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悪役令嬢は穏便に暮らしたい 〜3~

「気持ち悪い」


「は?」


 フーはテーブルから離れると食堂を後にした。ただただ呆然とする料理人や使用人達。


「なんだ、あれ……」


「気持ち悪いって、元々愛玩奴隷だったアイツの方が気持ち悪いじゃないか」


 先に賄いを食べていたフーと同席した侍従が、それとなく適当な話題を振り会話を試みた結果、彼はすげなく袖にされてしまう。一部始終を見ていた料理人見習いが、悪態をつく侍従に同意を示すが、料理長は周囲に鉄壁を張り巡らすフーが気になって仕方なかった。


 不幸な事故で昏睡状態となったエカテリーナが目覚めてから、フーは侍従として働くことになり、その教育を彼女の執事が任されたのだが、妙に頑ななフーは仕事そのものは覚えるものの、邸の誰とも一切の人間関係をもたないのだ。

 元は庭師の息子で下働き。従僕らとは一線を持たれる身分だったのだし、御嬢様の命令とはいえ、いきなり邸の使用人らと同格になった戸惑いは分からなくもないと料理長は思った。

 だが、何かが腑に落ちない。少年の眼に浮かぶのはあからさまな嫌悪。怯えにも似た光が宿り、まるで全てを拒絶するかのような態度なのだ。


 いったい何が?


 首を傾げる料理長をエカテリーナづきの執事が胡乱げに見つめていた。




「フーが?」


「はい、やけに憔悴して疲れた様子です」


 奇麗に撫でつけた金髪の男性は、感情の浮かばない瞳で冷静に報告する。

 エカテリーナづきの執事である彼の名前はスチュアート。某伯爵家の三男坊で、王宮の文官を目指していたが、こちらの方が給与が良かったため、さくっと鞍替えしたらしい。

 実直で真面目だが少し固すぎるきらいのある男性だった。

 その彼の報告を受け、薫はしばし眼を伏せる。


 教育過程に問題はないというが、人間に対する機微や忖度に難があるようだ。


 まあ、経緯が経緯だしね。大人は恐怖の対象なんだろうなぁ。特にガタイの良い男性は。


 エカテリーナの記憶にある情人達。束の間の者もいれば、侍って数年という古参の者までいる。それらの男どもに共通していたのが筋肉だった。

 とにかくエカテリーナは筋肉好き。隆々たる体躯の男性に抱きしめられ、組み敷かれることに至福を感じるガチの色狂いである。時には複数で行われた淫らな閨事に、否応なく巻き込まれたフーは堪ったものではない。

 そういったアレコレがあるため、少年は怯えているのだろうと薫は考えた。


「そうね。一度聞いてみるわ。何かしら悩むこともあるかもだし」


 執事に指示してフーを呼び出し、薫は話を促す。そして思わぬ少年の告白に眼を丸くした。


「……気持ち悪い?」


 唖然とする薫の前で、フーは小さく頷く。


「今まで僕のことを奴隷扱いして、食べ物も欠片ていどを床に投げていた連中が笑うんですよ。皿に入れたモノを笑顔で差し出すんです。……気持ち悪くないですか?」


 他にも自分でやらされていた洗濯や掃除をメイドらがしたり、内緒ねとか言って御菓子をくれたりと、邸の中でのフーの待遇がガラリと変わったのだという。彼は、それが気持ち悪くて仕方ないらしい。


「僕は何も変わっていないのに。今までどおりにしてくれれば、僕も何も考えずに済むのに…… これまでの事を謝ってきたりする奴等もいて…… 本気で謝るわけないのは知ってるんです。でも、謝ってるんだから許してやれよみたいな空気が出来て…… 気持ち悪くて」


 分からなくはない。現代思考の薫は思う。


 自分が楽になりたいがために偽善や謝罪に走る奴等は腐る程いる。そんな上滑りなモノは確かに気持ち悪いだけだろう。むしろ腹の奥から沸々と怒りが沸いてきそうだ。

 要は、エカテリーナの従僕となる事が決まったフーは、他の使用人らより一段上になる。役職的にはだが、それを慮り今までのイジメや虐待の事実が浮き彫りになることを恐れたに違いない。

 なので今のうちに謝罪し、和解した形に持ってゆきたいのだ。


 ……姑息な。


 思わず宙を胡乱げに見つめる薫の前で、フーは、とつとつと言葉を続けた。


「毎日のように謝ってきて…… 僕が、もういいって言うと、許してくれるんだな? って…… ふざけるな、誰が許すか。無駄だし目障りだから、もうやめろって意味だって言うと ……まるで僕が悪いみたいな空気になるんです」


 あああ、まるで眼に見えるようだわ。


 薫は頭を抱えた。


 薫が学生の頃にも、よくあった話だ。学生同士に諍いが起きると、先生達が双方の話を聞き、適当な落とし処を作って御互いに謝らせる。そして手打ちに持っていこうとする残念教師たち。

 だが、そんなのは上辺だけだ。一方的にやられたのに喧嘩両成敗と謝らせられた生徒は、ずっと根に持つ。さらには、謝ってるんだから許してやれよ、こんなに謝ってるのに許さないなんて酷い奴だな的な空気が漂い、許すと言うしかなくなる気の毒な被害者ら。

 そんな被害者の葛藤を余所に、周りを味方につけてペロッと舌を出す小狡い加害者ども。

 何処も同じよなあと思いつつ、薫はフーの手を握った。


「許さなくて良いのよ? フーは悪くない」


 はっと顔をあげ、少年は主を見上げる。


「アタシだってフーに嫌なことばかりしてきたから、こんなん言える立場じゃないんだけど。少なくとも、もうフーに嫌なことをしようとは思わないし、これからも傍にいて欲しいと思ってるの。許してもらおうなんて思ってないから安心して? 許されることじゃないと思うし。だから、何も考えずに傍にいてね?」


 許さなくて良いのだと言われ、フーの眼から涙が零れ落ちる。


 叱られると思った。執事のスチュアート様には叱られた。子供じみた恨み言を述べるなと。仕事として割り切れと。実際、そうしてきたのに、しつこい連中が多くて辟易した。

 面倒事から解放されるなら、上辺だけ許したふりをしようかとも思ったが、心が叫ぶのだ。


 ……ふざけるなっ! と。


 どうしたら良いのか分からなくなり、今度は何もかもが鼻について気持ち悪くなる。今までどおりにしてほしかった。薄ら笑いを浮かべて優しげな顔をしないでくれ。

 フーは全身が粟立つほど寒気が止まらない。


 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。


 その最大の加害者であるエカテリーナ。

 しかしフーは覚えている。

 誰にも忘れ去られ顧みられなかった箱の中のフーを、目覚めてすぐに思い出し、暗闇から解放してくれたのも彼女であることを。

 夢現だったが確かにフーは聞いたのだ。


『ダイジョブよ。お母ちゃんがいるからね』


 温かな指で撫でてくれた優しいエカテリーナ。あれほど心に沁みる慈愛に触れたことはない。このまま死んでも良いとフーは思ったくらいだ。


 ……お母ちゃん。


 少年は母親というモノを知らなかった。この国は長く戦を続けており、フーは戦災孤児である。父親となってくれた庭師は遠縁の親戚だ。もちろん十分良くしてもらったし、父さんと呼べるだけの絆もある。

 だがそんな父親も嫁はいない。嫁を貰うには結納金を払わねばならず、フーを育てていた父親にはとてもじゃないが払えるモノではなかった。ある意味、フーの存在が父親の結婚を邪魔していたのだ。

 これからコツコツ貯めていけば、きっと良いお嫁さんをもらえるだろう。


 ……これで良かったんだよ。うん。


 フーがエカテリーナに取り上げられたことで、父親は独身に戻れたのだ。もう何年も会っていないけど窓から仕事姿を見たことはある。以前はこっそり会いに来ようとして、何度も見つかり鞭で打たれていた父親。

 それが堪らなく嫌で、フーは声をかけられても無視するようになる。息子に無視され続けて諦めたのか、父親は声をかけなくなった。


 たまに切なげな顔で見られていることがあるけど、それだけ。


 僕は御嬢様と生きていく。


 もう、フーにはそれしか残されていないのだ。


 幸いなことに、加害者だった御令嬢は、忘れ病とかで過去を失ったという。フーのことも忘れてしまったが、それは嘘なんじゃないかと少年は思っていた。

 

 だって、本当に忘れてしまったのなら、飼育箱のことだって忘れてるはずだもの。……なのに、思い出してすぐ開けてくれた。


 しかし、エカテリーナが以前とは別人みたいに変わってしまったのも事実だ。とても良い御令嬢に。


 きっと神様の奇跡に違いない。凄く酷い御令嬢だったから、神様がお仕置きで悪い記憶だけ消したんだ。


 フーは、そう思った。でなければ、あまりに自分にとって都合が良すぎるからだ。だけどチャンスに違いはない。


「僕を変だとは思われないのですか?」


「どこが? 嫌なことは嫌と言っても良いのよ? アタシが言えた義理じゃないけど、やらかした事実は消えないわ。なら、どうしたかじゃなく、どうするかよ。アタシはフーに酷いことを一杯しちゃったから、これからはフーに優しくしたいの。自己満足だけど、嫌じゃなかったら一緒にいてね?」


 ふわりと柔らかな笑みを浮かべる薫を見て、フーの視界が歪む。大粒の涙がポロポロと膝に零れ落ちた。


 ああ、心から感謝します、神様。


 この方は自分を責めない。許してやれとも、我慢しろとも言わない。僕の好きなようにと仰ってくださる。


 フーは嗚咽を上げて泣き崩れた。


 それ以来、薫は少年と食事を摂る。


 畏れ多いと辞退するフーを無理やり巻き込み、一人では味気ない、命令よっ? と宥めすかし、席に着かせることに成功した。


「ご飯は美味しく食べなくちゃね。賄い部屋だと食べた気がしないんでしょ?」


 鼻歌まじりで宣う御令嬢。


 だからといって、使用人を同じテーブルに着かせるのはどうだろうか?


 件の事故から、エカテリーナは自室で食事を摂っでいた。作法があやふやだとか、まだ家族に慣れないからとか色々言い訳していたが、実のところ、美味しく食べるためなのだろう。フーは、そう考えた。

 正直、今の御嬢様は、まるで市井の人々みたいな人間臭さがある。これは同じ市井の人間にしか分かるまい。当然、市井を知らぬ旦那様達は気づいていない。

 そんな人間が貴族然とした食卓で食べても、食べた気がしないのではないだろうか。フーは漠然とそう感じた。

 だから何も言わずに付き合う。


「これ美味しいですね。テリーヌでしたっけ?」


「うーん。美味しいけどカロリーの塊よね。ほら、ちゃんと野菜も食べて? 肉ばかり食べていたら成人病まっしぐらよ」


 かろりー? 成人病? まっしぐら?


 時折、フーの知らない言葉を口にするエカテリーナ。これも以前は無かったことだった。

 けど、楽しい。

 ふふっと小さく笑うフー。

 それを不思議顔で見つめ、薫はカロリーの塊を気難しそうな顔で食べた。


「あ〜、美味しい……… んもうっ、カロリーは正義よね。正直だわ」


 手脚をバタバタさせる薫の耳に、フーの呟きが聞こえる。


「あの…… 御嬢様は別ですから」


「ん?」


 耳まで真っ赤にしてうつむき、少年は薫に聞こえるようハッキリと呟いた。


「嫌なことを一杯したとおっしゃいましたが…… その…… 全てが嫌なことでもなかったし? 御嬢様に思うところはございません。気持ち悪くも、憎くもないです。なので、このままお側に……っ」


 フーが言わんとする事を理解して、薫は満面の笑みで破顔する。他の人々とは別で彼はエカテリーナを許していると言いたいのだ。


「ありがとうね、フー。これからは大切にするわ」


 心疚しいことを考えていたフーは、純真そのものなエカテリーナの微笑みが、いたく眼に刺さる。彼女にお初を奪われた少年は、あわよくばこれからも閨に侍らせてもらうことを夢見ていた。

 今のエカテリーナなら無体なことはするまい。情人らも来なくなったし、二人きりの甘やかな一時が期待出来る。そう思っていたフーだが…… 邪な願望は無垢な笑顔に撃沈された。


 ……まあ、いいや。どうせ他の男達もいないんだし。誠実にお仕えして信頼を得ていこう。


 良い御令嬢に変貌したエカテリーナ。そのおおらかな慈愛に包まれ、フーは彼女に依存を深めていく。この先、病的にエカテリーナの周りから男性を排除していくフーの姿を、今の薫は知らない。

 

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