2-2. 治癒士じゃない
途中の町でネズミたちを遊ばせ、時に瘴気の濃い場所を浄化しつつ、二日でシーラとおっとんは教会のある町にたどり着いた。
「それじゃ、僕は絵を卸しに行くね。シーラ、何かあったらすぐに言うんだよ。ネズミを送ってくれれば気づけるから」
「うん。おっとんも、絵に夢中になって食べるの抜いたらあかんからね。ちゃんと寝てよ」
「分かった。シーラに癒してもらったし、長生きしないといけないからね」
ぽんぽんとおっとんが右足を叩く。足が治ったのに相変わらず杖をついているのは、その方が絵描きっぽくってスタイリッシュだからだそうだ。
芸術家の感性というものはシーラには理解不明だが、おっとんの雰囲気に似合っている気はする。
どうせなら田舎感丸出しの麦わら帽子より、もっと、それこそスタイリッシュな帽子をかぶったら良いとも思う。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「ゴフ」
「「「「ヂヂ」」」」
「ケエエ」
精霊たちもそれぞれ別れを惜しむように鳴き声を交わす。
今シーラと一緒にいるのは親精霊であるミューと、色分けされた組のリーダー格である四匹。一番最初に出会った子ネズミたちだ。
名前は赤リボンのカーア、青リボンのオーア、緑リボンのドーリ、黄色リボンのキー。色も分かるし名前も分かりやすい。ちなみに彼らを呼び寄せる時は「カーオードーキー」となる。
情けない感じの響きが面白くってシーラは気に入っている。
彼らの子分であるほかの子ネズミたちは教会が近づいてから、一匹また一匹と馬車から降りて町の中へと消えていった。
きっと夜にはシーラの元に集まるだろう。
ここにいたらいつまでも離れられなくなりそうで、シーラは旅行鞄をぎゅっと握って笑みを浮かべた。
「それじゃ! またね!」
「ああ! また!」
最後におっとんと視線を合わせて笑いあう。
これからは離れ離れ。でもまた会える。家族なのだ。
生きていれば、必ずまた再会することができる。
頷いてシーラはくるりと後ろを向いた。その隣にミュー、ミューの背中にはカオドキ四体がちゃっかり乗っている。
シーラが足を一歩前に踏み出せば、ミューも短い手足を動かして進み始める。
精霊がいて良かったと心から思う。死ぬまでずっと一緒にいてくれる存在が力をくれる。
「ありがとうね、ミュー」
「ゴッフ」
ささやくような声に、ミューが答える。
どんなことがあっても、精霊と一緒なら乗り越えられる。
「頑張れ! シーラ!」
おっとんの後押しする声が後ろから聞こえた。
シーラは振り返りたくなる衝動を唇を引き結んで抑え、握った左手を空に向けて突き上げた。
「あなたは浄化士ね」
教会に入ってすぐ、予定の面会時刻に現れた黒縁眼鏡をかけた女性はシーラの力と特性を聞いてそう告げた。
「え? あたし、ヒーラーじゃないん? ですん?」
「ヒーラーは治癒士。人間の怪我や病気を治しますが、あなたは瘴気の浄化ですのでヒーラーではありません」
慌てたシーラの口から微妙な敬語が飛び出す。
女性は気にした様子もなく治癒士と浄化士の違いを告げた。
「たし、かに?」
そう言われてみれば、瘴気を浄化してばかりだ。
野菜、畑、精霊、おっとんの怪我――これらはすべて瘴気が絡んでいる。
逆に考えれば、風邪や怪我の治療はしたことがない。
村の人たちが健康すぎるし屈強過ぎて需要がなかったのもあるかもしれないが。
「えー、じゃ、シーラはピーラーでヒーラーだって言えない」
「はい?」
「あ、独り言です」
好きなフレーズだったのだが、これからは浄化士と言わなければいけない。
ピーラーで浄化士。普通過ぎる。いや、何か奇天烈なものを求めてなどいない。
ピーラーでヒーラーより無難な響きなだけだ。良いではないか。無難。
そう、シーラは真の姿を隠した凄腕浄化士なのだから。
フンスっとシーラは鼻息を飛ばし、口の右側だけぐにゃりとまげて明らかに何かよからぬことを考えていそうな顔をする。
正面に座る女性は眼鏡の奥から冷静にシーラを見つめ、次にシーラの座る質素な椅子の隣に伏せているミューへと視線を向けた。
「そこまで大きくないようですね。人によっては部屋に入れない精霊を連れていることもあるので」
女性の言葉にシーラは殺風景な部屋を見回す。
尋問でもされるのかと思うほどに何もない。広い部屋に木製の椅子が二脚、ただそれだけだ。
しかし女性の言葉に、連れてこられた新規の精霊によってはこの部屋でも手狭になることがあるのだと気づいた。
「大きすぎると教会の中で一緒に過ごせないんじゃないですか?」
シーラの言葉に女性は小さく頷いてから、眼鏡の中央を右手の中指で押し上げた。
「大型魔獣を連れている場合、全員浄化士も治癒士も関係なく同じ場所に集められます。被害が出ないために」
「被害……」
「小さな精霊が踏みつぶされてはたまりませんから」
そう言って女性は子ネズミたちへと視線を向けた。目の奥が温かく見えるのは、もしかしたら小動物が好きなのかもしれない。
「精霊は瘴気以外では死ぬことはないと聞きますが」
「ええ。その通りです。怪我したように見えても時間がたてば復活します。だからと言って精霊を傷つけたり蔑ろに扱ったりすることは許されません」
「はい。それは絶対にしません」
「よろしい」
女性は頷いて、持っていた書類ケースの中から小ぶりの袋を取り出した。
差し出されたそれを両手で受け取り、シーラは女性に確認を取ってから中身を確かめる。ペンダントトップのような銀色のプレートが出てきた。
「それはチェーンや皮ひもなどに通して、精霊につけてください。教会には外部からの来訪者も多くいます。教会所属の精霊と識別するためのものになります。子精霊の分までは今日は準備できませんでしたが……首元のリボンはあなたが?」
「はい。区別するためにつけてます」
「良いでしょう。今の教会にはネズミ型の精霊はいませんので、よっぽど間違えることはないと思います」
頷いて手元の紙に何か書き込む女性。
シーラは彼女の言葉が気になって聞いてみる。
「全員の精霊を把握しているんですか?」
「ええ。精霊の協力があってこそ浄化士や治癒士は力を発揮することができます。精霊との関係が良好か、状態はどうかなど定期的に確認に入らせていただきます」
「分かりました。ミューとはもう二年半の間柄なので大丈夫です」
「そうですか」
カリカリとシーラがミューの頭を掻くと、ミューが鼻を上げて嬉しそうに眼を細める。
その様子を見て女性が安心したように瞳をやわらげた。
「良かったです。中には現れた精霊をどうしても受け付けられず、引き離してほしいと教会に願いに来られる方もいらっしゃいますから」
「そんなことが? せっかく精霊が来てくれたのに?」
シーラは精霊が来るのを二年も待った。ミューが来た時は瘴気堕ち寸前の危険な状態だったけれど、それでも出会えて嬉しかった。
やっと出会えた精霊を引き離して欲しいと願うなど、考えたこともなかった。
女性も悲し気に目を伏せる。
「ええ……ですが、一般的な女性はぬめぬめした生物やギョロギョロした生物、カサコソした生物はお嫌いなようですので」
「あ、なるほど」
シーラはすぐに合点する。
村のおっちゃんの精霊であるテントウムシを思い出す。あれも分類では昆虫だ。
ばあちゃんの精霊も蝶だった。これらは”良い”ほうの形だろう。世界には様々な形の虫がいるのだから。
他にもカエル、ヘビ、トカゲなどの精霊を見たことがある。女性や一部の男性にとって四六時中一緒にいられるには厳しいのかもしれない。
「精霊はすべて尊い存在ですのに、その見た目で判断するなど愚かしく弱い人もいるものです」
「そうですねぇ」
人よりも精霊への愛のほうが大きそうな女性に、シーラはくふりと笑いを漏らす。
治癒士ではなかったのは残念だが、浄化士として頑張ろう。
カリカリとミューの頭を爪先で掻きながらシーラは決意を新たにした。