ、シーラは彼の名前に続き一文字目を書き始める。
手紙の内容は短い。到着の報告と、シーラが浄化士であると言われたことくらいだ。
「よし。さて、キー」
書き終えた手紙を小さく、そして細長くたたみ、シーラは部屋の隅の影に集まっている精霊のうちの一匹を呼ぶ。
ネズミたちは元々夜行性だからか、精霊の姿になっても日向よりも日陰を好む。のんびりしたい時は部屋の隅や毛布の下、はたまたベッドの下などに潜り込んでいる。
呼ばれたうちの一匹、黄色のリボンをしたキーがシーラの足元にやってきた。
シーラは椅子から降りて床にどさっと座る。途端、昼寝でもするのかと勘違いした精霊たちが全員シーラの元にやってきた。
「ちょ、ま、待って。くすぐったい、くすぐったいから」
「ゴッフ」
「ヂヂィ」
髭がさわさわとシーラの首筋をくすぐり、シーラはこらえきれずに笑い声をあげる。
ミューの首筋に抱き着き、これ以上の攻撃を避けつつふわふわの毛並みを楽しむ。
「あー、もう。ほら、これが終わってからね。キー、おいで」
「ヂ」
スカートをはいていることも気にせず床に胡坐をかき、シーラはキーを左手に乗せそっと首に巻かれたリボンを外す。
ネズミたちのリボンは一見ただのリボンなのだが、実はそうではない。
ニヤリとシーラは笑い、リボンの端をそっとめくると中が筒状になっている。そのわずかな隙間から、シーラは畳んだ手紙をねじ込んだ。
「完璧」
キーの首にリボンを戻し、指先で見た目を整える。まったく違和感がない。
あの女性に子精霊につけているリボンについて言われた時は焦った。だがこのままで良いのは助かる。
「キー、クリフさん、分かる?」
「チッ」
「クリフさんに届けて。あ、周りに人がいない、クリフさんだけなのを確かめてからだかんね?」
「チッ!」
キーが了解というように右手で髭をこする。それから緑色の尻尾をふわりと揺らし、窓辺まで走っていく。
どうやら窓から出たいようだ。
「ここ二階だけど、大丈夫?」
「ヂ」
問題ないと鳴くキーの頭を撫でる。
シーラが窓を開けると、黄色いリボンをした白ネズミは壁のでっぱりを見事に伝っていなくなってしまった。
「すんご」
「ヂ」
「ヂィ!」
「ッヂ」
シーラの声に、自分たちもできるとカーア、オーア、ドーリの三匹が鳴き声を上げて主張する。
シーラが微笑みながら振り向くと、ミューのくりくりの目と目が合う。
さすがにミューには壁を伝って降りるのは無理だろう。そうシーラが考えたのを感じ取ったミューが悲し気に鳴く。
「ごぅ……ふ」
あまりに情けない声に、シーラはたまらず吹き出した。
その時クリフ、正しくはクリストフは一人でいた。
一人で、さらに言えば非常にプライベートな空間にいた。
鎧の一部を外し、生理的な要求に応えていた。
つまり、厠、トイレだ。
普段から全身鎧を着ているからトイレもスムーズにできるようになったが、それでも時間はかかる。
用を済ませ取り外していた鎧を取り付けていた時、クリストフは奇妙な声を聴いた気がして顔を上げた。
「ヂィー」
「!?」
長身のクリストフが見上げる位置、厠の窓の桟にいつの間にか白いネズミがいた。
それはクリストフと目が合うと、壁の出っ張りを利用して彼の目の前の棚に移動してきた。
声もなく、クリストフは体をわずかに逸らせる。
カチャリと前立てと鎧が当たった。
「ヂ!」
ネズミが声を出し、まるで挨拶をするように小さな手で得意げに鼻をこする。
よくよく見れば、ネズミには黄色のリボンが巻かれている。
――精霊?
思い当たる精霊がいる。
まさかとクリストフがまじまじとそのネズミを観察していると、後ろ足で立ち上がったネズミは器用に前側にあるリボンの結び目をくるりと後ろに回した。
そして自分の首元に来たリボンの帯部分をトンっと小さな両手で叩く。
「ヂィ!」
「?」
白ネズミがふわふわの緑の尻尾を揺らす。意味が分からない。だがこの精霊は確実にシーラの精霊だ。
ネズミが短い両手をリボンの帯に当てて再度ポンっと叩いた。
そこに何かある。
やっとクリストフは理解し、そっと小さなネズミの首からリボンを外した。
カサリと帯の中からかすかな感触がする。両手を使って開けば丸められた紙片が出てきた。
――クリスさま
教会につきました。明日から研しゅうです。
私は浄化士だそうです。がんばります。シーラ
短い文章だ。たったそれだけを伝えるために精霊に手紙を運ばせるとはなんとも無謀な。
クリストフは呆れの混ざった息を吐き、手紙を腰につけた小さな袋に差し込む。
「返事はいるか?」
「ヂ」
答えが来ることを期待していなかったが、ネズミはさも当たり前だというように鳴く。
「少し待て」
ネズミに声をかけ、クリストフは手早く鎧の残りのパーツを着こんでいく。
カシッカシッと音を立ててはめ込み、最後に兜の留め金を確認して視線をネズミに戻した。
「来い」
歩きだすクリストフの足元を素早く白ネズミが続く。厠から出れば、そこにはクリストフの精霊である大型の鹿が待っていた。
「ヂ!」
「キュウ?」
元気よく挨拶するネズミに、鹿が「なんでお前がここに?」と言うように太い首を曲げる。
クリストフが歩みを止めることなく歩き続けると鹿とネズミが続く。
厠から建物内の廊下を進み、そのうちの一つの扉の鍵を開けて中に入った。
扉が閉まる前に隙間をするりと鹿とネズミが通り抜ける。
煌びやかではないが質の良い調度品が集められた部屋、その一番奥にある机へとクリストフは足を進める。
そして迷いなく椅子に腰かけ、引き出しから紙を取り出してペンを握った。
「全く……」
呟きは何に対してか。
教会の中で無防備に疑わしい手紙を出したシーラにか、それともそれを咎めることなく返信を書こうとしている自分にか。
クリストフは素早くペンを走らせる。
――シーラ殿
無事に教会に到着できてなによりだ。シーラ殿の力は浄化だけでなく癒しの力もあると私は思っている。
まずは研修で習うことを確実に習得し、浄化を続けるように。クリフ
はあっと兜の中で深く息を吐き出す。
今まで何度か手紙のやり取りをやめようと考えたが、聖女とその夫君の圧力に負けてそのまま続けている。
今までは夫君を通して届けられていた手紙。返事を書かねば催促が来た。
くるくると紙を丸めるとクリストフはネズミを呼び寄せた。
「帰り方は分かるか」
「ヂ!」
リボンの中に手紙を潜ませ、ネズミの首にかける。
ネズミはその向きを整えてクルリと結び目を体の前に持ってきた。
自信満々な鳴き声に、クリストフは太い指先でその頭から体をすっと撫でる。心地よかったのかくすぐったいのかネズミはブルリと大きく体を震わせた。
それから鼻をこすってからクリストフに真ん丸の背中を向け、素早く走り出した。
クリストフと鹿の視線がネズミを追う。白いネズミは部屋の床を斜めに駆け抜け、クリストフも全く存在を知らなった壁の隙間へと消えていった。
数秒、クリストフはじっとその隙間を見つめる。
一瞬埋める手配をしようか迷ったクリストフは、今後も来るかもしれないネズミのためにそのままそれを残しておくことに決めた。
「行くぞ」
クリストフはちらりと壁の隙間を一瞥し、また立ち上がる。
向かうのは彼の任務対象――聖女の元だ。
右手が自然と腰袋に当てられる。機会があれば、手紙を聖女に見せられるかもしれない。これまでの手紙も漏れなく彼女と共有している。
今日シーラが教会に来ることは聖女も知っているから、間違いなくソワソワ落ち着きなく待っているだろう。
いや、表面上は取り繕っていて、聖女の精霊である熊がせわしなく部屋の中を歩き回っていそうだ。侍女がまたおびえ切っているに違いない。
その光景が鮮やかに脳裏に浮かび、クリストフは歩く速度を上げた。