2-1. シーラ、出立
お待たせいたしました。第二章開始です。
章タイトルはなんと「シーラはヒーラーではない。」
ピーラーでヒーラーやってます。ーー完ーー
……ではありません。
さあ~、お楽しみに!
シーラは広がる畑の前で両手を高く上げ、大きく伸びをする。
足元をちょろちょろと首元に色とりどりのリボンを巻いた白いネズミが駆け回り、後ろから親精霊がドンっとシーラの背中を押した。
「うおっとっとっと。ちょっと、ミュー。強い強い」
「ゴッフゴッフ」
たたらを踏みながら、シーラは左手を後ろに回して親精霊ミューの頭をぐりぐりと撫でる。
手入れされたふわふわな白い毛が気持ちいい。ミューも撫でられて嬉しいのか、クリクリの丸くて黒い目を細めた。
シーラと親精霊が出会って二年と半年。瘴気焼けで不自由になった両手は、日常生活に支障がない程度には回復した。
その一方で右手から肘、そして左手には今も赤黒い痕が残っている。
これはあと数年もすれば目立たなくなるとは言われているので、シーラとしても特段気にしていない。
村のおっちゃんたちはそんなんじゃ結婚出来ねえなんて言ってくるけど、それがどうしたと言うのだ。
瘴気焼けの痕ごときで二の足を踏む男どもなんぞ、こっちから願い下げだってんだ。
フンっと鼻息を飛ばしてシーラは気合を入れる。
「シーラ、準備はできたかい?」
馬のローを引っ張って出てきたおっとん。ローが引く荷車にはもうすでにシーラの荷物が積み込まれていた。
そう、シーラはついに今日、住み慣れたこの家を出て教会に向かう。
教会についてのアレコレはおっとんとクリフ様からそれなりに情報はもらっている。なかなか手ごわい場所っぽい。
ただ、おっとんからはいざとなったら親精霊ミューの全力を見せればいいと言われた。
つまりシーラの真の姿を見せつければ誰もウダウダ言えなくなるということだ。これは何が起こっても余裕の笑みを浮かべて軽くあしらえる。
その光景を考えるだけで、シーラの鼻はミューたちのようにひくひくと動いた。
「ひひひ」
「ゴッフッフ」
「ヂヂッヂュ」
シーラ、親精霊ミュー、そして白ネズミ四体がそろってにんまりとした笑みを浮かべる。鼻も引くひく動き、なんとも不気味だ。
「シーラ、お願いだから、その顔は教会では控えてね。せっかく可愛い顔してるのに……」
「おっとん、そんなこと言うの、おっとんだけだから」
苦笑いを浮かべ、シーラはミューが荷台に乗り込むのを手伝う。
荷台から地面に斜めに立てかけられた板を、短い後ろ足をピコピコ動かしてバランスを取るミュー。
後ろから見ると、真ん丸なおしりとファサファサしたニンジンの葉っぱのような緑の尻尾が揺れて悶絶しそうなほどに可愛らしい。
ミューの可愛らしさを目の当たりにするたび、自分の精霊を助けることができて良かったと心から思う。
だからシーラの両手の瘴気焼けは、シーラにとって何よりも大切な勲章なのだ。これを馬鹿にするものは──
「フッフッフ」
「シーラ?」
「んにゃ、何でもね」
「そうかい。ちょっと邪悪な笑みになってたから気を付けてね」
「うん。大丈夫」
「やっぱりお母さんに似てきたねぇ」
なぜだかこの笑いをする度、おっとんは目を細めて感慨深げに呟く。しんみりとしたその声にシーラの胸が締め付けられた。
教会に入ったら、よっぽど何かをやらかさない限り二年間は教会で暮らす。
その後は教会の中に住むか、外に住むかを選べるそうだ。結婚して家庭を築くと教会の外に住んで通う人もいるという。
結婚はまだまだ考えていないが、二年の間に教会の中の生活が合っているかどうか見極めればよいだろう。
「ゴッフゥ」
「チッ! ヂヂヂ!」
やり切ったと言うようにミューが荷車の前側に陣取って声を上げる。その周りを四匹の白ネズミがせわしなく駆け回る。
そんなネズミたちの頭を軽く撫で、シーラはくるりと振り向き、畑の方へと大声を上げた。
「行くよー! おいでー!」
「ヂィ!」
「ヂュ!」
「ヂヂッ!」
「チッヂィ!」
にぎやかな声と共に、畑や敷石の間から続々と出てくるネズミたち。彼らは荷車に渡された板を駆け上がり、嬉しそうにミューの足元へと集まった。
「赤組五匹、青組五匹、黄組五匹、緑組、三匹?」
集まったネズミたちのリボンの色で数を確認する。四色のリボンはそれぞれ五匹に巻かれているのだが、緑組の数が足りない。
それにここにたどり着いた三匹も真っ白ではなく、どこか薄汚くなっている。
シーラは腰に下げたピーラーを持ち上げ、緑のリボンを巻いたネズミの周囲にシャシャッと走らせる。案の定、黒いモヤがすぐに浮かんで消えた。
ため息を吐き、シーラは顔を上げて普段緑組が遊んでいる方角を見つめる。どうやら出発はちょっとだけ遅くなりそうだ。
「おっとん、ちょっとあっちが怪しい」
「いいよ。馬車で行けるとこまで行こうか」
「ありがとう」
シーラは板を持ち上げて荷台に雑に放り込み、後ろ向きで荷台の端にぽんっとおしりを乗せた。
おっとんはシーラが乗り込んだのを見て頷き、馬のローに合図をしてゆっくりと車輪が回りだす。
足をぶらぶらとさせながら、シーラはちょっとずつ離れていく家の玄関を眺める。
この村に移り住んだのは、もう十年ほど前になる。シーラが十歳の時だ。
引っ越してきた当時の記憶は曖昧だが、ここがシーラの新たな故郷になった。そうせざるを得なかった。
赤く渦巻く光と、誰かの泣き叫ぶ声と怒号。おっかあの後ろ姿がぐにゃりと歪んで絵筆を洗うバケツの様に揺れる。
ああ、ここはシーラにとって温かく心地よい逃げ場だった。でももう先に進まねばならない。
「バイバイ」
広がる畑の中にたたずむこじんまりとした家に向かって呟く。その声はガラガラとうるさく響く車輪の音にかき消された。
言い表せない悔しさに、シーラは肺いっぱいに空気を吸い込む。腹の底から大きな声で、もう一度家に向かって叫んだ。
「バッイバーーーイ!」
「うわぁ!?」
「ゴッフ!」
「「「「ヂヂヂヂヂ!」」」」
「クエェーーーー!」
父親やネズミ精霊の声に続き、鳥型の精霊ズーが翼をばたつかせて飛び上がる。
シーラはやったとばかりに、吸い込んだ息を吐き出した。
人生はこれから。おっとんもおっかんも、精霊が来てから人生が始まるのだと言っていた。
ここからが、シーラの始まり。ヒーラーとして、新しい一歩を踏み出すのだ。