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 悪役令嬢は穏便に暮らしたい 〜5〜


「懐妊だとっ?」


「エカテリーナ…… あなた」


 驚愕で顔を強張らせる両親に、薫は妊娠をカミングアウトした。どうせ隠しおおせるモノでもない。いずれは姿を消すとしても、事情は話しておくべきだろう。


「……まあ、お察しとは思われますが、王太子様の子です。ですが、わたくしは王宮に乱を起こしたくございません。地位や寵をいただこうとも。兄上の悪巧みで出来た子供に未来はないでしょう。なれば、どこか人知れぬ田舎で、静かに母子で暮らしたく存じます」


 言葉もなく娘の言葉を静聴する伯爵夫妻。


 いくら娘溺愛とはいえ、彼等は貴族だ。それも王家を直に支える筆頭貴族。当然、父伯爵はエカテリーナの話を理解した。


「……処分するわけには?」


「犬猫ではないのですよ、御父様」


 暗に事を闇へ葬ろうとする父。堕胎できなくば、赤子だとしてもという意味だろう。


「養子に出すという手もあるのよ?」


「生まれてみなくては分かりませんが、王太子様そっくりに育ったらどうなさるおつもりか。色目だけでも王家は特別なのですよ、御母様」


 そう。王家の色は独特だ。


 教師に学ぶようになって、薫は、知らないアレコレに気づいた。色目も確かに問題だが、何より問題だったのは頭蓋骨の形。これは王家の中でも直系男子にしか現れない特徴なのだ。

 万一、チビがその頭骨を持って生まれてきたら、弁解の仕様もなく王家に奪われるだろう。だからといって彼等が庶子を正当に扱うわけはない。チビには悲惨な未来が待ち受けるだけ。


 エカテリーナの説明に、天を仰ぐ伯爵。


「……そなたは、それほどまでに王太子殿下を?」


 ……は?


 やるせない眼差しで薫を見つめる両親。


 あ…… あー、そっか。エカテリーナは王太子に御執心で、あれやこれやとやらかしてきたんだっけ。


 忘れ病のふりをしているが、今でもそのような気持ちを捨てきれないのだろうと伯爵夫妻は誤解しているみたいだ。

 ふっと薄く笑い、薫は清々しい顔で否定する。


「わたくしも子供だったのですわ。王子様に憧れる夢見がちなね。以前を忘れた今、そう思うのです」


 複雑な色を浮かべたままな両親。彼等にすれば割り切れないモノもあるだろう。薫がエカテリーナに憑依して半年。二人がどれだけ娘を可愛がっていたのか、実によく分かった。

 そして彼等がエカテリーナを増長させたであろことも。息子も然り。

 何でも正当化出来る財力と権力。家族以外を虫けらごとく扱う、ある意味、とても貴族らしい貴族。

 身分に敬意は払うが、ただそれだけ。それ以下でもそれ以上でもない冷徹さ。これは王族に関しても変わらない。

 それだけの態度を取れる家門なのだ。国の成り立ちから深く寄与してきた古参貴族。それがアンダーソン家である。

 そんな家の一粒種たる息子と娘。その甘やかしぶりたるや推して知るべし。建国以来の重鎮には、かなりの悪事でない限り国王すら物申せない。


 まあ、そんなもんよなぁ。でなきゃ、弟王子に唆されたとはいえ、狡賢いエカテリーナが王太子を襲おうなんて考えもしまいて。


 軽く嘆息し、彼女は親の甘さにつけこむ。


「やたくしは何も望みませんわ。ただ、この子が愛しいのです。親子二人で静かに暮らしたく思います。けど…… 兄上が、この子のことを知れば、要らぬ野心を抱きましょう。それだけが心配で……」


 物憂げに俯いて見せ、薫は伯爵夫妻の反応を窺った。

 これに関しては伯爵も同じ穴の狢だろう。野心なくして筆頭貴族はつとまらない。兄は貴族の悪い部分のみ特化しているが、そこに狡猾さの加わる父伯爵こそがお腹の子供の利用価値を熟知している。

 やや緊張感のただよう室内の空気。しかし、薫の心配を余所に、伯爵は大きく頷き、重い口を開いた。


「それが望みであるなら、私が叶えよう。アレに余計なことはさせん。生まれてくる子が男であろうが、女であろうが、それはアンダーソン家の孫で、王家のモノではない。……この先、お前の行く道は針のむしろだ。子がおろうがなかろうがな。そんな社交界に戻るより、腹の子がエカテリーナの慰めになるというのなら、私に異存はない。心安らかに暮らすが良い」


「……そうね。わたくしも貴女達を産んで、とても幸せな暮らしをしてきたわ。良いお祖母ちゃんににりましょう」


 穏やかな面持ちの二人を凝視して、顔は脳内に天使のラッパが響き渡るのを感じた。彼らは静かに子供と暮らしたいという彼女を肯定してくれたのだ。これ以上に頼もしい後ろ盾はない。


 ……やったっ!


 最悪、出奔も覚悟していた薫は、思わぬ福音に諸手を上げる。心の中だけでだが。


 そうと決まれば話は早い。


 子を思う親心を擽り、彼女は早速出産の準備に取り掛かった。




「丁度良い別邸が南にあるの。王都から馬車で二十日ほどね。ここなら噂雀な貴族もいないし、自然が豊かで長閑な街よ? 子育てに最高の場所だと思うわ」


 わくわくと眼を輝かせて、薫はフーに説明する。


「良いと思われます。従者はどうなさいますか? ……正直、辺鄙な場所ですので、伯爵家の者は行きたがらないかと」


 言われて薫も得心顔をした。


 伯爵家の使用人は貴族ばかりだ。平民の下働きに殆どの家政を任せ、お仕着せを着る者らは優雅な仕事を担当している。そんな彼等が王都を離れ、片田舎の別邸へなど行くわけがない。


「まあ最悪、フーさえいてくれたら身の回りには困らないしね。別邸には別邸を管理する使用人もいるし。それで賄いましょ」


 僕さえいたら良い……


 何気ない薫の一言は、深く少年の胸を掴んだ。


 恍惚と微笑むフーに気づきもせず、彼女は精力的に駆け回り、あっという間に支度を整える。

 

「出産に必要な物は揃ったし、マタニティ用品も特注済みなのが届いたし。あとは、あちらで買えば良いわね」


「随分と急がれるのですね。お腹も目立つようになってきたばかりです。もっと安静になさった方が……」


 やや心配げな顔で薫を労るフー。素直なソレに苦笑いを浮べ、薫は三日とおかず届く手紙を引き出しから出した。


「どうもね〜、王子にバレてる感じがするんだわ」


 開封した中の手紙には、金輪際、御互い一切関わらないという部分を訂正したい。出来るなら、もう一度話し合いたいと切々に綴る文面。

 どうして今更そのようなことを言うのか。思い当たる節のない薫は、彼がお腹の子供に気づいたのではないかと邪推した。

 実際、他に考えられない。薫の妊娠に気づかれたのだとしたら、おいそれと王宮には向かえない。

 この世界は生粋の中世だ。邪魔だと思えば簡単に殺すし奪う。謀にかかったうえ、子供まで出来たとなれば、王族な彼等がやろうとすることなど簡単に思い浮かぶ。

 エカテリーナを亡きものに。あるいは、お腹の子を殺そうと企むだろう。


 怖や、怖や。君子、危うきに近寄らずよね。


 ふぅっと溜め息をつきつつ、薫は遠くにそびえる王宮を見つめる。


 その王宮では、今や遅しと返事を待つ王太子。




「まだ返事は来ぬのかっ?」


 飽きもせず冬眠前の熊のように所在なさげでウロウロ歩き回る彼に、側近たるウォルターが無言で手を振った。その仕草から目的の便りは来ていないと察し、どよんっと項垂れるナイトハルト。


「……約定を交わしたではないですか。あちらは応じる気がないという意思表示でございましょう。諦めて下さい」


「そんな……」


 絶望に顔をゆがめ、ソファーに身を投げ出す王太子を胡乱げに見守り、ウォルターは以外そうな顔を窓に向ける。

 あの傍若無人な悪女の態度とは思えない。誇大された噂もあろうが、王太子に言い寄ろうとするエカテリーナを散々阻止してきた彼は、それなりに彼女を知っていた。

 悪い意味での貴族らしい貴族。弟王子の側近たる彼女の実兄は、それに輪をかけた愚か者。そんな印象しかない兄妹が、人のいない隙に盛大にやらかしてくれたとウォルターは憤っていた。


 ……なのに、蓋を開けてみればだ。


 件の話し合いで始終穏やかだったエカテリーナ。むしろ謙虚で思慮深く、こちらの提示した約定をすんなりと受け入れる慎ましさ。

 あまりの豹変ぶりに毒気を抜かれ、ウォルターは噂とは当てにならないものだと、つくづく思い知った。自分の知る彼女も、ある意味、一面でしかなかったのだろう。


 もう終わったことだ。


 ウォルターの視界で風に揺れるカーテン。彼の心に微かな後味の悪さを残し、薫は王都から脱出する。




「自由だわーっ!」


 ようやく訪れた安寧に、馬車の中で喜色満面な少女。


 だが彼女は知らない。多くの人々が、彼女の後を追ってくる事を。




「……もったいない。まだまだ教えることは沢山ある。もう、わしも歳じゃしな。どこかに引きこもって隠居するのも良かろうて」


 エカテリーナから暇乞いの挨拶を受けた老ホイットニーは、好々爺な面持ちで侍従らに旅支度を指示した。




「もう出られたと? 私には何も言わずに?」


 驚愕の眼差しでメイドを見つめるのはエカテリーナ付きの筆頭執事スチュアート。

 彼は、まさか自分が置いていかれるとは思っていなかった。少なくとも声くらいはかけてもらえると思っていた。

 彼女が別邸に向かう理由も知らないが、いずれ話してもらえると。

 ぐっと拳を握りしめ、踵を返すスチュアート。そんな彼の葛藤も理解せず、エカテリーナを送り出したメイドらはコロコロと笑い、談笑する。


「一安心しましたわ。遠い僻地と聞いて、ついてくるように言われたらどうしようかと思っておりましたもの」


「お察ししますわ。せっかく王都の貴族に仕えられたのに。片田舎では楽しみもございません」


 何気ないメイドらの会話。それを耳にして、スチュアートは軽く眼を細めた。


 ……ああ、そういうことか。私もそのように見られたのだな。


 悪意もない、当たり前な貴族の会話である。


 あの聡い御嬢様が、邸内の心無い声に気づかぬわけがない。だからこそ誰にも声をかけず、黙って伯爵邸をはなれたのだろう。


 舐めないでいただきたい。こちらは生まれる前から貴女様の筆頭執事にございます。たとえ地の果てであろうと、お供仕りますとも。


 スチュアートはエカテリーナを追うべく伯爵に暇乞いをし、快く承諾された。


 翌日、馬車で別邸に向かおうとしたスチュアートに、おずおずと声をかける者がいる。


「……あのっ、エカテリーナ御嬢様が邸を離れられたと聞きました。フーも共に。執事様は御嬢様の元へ向かわれるのですよね?」


 質素な身なりの下働き。脇にズタ袋を抱えた格好は、今から仕事にでも出かけるような姿だった。


「そうだが?」


 冷たい一瞥を寄越すスチュアート。だが、下働きの男性は持てる勇気を奮い起こし、深々と頭を下げた。


「俺もお連れくださいっ! 庭仕事が専門ですっ! 別邸にも庭師は必要でないですか?」


 驚くスチュアートだが、先程の言葉に引っかかるものを感じ、ふっと眼を和らげる。


「そうか、そなた。フーの養い親であったな」


 両手の指を胸の前で絡め、下働きの男性はコクコクと頷いた。縁は遠くあれど、その親心に変わりはない。息子が遠方へ旅立ったと知り、その傍にありたいのだ。


「良かろう。下働きの一人くらい、私の一存で連れてゆける。御者と共に乗れ」


「ありがとうございますっ!!」


 満面の笑顔でズタ袋を抱え、御者の隣に座る男性。


「では、よろしく頼むな、ネール」


 スチュアートに名前を呼ばれ、一瞬眼を丸くする庭師。それにシニカルな笑みを返し、スチュアートは馬車へ乗り込んだ。


 ……御偉い執事様が、俺の名前を。


 へへっと面映そうに鼻をこするネール。


 彼は伊達にエカテリーナの執事をやってはいない。彼女に関係する者は、末端であれど調べ尽くしているスチュアートである。当然、エカテリーナが可愛がっている新人従者のことも確認済み。


 アレ一人では頼りない。すぐに私が参ります、お嬢様。


 それぞれの思惑を胸に、誰もが薫を追っていく。


 そう、王太子すらも。




「遠方に静養だとーっ?」


 エカテリーナが王都を出たと聞き、ナイトハルトは頭を抱えた。


 やはりまだ身体が…… そうだ、数ヶ月も意識不明だったのだ。そう簡単に癒えるわけがない。むしろ、静養が必要なほど酷くなっているのではあるまいか?


「御典医を呼べっ! すぐにでも彼女に向かわせるんだっ! 治すまで帰還はならんっ! いや、私が……っ!」


 オロオロ狼狽えるナイトハルトに褪めた一瞥をくれ、ウォルターは心底呆れ果てた。

 どんだけすげなくされても諦めないのは見上げた心意気だが。いい加減にしろぉぉっっ!!

 喉元までせりあがった言葉を無理やり飲み込み、ウォルターはつとめて穏やかに口を開く。

 

「……ならば私が確認して参りましょう。不用意に御典医を遠方へ送るわけにはまいりますまい。本当に容態が悪いようなら、改めて検討いたします」


「私もっ!」


 すがるような王太子の胸倉を掴み、鼻先が触れ合うような近距離からウォルターはナイトハルトを睨めつける。


「お、ま、え、はぁぁっ! 仕事をしろぉぉぉーっ!!」


 積み上がった書類の山。それを指差して怒号をあげる側近に、さすがの王太子も頷くほかない。

 あの話し合いの一件から、何も手につかずエカテリーナへの手紙ばかりを書くナイトハルト。当然たまっていく仕事の山を見上げ、うんざりと天を仰ぐウォルター。

 さすがに黙ってはいられないと、今回のことを餌に、彼は王太子に仕事をさせようと試みる。


「俺が行って、逐一報告を入れてやるからっ! 絶対に仕事を滞らせるんじゃねぇぞっ!」


 口調を変え、息を荒らげて怒鳴りまくる側近筆頭に高速で頷き、王太子は泣く泣くウォルターを見送った。


「必ず知らせるのだぞーっ!」


 涙目で両手を振るナイトハルトが見えなくなったあたりで、ウォルターは大仰に頭を掻きむしった。


 どつしてこうなるかなぁぁぁぁ!?


 不本意を顔全面に浮べ、彼もまた薫の後を追う。


 こうして予期せぬ人々が集まり、薫の周囲は賑やかになっていくのだが、束の間の自由を満喫する彼女は知らない。

 

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